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Yesterday, once more.

 

 


赤煉瓦作りの東京駅が見える頃、
東海道線は大きな弧を描いてホームに滑り込んでいく。
長い15両編成の先頭車両が、後部車両の窓から見ることが出来る。
そんな光景を見ていると、昨日晩御飯を作りながら聞くともなしに聞いていた、
Yesterday once moreが頭の中で流れ出した。
それはニューヨークで歌のレッスンを続けている台湾の女の子が、
初めてのボイストレーニングで歌っていた曲だった。
料理をしている手をふと止めて、
不思議な感覚が体中に駆けめぐった事を覚えている。
そう、生きていく課程の中で、
いろんな出来事があって、そんなときにいろんな曲が、
想い出の中には流れていたりする。
どうして彼女はその曲を最初のボイストレーニングで歌うことにしたのだろう?
たぶんいろんな想い出が、彼女の歌の中には込められていたのじゃないだろうか?
そんな風に思ったのだ。
Yesterday once more。
英語で書かれたこの曲が、世界中で歌われ、
世界中の人の想い出の中に生きてるんだ、そんな風に思ったのだ。
もちろん、僕は台湾のその女の子とは何の面識もない。
それどころか台湾人の知り合いだって一人しかいやしない。
でも、確実に、僕らは同じ曲を通じて、世界を認識して、感じて、生きているんだよ。
すごいねぇ、音楽ってさ。
そう考えると、なんだかぐぐっと世界が身近に思えた。
これはいわゆるグローバルな規模で、情報・通信が発達したから起こったことだろう。
そう、我々の文化の中には、多分に共通項が存在する。
故に分かりあう糸口もつかめるわけだ。
が、しかし、である。
って事は、そういった共通項が無い場合、相互理解とか、お互いが解り合える感覚、って言うのは無いんだろうか?
これが最近の僕の疑問点だ。

なんで僕がこんな事を考えるようになったのか、まず背景説明をしよう。
アトランタオリンピックが終わったその後に、NASAが発表した火星隕石から生命の痕跡発見のニュースを覚えている人も多いだろう。
(日本では寅さん逝くのニュースに負けてたけど(T_T))
あのニュースは衝撃的だった。
いや、生命痕跡が発見されたことにじゃないよ。
あの件はその後の調査で真偽のほどにはかなり疑問って結論になってるしね。
僕が衝撃を受けたのは、今まであんまり考えていなかったけど、この宇宙の中には我々以外の生命が存在するかもしれない、って可能性に目を開かされたことだ。
もちろん今までもその可能性は知っていた。
でもあのとき、そうだ、居たって全然おかしく無いじゃない、という感覚を初めて理解したのだ。
感覚的に理解するっていうのは、こういうふうに突然やってくる。
それから僕が太陽系の惑星を見る目は少し変わったかもしれない。
火星もそうだけど、それ以外にもひょっとすると生命が居るかもしれない、そんな目で見るようになった。
実はこの事件をきっかけに、取り組み始めたテーマがある。
エウロパの生命探査計画である。

エウロパなんて星は普通の人は知らないだろう。
こないだも、”ん?エロガッパって名前の星があるのかぁ”と感心された(^-^;
ちがう、エウロパである。
語源はヨーロッパと一緒、大地の豊饒の女神、エフロディーテである。
この星は木星の周りを回っている衛星、つまりお月さんのひとつである。
(木星には16からの衛星がある)
で、表面は水の氷で覆われている。
地球以外に水が存在するっていうと不思議に思うかもしれないが、
実際の所は木星の軌道以遠では、太陽の光も弱いため、水は氷となって多数存在しているのだ。
土星の衛星なんかも氷で出来ているし、エウロパのように氷で被われた天体も多い。
しかし、エウロパはある特殊な環境を持っている。
他の氷衛星は内部まで氷だったりするのだが、
エウロパだけはどうやら氷の下に液体の水で出来た海があるらしいのだ。
何故エウロパだけは内部が溶けているのか?
これには諸説あってまだ原因は特定されていないのだが、
ひとつには木星の潮汐力が、もうひとつにはその大きさ(大きすぎも小さすぎもしない)が重要なファクターだったらしい。
あ、もっともエウロパの氷の下の海に関しては、まだその存在は確認されたわけではない。今年中にはガリレオ探査機によって決着が付きそうだけど。
液体の水あるところに生命あり。
これが現在の僕の持論である。
この根拠を述べだすと、論文が2,3本かけるのでやめておくが(笑)
(納得しない人はこれを読んでくれ。
AKIYAMA et al.(1998) "Mission to Europa's Sub-surface Ocean and Search for Its Possible Biological Evidence. COSPAR at NAGOYA")
理屈で. 考えると、どうやらエウロパには原始的な生命がいるようなのだ。
こいつは火星隕石中に発見された生命痕跡よりももっと僕をわくわくさせた。
だって、火星には今現在はおそらく生命はいなさそうだけど、エウロパには、
今、この時、まさしく僕がこの原稿を書いている瞬間にも、なんだか地球上の生き物とは違った生き物が、生きているんだよ!
すごいじゃないか!
太陽系の中に、現在生命が存在している天体が2つ(地球、エウロパ)。
過去も含めると3つ(+火星)あったとしよう。
とすると、この宇宙の中には、間違いなく何千・何万・何億もの生命をもった星があるだろう。
きっとその中には、我々のように知性を持ち、文明を築いた星もあるに違いない。
こいつはとびきりわくわくするアイデアだ。

そこで思うのは、そんな星の住人は一体何を考えて生きてるんだろう?って事だ。
我々地球人は、世界のいろんな場所でいろんなことを考えたけれども、
どうもその考え方はあるパターンの中に収まってるような気がする。
で、色々と調べていくと、”そんなこたぁギリシャ時代のOOさんが既に気がついて考え初めてたよ”って所に行き着いてしまうのだ。
これは、ひょっとすると我々の考えはすごくまともで普遍的で、たどり着くべくして真理にたどり着いてるのかもしれないし、
そうじゃなくてどうあがいても先人の設定したレール以外の突飛な考え方が出来なくなってるのかもしれない。
ここはひとつ、他の星の生物がどんなことを考えてるのか、知りたくなってくる。
で、やっぱり彼らが我々とおんなじようなことを考えていれば、
おお、やっぱおいら達の考えてることは間違ってなかったじゃんって思うし、
もしも全然違うことを考えてたとすれば、それこそ新たな思想の地平線が広がるわけだ。どちらにしろ我々の哲学だとか神学だとか、とにかく社会科学全般にも大きな波紋が広がることだろう。
こいつは将来に予見される、自然・社会科学上の一大ビックイベントだ。

僕としては、我々の考えてきたことはある程度の普遍性を持っていると思いたいけどね。やっぱ、ほら、一科学者としてさ。
自分たちの行動を正当化するためにもさ(^-^;
もしも彼らがやっぱり僕らと同じ様なことを考えてたとしたら・・・・
やっぱり、こんな物憂げな暑い夏の日の午後に、
青空を眺めながらぼーっとこんな事を考えてたりするのだろうか?
きっとそんな文明と接触したら、様々な摩擦も起こるだろう。
でも、もしそんな風な時間を共有してるのだとしたら、
やっぱり僕は、そんな彼らを好きになるんだろうなぁ。
あの台湾の女の子の歌みたいにさ。

ほら、頭の中に旋律を思い浮かべてごらん。

Yesterday, once more.

1998.8.1


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