たけし、今度はフラメンコ映画に挑戦!?
フラメンコ舞踊家、ホアキン・コルテスと対談


ホアキン・コルテスさんと対談した北野武監督
 映画「座頭市」でチャンバラ映画の新たな魅力を世界に知らしめた北野武監督(56)が、今度はフラメンコ映画に挑戦する勢い(?)だ。

 北野監督は音楽チャートのオリコンが展開する「オリコン・エンタテインメントサイト」(www.oricon.co.jp/)で23日にスタートした「世界を魅了する芸術家対談」で、世界屈指のフラメンコ舞踊家、ホアキン・コルテス(34)と対談。

 コルテスが「フラメンコをベースにした新しい芸術を映像にしてもらえたら」などと話すと、北野監督も「興味あるね。ドキュメンタリータッチで撮りたい」と好感触。コルテスは「一緒に映画に出させてもらえれば」とアピールした。

 「座頭市」でもタップダンスユニット「ザ・ストライプス」を起用するなど芸道に精進する人が大好きな北野氏。リップサービスだけでなく、本当にあるかも。


クアトロカミーノ

ついに生まれたっと言おうか、生まれるべきして生まれたイケメンコなフラメンコ、グループ。
スペイン語で「四つの道」を意味するクアトロカミーノだ。
4人の日本人男性だけによる日本初のフラメンコグループだ、主役も4人。

カンタオール、石塚隆充
ギターリスタ、沖仁
バイラオール、伊集院史朗&吉田光一

4人とも1973〜77年生まれの同世代。

此のイケメンコ野郎たち今やマスコミにも度々紹介され若い女性の熱い視線を浴びている、
日本のフラメンコもよくぞ此処まで来たものだ。

クラシックギタリストを父に持つ、カンタオールの石塚隆充は実はギターの名手でもある、
実は私(ホアン一色)は石塚隆充の親父さんにクラシックギターを習っていた事があるのだ、
まだ石塚隆充君は生まれて居なかった頃である。

「元祖イケメンコ」の称号を此のグループ上げよう。
イケメンだけでなく実力有る4人組クアトロカミーノの活躍に期待。



あのフラメンコギターリストのトマティートの娘たち三姉妹が「ラス・ケチャップ」を結成してうけまっくっている。

女三人寄れば-」とはよく言ったもので、この三姉妹、ひと所にいると本当によくしゃべり、
よく笑う。カメラを向ければノリノリでお色気ポーズや変な顔を披露し、.

思いつきで大ブレイク ラス・ケチャップ

デビュー曲「アセレヘ」がヨーロッパなどで爆発的にヒット
 「女三人寄れば――」とはよく言ったもので、この三姉妹、ひと所にいると本当によくしゃべり、よく笑う。
カメラを向ければノリノリでお色気ポーズや変な顔を披露し、天真らんまんな魅力を振りまいてくれる。
 スペイン生まれの3人はある日、思いつきでグループを結成した。
英語のヒップホップの曲から「アセレヘ・ハ・デヘ・デ・ヘベトゥ・デ――」と大ざっぱに聞こえたままの歌詞を作り、
30分で考えた振りを付けて歌ったところ、ヨーロッパ、南米、オーストラリアなど各国でチャートの1位に。
スポーツイベントで観客が一丸となって踊る光景が各地で見られたとか。

 宣伝のために約20カ国を駆け回る身になり、「『80日間世界一周』を私たちも達成できるんじゃないかしら」と笑い合う。

 耳に残るメロディーに、パラパラ風の踊り、意味を詮索(せんさく)するのもやぼな歌詞。
同じラテン系の「ランバダ」や「恋のマカレナ」よりむしろ、「ペッパー警部って……何それ」と世間をけむに巻いたピンク・レディーをほうふつさせる。

 上から順に、女優のピラール、大学で労使関係を専攻していたローラ、フラメンコ歌手のルシア。
ほかにもきょうだいが4人いるという大家族で育った。

 「ピラールは哲学的な考えをする人ね。才能のある女優よ」と、小悪魔風のルシア。あごのピアスが印象的だ。

 「ルシアはエネルギッシュでハッピーな性格。周りを明るくするの」と語るローラは細やかな気配りの人らしい。

 「ローラはすごく独立心があるわね。ルシアも末っ子だけどしっかりしてるのよ」と言いつつ、ピラールは差し入れの柿を悠然と平らげていた。

 普通の人っぽさを残す彼女たちだが、アーティストとしての意欲も日増しにふくらみつつあるようだ。
アルバム「ケチャップ娘がやってきた?」では、ほぼ全曲を3人で作詞作曲。
ラテンアメリカを中心にこれから始まる世界ツアーには、フラメンコナンバーも入れたいという。

 にわかに多忙な大スターになり、「落ち込む時間もないわ」とルシア。
日本の寒さに体調を崩していたローラがちょっと気がかりだが、ピラールも「時差ボケで睡眠不足だけど、
エネルギーは有り余ってる。なんたって、明日は明日の風が吹くし」と意気盛んだ。

 一発屋では終わらない。そんな決意がみなぎるケチャップ娘たちだった。

<Las Ketchup>

 スペインのコルドバ出身。左からPilar、Lucia、Lola。フラメンコギタリストの父トマトにちなんでユニット名を「ケチャップ娘」に。
自作曲を引っ提げ中南米ツアーを予定している。

[ 朝日新聞 ]


「コロンブスの遺骨」のDNA鑑定始まる スペイン 2003.06.08

マドリード(AP) 15世紀の航海家コロンブスの「遺骨」がスペインと中米ドミニカ共和国に祭られ、
「どちらが本物か」との論争が続いていることから、決着をつけるためのDNA鑑定がこのほど、スペインのグラナダ大学で始まった。
鑑定の結果が出るのは数カ月後になるという。
「コロンブスの墓」があるスペイン南部セビリアの大聖堂では2日、コロンブスの子孫2人の立ち会いの下、
2つの箱が掘り出された。一方にはコロンブス本人、もう一方には息子エルナンドの遺骨が入っているとされる。
さらにセビリア近郊から、コロンブスの兄弟ディエゴの遺骨を納めたとみられる箱も発掘。3つの箱は警官の護衛付きで、
グラナダ大学へ運ばれた。同大学の研究チームは、遺骨のDNAなどを基に3人の血縁関係を検証する。

指揮を執る研究者のマルシアル・カストロ氏は「箱を開けて、中にほこりしかなかったら――とも考えた」と、
発掘時の緊張感を語る。実際には、どの箱にも研究に十分なだけの遺骨が詰まっていた。
カストロ氏は「コロンブスがどこに埋葬されたのかというなぞを、歴史家はだれも解明できなかった。
われわれがそれを解いてみせる」と、意欲を示す。チームでは、ドミニカに安置されている遺骨についても鑑定を申し出ているが、
ドミニカ当局は「スペインの結果次第」との姿勢を示しているという。

コロンブスは1506年5月に死去し、スペイン国内で埋葬された。
その後、「米大陸に埋葬してほしい」との生前の希望に沿って、遺族の手でドミニカのサントドミンゴ大聖堂に移された。
ところが、ドミニカは1795年、スペイン領からフランス領に。
スペイン側はコロンブスの遺骨を他国に渡すまいとキューバへ移し、さらに1898年には米西戦争に伴ってセビリアまで戻した。
ところが1877年、サントドミンゴ大聖堂でコロンブスの名が書かれた遺骨の箱が見つかった。
ドミニカは「こちらが本物で、スペイン側が持ち出しのは別人の遺骨」との見解を貫いている。


フラメンコ情報TOP