”もののけ姫”考


こんばんわー
涼しくなりましたねぇ。
なんだかもう秋虫も鳴いていて、
季節は移り変りつつあるようです。
ようやくδ(^_^)が一番好きな季節がやって来ました。(*^-^*)

ところで、今回は”もののけ姫”の話しです。
映画を見てない人は、ここで読むのを辞めて見に行きましょう。
面白いです、はずしません。保証しましょう。
いかにもはずしてそうな雰囲気、濃厚だったけどね。(^-^;
はずしたのは、ロストワールドだったねぇ。
ありゃだめです。全然だめ、ジュラシックパークの続編と思えない駄作です。
ただのホラー映画だね、ありゃ。



物語は、昔この国は巨大な森に覆われていた、ってことから始まります。
テーマの一つ、その大きな柱は、自然との共生。
見て思った事は、うーーん、完成度としては風の谷のナウシカの方が上か?ってことです。
順序としては、まずもののけ姫が出て、
それからナウシカが出て欲しかった、って感じです。

序盤で、雄大な自然が描かれてます。
巨木の森、どこまでも広がる湿地帯、広い空
そういった風景を見ながら、我々現代人は手付かずの自然に思いを馳せるわけです。
ところがしばらくして現れて来るのは、人間によって切り開かれた大地、
戦乱で荒廃した土地。
まぁありふれているといえばありふれているけど、
そんな邪念(?(笑))を感じさせないで素直に受け入れられるだけのさりげなさがあって良く出来てます。
当然のように、自然を守る勢力と自然を人間の規則の中に取りこもうとする人類との戦いが始まります。
さて結論やいかに?


人間の営みは、自然に対立する形でしか存在出来ないのか?
その答えを、未だ誰も知りません。
たとえば序盤に出て来た湿地帯。
奇麗ですよ、ほんと。でも、ちょっと現実に戻って考えたら、
少なくとも僕はあの中を歩くのは嫌です。
おそらく、歩いた後には僕の足には蛭がべったり、でしょう。
ダニだって噛みたいほうだいしてるとおもいます。
そう、我々にとって快適な状況を作りだそうと思う時、
当然それは今ある姿(あえてそれを自然な姿とは言いません)を変えてしまうのです。
これは、対立なのか?敵対なのか?
何を持ってすれば共存になるのか?
大体そういうことが可能なのか?
残念な事にもののけ姫ではその辺が描かれてませんでした。
主人公のアシタカの部族は自然と調和した営みを続けていたかに見えたけど、
それは若者が減少し、亡び行く部族としてのみ可能な営みでした。
アシタカが留まる事を決意したたたらの一族は、今後も大地を切り開き鉄を作り、
それを武器にさらなる開発を続けるでしょう。
森に留まったもののけ姫は、やはり永久に人間社会に復帰する事も有り得ない。
そう、事態は何にも変わっていないのです、何にも。
ししがみの死によって全てはリセットされ、自然が戻って来たけれども、
そこに残された人間は何も変わっていない、というより、
障害がなくなって、さらなる開墾を進めて行くのは明らかです。
ナウシカの場合は、エンディングのシーンのメッセージが、
自然との共存の可能性を示唆してたように思ったんだけど。
もちろんあの場合も、非常に限られた時代的・地域的制約の中でだけでの共存だけれども

今後もこのテーマにそった話しは出て来るんだろうけど、
これ以上の方向性を示唆出来るのかどうか、疑問に思ってしまいます。
宮崎氏が、ナウシカの時には共存の可能性を示唆したけど今回はそうできなかったのは、ある意味ではやっぱり無理だということに気がついた結果なのかもしれません。
映画の話しはおいておいたとして、実際に我々自身の進むべき方向性としてどうなのかと考えて見た場合、うーーん、やっぱり結構悲観的かも(^-^;
救いがあるとすれば、共存は可能かも、という幻想を語っている時だけなのかもしれません。


失われ行くものに名残り惜しさを感じつつ、
それを推進して行ってしまうのが人間の業の深いところだね。

1997.8.15


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