那波氏の系図


那波氏の系図については、信頼できるものが少ない。二本だけしめす。一つは「尊卑文脈」第四巻「大江氏」の所に収蔵されている系図である。 「尊卑文脈」洞院公定によって南北朝時代に編纂が計画され、満季・実煕ら洞院家の後継者によって完成した。「新編纂図本朝尊卑文脈系譜雑類要集」というのが正式名称で、 「尊卑文脈」と略称されている。南北朝期頃までの系図が源・藤原・平・橘など氏族別に記され、成立年代が古いこと、体系的であることなどから最も信頼性のある系図集成で、国史大系 「尊卑文脈」(吉川弘文館)として刊行されている。

もう一つは、「系図纂要」第十巻「大江氏」に収載されているものである。「系図纂要」は、周防国徳山藩出身の幕末の歴史学者飯田忠彦(寛政十一年・1779〜文久元年・1861)の編纂と推定され、多くの先行の系図・系譜のほか、多くの記録・地誌などを参考にしているので、信頼性は高い。国立公文書館内閣文庫に103冊、東大資料編纂所にその片割れと思われるもの一冊あり、それらは名著出版から全18冊として複製刊行されている。

A 「尊卑文脈」那波氏系図

(大江広元) - ・ - 宗元(光イ 那波掃部助 改正広) ― 政茂(刑部権少輔 従五上) ― 頼広(左近将監 従五下)

                                  ├使  関東評定衆        ├ 母

                                  ┗蔵  昇殿 成宗         ├三郎 時元

                                                                                              

                                                        ├五郎 政元

                                                         

                                   ┗七郎 政頼

                     母                                   母

                    ┏宗茂           母

― 宗広(式 上総介 従五下) ― 四郎 教元 ― 弥次郎 宗元   

  母                ┗弥五郎 頼茂 ― 四郎 宗教

┗頼元(式 上総介 従五下)               母        

  母

 

B 「系図纂要」 那波氏系図

(大江広元) ━ 政広(那波氏藤原姓佐貫四郎太夫成繁孫那波太郎弘澄討死、其子無子、以宗元為養子、配女改為大               江姓、本宗元) 那波掃部助 判官

         ━ 茂(左近太夫、建長6年引付四下、正嘉元年六月廿二刑部少輔、延応元年十ノ廿左近将監、仁治二年四                ノ七従五下、寛元二年八ノ廿二従五上、弘長三年九ノ三卒) 

        ━ 頼広(左近将監 従五上) ━ 宗茂

                                              教元 四郎  ━ 宗元 弥二郎

                                            ┗ 頼茂 弥四郎  ━  宗教 四郎

          宗元(左近太夫将監) ━ 宗長(掃部助) ━ 宗家(刑部少輔) ━ 宗継(太郎、内匠助、左京亮)

        ├ 時元 三郎      ┗ 貞如 荒井太郎

         ├  政元 五郎

         政頼 七郎

              ━ 勝宗(刑部少輔、入道玉泉結城合戦有功) ━ 俊(小太郎、刑部少輔、駿河守、大永元年十ノ廿討死、)

             ┗ 繁(大炊助)

         ━  顕宗(駿河守) ━ 泰(無理介)

両系図を比較すると、AはBの頼広系とほぼ同一内容を示している。ところが、B系統ではAにない宗元(の子)の系統が書き継がれていて、戦国時代末に至っている。おそらく頼広系は幕府や鎌倉府の奉公衆として活躍し、一方宗元系は在地領主として、那波郡に根を下ろしたのではないだろうか。前者が、永享の乱で足利持氏が滅亡した時に、宗元を最後に絶えたのに対し、後者は上州一揆や上杉氏被官としてその後も活動を続けるのである。B系図が、どのような原系図をもとにして記されているのか不明で、不安も残るが、現在の所これを頼る以外にはない。

                                       伊勢崎市史より