高きより溢れ出したる水は


AKIAKIです。

春です!
暑いぞ!
暑いのは嫌いだぁぁぁぁぁぁ!!!

あ、いや、冒頭から絶叫してしまってすみません(^-^;
御無沙汰しております。
いえ、最近とっても暑い日が続いているので、
朝から満員電車で揺られて、
まるでサウナでも入ったような気分を味わわされているので、
ついつい絶叫してしまいました(^-^;
今年は3月ぎりぎりまで雪が降ってたと思ったら、
4月はとても暑くて変な感じです。
桜の季節もあっという間に過ぎ去ってしまいましたね。
そうそう、去年は名古屋大で桜をみたんだっけ。
丁度入学の季節だったね。

今年は静岡大で学会がありました。
空いた時間に友人と一緒に、久能山東照宮に行ってきました。
ここはなんでも、徳川家康が死んでしばらく安置されていた場所だそうで、
日光東照宮はここに似せて作られたとらしいです。
太平洋に面した切り立ったがけの上に久能山東照宮はあるんだけど、
石の階段(1100段あるらしい)を登って行くにつれ、
だんだんと、なだらかな海岸線と太平洋が眼前に広がってきました。
広々とした海の中を、大きなタンカーがゆっくりと航行していってて・・・・
どこに行くんだろうね、あの船は。
遠く、水平線は春霞にかすんでおり、
海と、空とが、渾然一体となって、一つになってました。

途中で、紫陽花の葉に出会いました。
春のこの季節だと、ついつい桜の花に目がいってしまいますが、
その新緑の、実に鮮やかなこと!!!
まだ軟らかいその葉は、
鮮やかな、明るい緑色をしていて、
大きく、大きく、広がろうとしていました。
きっと太陽の光を少しでも多く集めるために、
こうやって体を精一杯膨らまそうとしているんだね。
細かな葉脈が浮き出ていて、
どっくん、どっくんと、紫陽花の血流が聞こえてきそうな、
そんな雰囲気を感じました。
そう、一生懸命生きてました。



この春、2人の友人がそれぞれアメリカに行ってしまうことになりました。
一人は経営修士を収得しに留学。
これは会社からの派遣です。
一人はテンポラリーのポストを見つけての移動。
異動先はかなり良いところなのですが、
彼は日本でのポストを希望していたため、
どっちかというと決して本意ではなかったと思います。
二人とも、僕にはとても大切な友人だったので、
遠くに行ってしまうのは結構辛いものがあります。
しかも二人とも同時期に行ってしまうとは。
(T_T)トホホ
でも、彼らがそれぞれ今置かれている状況を考えるとき、
彼らは最良の選択をしたんだと思います。
20代の後半から30代の始めにかけてのこの時期、
これはとても重要な時期なんです。
実際我々が一番社会で活動できるのは、あと10年後ぐらいからでしょう。
それに先立ち、この時期にしっかりと下準備をし、余力を蓄え、地盤を固めること、
これが必要なんだと思います。
旅立っていってしまう彼らと話していると、
あの紫陽花の葉を思い出しました。
精一杯、体を大きく膨らませて、
一生懸命太陽の光を浴びようとしていた、
あの紫陽花の若葉のことを。




僕もこの春、種を蒔くことにしました。
研究者としてこのまま続けていく決心がついたというところでしょうか、
大学院に籍を置くことにしました。
博士課程 理学部地質学専攻惑星科学ゼミ、在籍。
これが新しい身分です。
思えば高校生の頃、比較惑星学に興味を持ち、
理学部に行きたくて2年間も浪人したあのころから、
はや8年もの歳月が流れてしまいました。
どうしても理学部ではとってもらえず農学部に転向、
就職活動の時になんとか軌道修正を試み、
やっと、ようやく、とうとう、
自分のやりたかった道に戻ってきた気がします。
長かったぁ、
ほんとに長かった。
もっとも会社に籍を置いたままの学生の身分なので、
まだまだ紆余曲折はあると思うけれども。
種は、蒔いた。
後はそれを一生懸命育てないとね。


きっとこれからも、僕の人生にも、
アメリカに行くことになった友人達の人生にも、
いろいろなことが起こるんだろうね。
でも僕は友人達が、それぞれ自分の道を邁進していくことを知っています。
彼らも僕が、新しい環境で邁進していけることを信じていてくれれば良いのですが。
負けてられないね。


10年後、我々3人はいったいどうなってるのかなぁ?
誰も自分が何をなしえるのか知らないし、不安でいっぱいです。

    高きより溢れ出したる水は、
    己の流れ落ちるべきところを知らない
    ただ、山を越え、峰を越え、峠を越えて、
    谷を流れ下り、遂には大海へ至るだけ

君たちと、僕と、そしてみんなが、
また大海で出会えればいいね。
それまでしばらくの間、お互いの道を進むことにしよう。



ひとまわりもふたまわりも大きくなった彼らと出会えるのが楽しみです。

また、会おう。

1998.4.23


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