「運が良いなあ、金運があるなあ、何をやってもうまく行くなあ」 つーことで、開運の法のコトダマはあろうことかあるまじきことかアルマジロかついに爽やかな緑色になってしまったのである。 緑といえば環境である。 象気功もついにこの世現世(うつしよ)の神の啓示神示思し召しによる世直し建て直しから環境運動に怒涛の参画を果たす勢いであるわけである。 言ってることが支離滅裂になってるのであるが、なーにしろ、あの世常世(とこよ)黄泉の国からの霊界通信御筆先であるのでしょーがないのである。 まあ、ご存知の方はご存知の通り、あたしはものすごーく以前から原発停止廃止太陽光発電推進論者論客であるので、環境問題にはことの外やかましいのである。 環境問題にやかましいから、もちろんゴミの分別だってちゃんとやるのである。 まあ、こまごまとゴミの分別をしているあたしのすぐ横の次元の宇宙の深淵からこちらを覗きこむ光りに包まれたあの方からのお告げ御託宣予言の御筆先は、この期に及んでも懲りずに利権に群がる原発ムラのゴリ押し推進派を押しのけて、太陽光発電推進計画は着実に成就されつつあるわけである。 当然である。 象の大神様からのお告げは人知を超えたありがたーいおおいなる魅心の思し召しであるのであるから、誰が何を言おうと成就されるのである。 象源教である。 わははははははははははははあはあはあはあっはははーっ 本日は少し多めに笑っております。 ううむ、しまいに誰かに怒られるのである。 まあ、どうも環境運動と言うと、例の金ほしさで海賊まがいに大暴れの某団体のおかげで怪しいイメージがあるのであるが、まあ、象気功自体が怪しいので、さもありなんとご納得いただいて、さてさて、開運の法もいよいよ佳境に入って、神のお告げ天界通信極楽新聞主筆象師匠の舌鋒はさらに鋭く筆圧としてキーボードを這いまわる指先は限りなく強度をましてパコパコと、耐えかねた手首は腱鞘炎を患うかと疑念を抱くほどである。 つーことで、まあ、冗談はさておいて、おいおい、冗談かよ、てなことで真言などの音によるコトタマは主に右脳に影響を与え、運命変革の法などの言葉の意味によるコトダマは主に左脳に影響を与えて、その脳身体全体の方向性を変えるてなメソッドであるわけである。 ううう、しまった、ものすごく重要なことをてきとーに書いてしまった。 とーにかく、あの世常世(とこよ)黄泉の国からの霊界通信自動書記であるので、節度も構成もないのである。 まあ、節度も構成もあってもなくても、とにかく、本日の御神託でも吐露したように、象師匠は象気功の眼目通りに、言語野左脳がどんどん萎縮退化後退して、その反動で右脳が肥大化してぱーがどんどん進行しているわけである。 さすがは史上最大最強稀代の大霊能者の象形流気功法宗家象師匠である。 霊能だけにスピリチュアルである。 なんつってもスピリチュアルであるので、あることないこと言いたい放題言ったもん勝ちであるので、そこはそれ、あちこちのインチキグル導師先生教祖ホラ吹きの独壇場で、あたしもあなたもピッピロピーである。 いや、別にピッピロピーで今年の流行語大賞を狙ってるわけじゃないのである。 ペッペロペーでもいいのである。 もちろん、プップロプーでもいいのである。 しかしビンビロビーではあんまりよろしくないかもしれないのであるが、もちろんどーでもいいのである。 ううむ、おつむのちょーしがひじょーにトルネードであるので、一時停止駐車禁止である。 つーことで、駐車違反の愛車がレッカー車に運ばれたところで、もちろん、「運命変革の法」のコトダマ同様に、真言などのコトタマの音による部位への影響も、それを唱えることを止めると、即刻、脳身体は揺らいだその方向性を、脳にとっての安全圏の元の状態に戻そうとするのである。 それを、コトタマあるいはコトダマを日々繰り返すことにより、変えたい方向性に引き戻すことが、これも象気功常設タームの「継続」であるわけである。 脳にとっては運気の下降も上昇も、同様に生命維持の危機と捉えるわけである。 変化変性は脳にとってはいずれの場合にも最悪の選択であるわけである。 まあ、以前に解説したことであるが、意識で意識を変えることは困難であるのであるが、その意識としての「言葉」をコトダマとして「外側」から、つまり「なあ」というコトダマを駆使して「客観」として送り込み、それを継続することにより、脳神経ニューロンシナプスの構成組成の方向性を、さらには脳内伝達物質の放出の状態を変えてしまおうということであるわけである。 つまり、ものすごくわかりやすく言うと、3歩進んで2歩下がってまた3歩進んで2歩下がってまーたまた3歩進んで2歩下がってまーたまたまた3歩進んで2歩下がってまーたまたまたまた3歩進んで2歩下がってまーたまたまたまたまたうううきりがないのでこのへんでね、つーことである。 やらないよりはましな揺らぎによる突破口を、継続することにより、その方向性をじりじりと変更してしまうのである。 つまり嫌がる脳をすこ~しずつだまくらかして、いつの間にかその方向に向けてしまおうつーよーな、いわば姑息極まりないメソッドであるわけである。 まあ、僧侶、修験者、神職などによる日々の真言、マントラ、お経、祝詞、聖書などの勤行、奏上、朗読は、その姑息な脳だまくらかしのメソッドを具現化したものであるわけである。 ううむ、なげーな、どーでもいいことを書きすぎたのである。 まあ、象気功自体がどーでもいいっちゃどーでもいいと言われればそれまでである。 あああ、まとまらない。 さてさて次回はまとまるのかまとまらないのか、はたまた、またしても単なる無駄話の羅列で終わってしまうのか、期待が破綻を読んで人生も破綻するのかしないのか、象師匠はいったい何を衆生に伝えたいのか伝えたくないのか、はたまたどーでもいいのか、謎が謎を読んで宇宙の深淵崖っぷち断崖絶壁へと読者を誘い転落の危機はスリリングね。 日本語になっとらんがな。 まあ、象気功だから。 続く。 |
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