象気功

象気功

運命変革の法
実践編・開運の法7


「運が良いなあ、金運があるなあ、何をやってもうまく行くなあ」

さてさて、ついに開運の法の言霊は気色悪い紫色になってしまったのである。

まあ、多少の語弊はあるが、自分は少しおかーしのよと主張したい時には紫色は実に効果的な色合いである。

しかし、信用信頼を第一に主張したいなんてときには、ややもすると逆効果になる色合いである。


だから、まあ、あなたが男性であれば、試しに髪を紫色に染めて、紫色のスーツに、紫色のネクタイで紫色の靴を履いて会社に行けば、それがお固い会社であれば、すぐに上司に呼ばれて、何がしかのご注意を受けるはずである。

何を言ってるんだ、紫なんかより、赤い髪に赤いスーツで赤いネクタイで赤い靴を履いていけば、ご注意どころか会社によってはクビになるぞ、てなご意見が当然あるわけであるが、もちろんそのとおりである。

これは、黄色の髪に黄色のスーツで黄色のネクタイに黄色の靴で大張り切りで会社に行けば、同様にクビになる公算が大である。


さらにいうと、ショッキングピンクの髪にショッキングピンクのスーツでショッキングピンクのシャツにショッキングピンクのネクタイにショッキングピンクの靴で大声でわけのわからないことをわめきながら会社に行けば、病院に電話される公算が大である。

これが、全部黒だとお葬式である。

ちゃんちゃん。

ううむ、くだらなすぎて死にそうだ。

お葬式だけに。

まあ、なんでもいいや。


つーことで、無駄話から始まって無駄話に終わりたい象気功の面目躍如やくみつるで、えーと、なんだっけ、何を言いたいのかも忘れてしまった、ああ、そうだ、それでね、まあ、なにしろ「こだわらない、いいかげん、どーでもいい」がもっとーの象気功であるので、もともと信憑性の欠片(かけら)もないお笑い番組であるわけであるが、こじつけとはいえ、さらになんの酔狂で信頼性も信用性もぶち壊しの色合いの紫色なのかとゆーと、これがね、深ーい意味があるわけである。

その深さたるや、これがもう、尋常の深さではなく、スコップで穴を掘ったぐらいでは追いつかない深さである。

ユンボをレンタルしてきてバッコンバッコン掘っても、とても追いつかない深さである。


さらに井戸掘り用ボーリング掘削機で、グーリグリ掘っても追いつかないとんでもない深さである。

もうこれ、どのぐらい深いかというと、日本海溝やマリアナ海溝よりさらに深いのである。

井戸掘り機からいきなり日本海溝にマリアナ海溝であるが、もちろんありがたーい髪の、いや紙の、いやこれもちがうな、ああそうだ、神のお告げのてきとーな口から出まかせなのである。

ううう、どうも最近、あたしのおつむもあそこもピッピロピーである。


まあ、なんでもいいや、それで、その口から出まかせのマリアナ海溝よりさらに深い意味とはいったいなんであるか?

「変化変性」である。

変化して変性してしまうのである。

変化とはある物事が違う状態、性質になることであり、変性とは性質が変化すること、あるいは変化した性質そのものということである。

ううむ、まあ、簡単にいうと、要するに変わることね。

まあ、つまり、前回もあれこれ解説したのであるが、脳はこの変化変性を好まないのである。


さらに「本日の御神託」の「人生のスピードリミッター」の話でも解説したとおり、脳てなものはできるだけ現在までの生活環境に合わせて、その状況に最適に生きやすい、つまり生命活動を維持するのに最良の脳神経ニューロンシナプス形成組成脳内伝達物質放出の方向性を保ちたいわけである。

現在、まあ、貧富の差、あるいは生活の差はあれ、どなたもそれなりに生命維持に関しては現在の状態で、なんとか無事に保てているわけである。

たとえば神社にお参りして心に願うことは、基本的には「悪いことが起きませんように」というのが普通であるわけである。


これがいわゆる「厄除け」「厄祓い」の本質であるわけである。

これは言い換えると「現在のまま平穏無事過ごせますように」ということである。

これを「平穏無事な今の暮らしがぶち壊しになりますように」なんてお願いする人は、よほどマニアックな人以外にはおられないわけである。

ところが、実は「運命変革の法」は、「脳」にとっては、いってみれば「平穏無事な今の暮らしをぶち壊しにする法」ということであるのである。

たとえば、極貧赤貧の現状でもなんとか生命を維持てきている状況であるので、脳としてはできるだけそのままそーっと状態を保つことを最良と判断して、それを保とうとする方向性にエネルギーを集中するわけである。


脳にとってはそれなりに生命維持に問題がない現在が最良であって、逆に生命維持に問題が生じる可能性がある「変化変性」は最悪であるのである。

その極貧赤貧の人に共通する「運が悪いことが最良」とする脳の方向性を、「運が良いことが最良」という、極貧赤貧の人の脳にとっては「最悪」の方向性に無理やり変えるわけであるので、脳はいーろいろとあれこれの手を尽くして反抗抵抗してなんとかそうならないようにしようとするわけである。

まあ、しかし、それでも、無理やり極貧赤貧脳にとっての生命維持に問題のある方向性に変えるべく「開運の法」の言霊を唱えると、外側から脳に方向性の修正を加えることになるので、反抗抵抗しても、わずかながらその方向性は揺らぐのである。


ここである。

ここがポイントであるのである。

ほんの少しの揺らぎを、脳が激烈に嫌がる変化変性の突破口にするわけである。

しかし、その揺らぎは言霊を唱えるのをやめると、即座に脳にとっての生命維持の観点から元に戻ろうとするわけである。

それで、そのまま放っておけば、せっかく突破口を作っても、もちろんその突破口はどんどん速やかにシュシュッと閉じて、象気功常設タームの元の木阿弥になるわけである。

常設タームってどうなのかね、他に適切なお言葉はないのかね、ないな、まあいいか。


とにかく、言霊を唱えて、脳をツンツン突付くと、意識ではどう思っていても、脳はその方向性に揺らぐのである。

これが言葉言語の意味による「言霊(コトダマ)」が脳に与える効果である。

まあ、「運命変革の法」で言う言霊とは言葉の意味によって脳に影響を与える「コトダマ」のことであって、真言などの脳身体にその音が直接影響を与える「コトタマ」ではないのである。

ややこしくなるので、ここからは「コトタマ」と「コトダマ」に分けて表記するのである。


なぜそれを最初からやらないのかとゆーと、言うまでもなく象気功はその場限りの出たとこ勝負の口から出まかせ神のお告げの御筆先であるからである。

わははははははははーっ

いや、べつに笑わなくてもいいのであるが、まあ、一応笑っておくのである。

まじめに読んでる人は災難だねしかし。

ううむ、飽きちゃったのでコーヒーを飲もう。


つーことで、さてさて、飽きちゃってもコトダマとコトタマになった言霊はいったいどうなるのかならないのか、史上最大の無駄話サイト象気功は次回も無駄話がさらに加速するのかしないのか、書けば書くほど読者が引いてドン引き綱引き地引網幕引き寸前崖っぷちをそぞろ歩きもふらふらと神のお告げ啓示神示この世の建て直しぶち壊し打ち壊しはいったいどこへ行くのかあたしにだってわからないあるよわたしあたまおかしいあるよとほほほのほ。

だめかな。

続く。

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