象気功
象気功

本日の御神託


やらなくてもいいこと



そうね、なんというのか、あれすればこれね。

なにごとも生きるということは陰陽表裏ね。

物質には反物質で宇宙には反宇宙で次元には反次元で誕生には消滅で薬には副作用で食えば肥満で恨みつらみには返り念障で気がわかれば電磁波過敏症ね。

まあ、そんなことはどーでもいいわけだが、ううむ、そうね、なんつーのか、人間てなものは、努力しなけりゃしないで生きていけるものであるのである。


いいね、ここんところね、こんところがポイントね。

まあ、どなた様も生きるためにはいーろいろやらなければいけないことがあると思い込んでるわけであるし、そのように親からも学校を含めた社会からも教育されるわけであるが、この「いーろいろ」てなものは、ほとんどが別にやらなくても生きていけるいーろいろであるのである。

まあ、こーいっちゃなんであるが、たとえばあたしゃ、お仕事をほっぽり出して、この先なーんにもしないで、たーだ食っちゃ寝食っちゃ寝してても、実際にはなーんにも困ることはないのである。

ところが、これがね、実際にはやらなくてもいいお仕事を「忙しい忙しい」とボヤきながら、一日数時間はおやりになるわけである。

それで、仕事が思い通りに進まないと、けっこう焦燥にかられたりして必死でやったりするのである。

でも、その「お仕事」てなものはたとえほっぽり出してぜんぜんやらなくてもいいことであるのである。

やめたければやめていいのである。

やめてもあたしも他のだーれも困らないのである。

でも、焦ったりして必死でやるのである。


これは勤勉とか真面目とか誠実とかではないのである。

何もしないでいることができないということであるのである。

脳は常に意味もなく焦燥にかられているわけであるのである。

なんだか知らんが日々わけもわからず焦っているのである。

この原因は「寿命」であるのである。

まあ、これは人間の寿命が大過なく過ごせてもだいたいが80数年でこぼこで、うかうかしてると光陰矢のごとしなんてえことであっという間に終わったりするつーことを脳がわかっているので、その間にできるだけいろいろ生命活動をして、種をより良く存続させようとすることに原因があるわけである。


この「より良く」てなものが「他人よりもより良く」つーことに転嫁されて、より良い学歴、より良い仕事、より良い生活、てなことに集約されて、そのためになんとか他人よりも少しでもより良くなろうとして、恒常的に焦燥にかられて、「ああ、あれもしなくちゃ、これもしなくちゃ、なんだかわからんが、ああ、大変だ」となっているわけである。

それが、いわゆる仏教の大命題である「煩悩」の正体でもあるわけである。

まあ、だから、やらなくてもいいことはできるだけやらないという方向に脳を向ければいいわけであるが、これがまた困ったことに、脳が勝手にやらなくてもいいことをさらにどんどん探して、さらに焦燥感は募るばかりであるのである。

つーことで、あたしの人生はさらに忙しくなるのである。

今日はこれから、ほっといてもどーってこともないのに、レンタル農園に生えてる杉の大木が、なんかあったときに倒れるかもしれないなんてことで業者に頼んで切ってもらって、その枝を大量に燃やさなければならないので、大忙しであるのである。

ああ、忙しい忙しい。

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