象気功
象気功

本日の御神託


重複表現


ああ、頭痛が痛い。

てなのを重複表現というわけである。

このように同じ言葉や意味の同じ言葉を重ねて重複したものを重複表現というわけである。

もちろん「重ねて重複」も重複表現である。


「離発着」もそうであるし、「第一回目」も「被害を被る」も「過半数を超える」も「不快感を感じる」も「射程距離」も「元旦の朝」も「最後の切札」も「一番最初」も「一番最後」も「存亡の危機」も「お体ご自愛ください」も「加工を加える」も重複表現である。

しかし、まあ、お気づきのように、これ話し言葉ではふつーの表現であるのであるが、書き言葉では「いけません」とされていて、そこで、書き言葉のアマチュアの素人さんが大手の一流の立派な本を出版する出版社から本を出版して本屋の本売り場の本棚に本を並べて売って販売したいなんてえときは、それをお仕事にしているプロの物書きであるライターのご商売となるわけである。

それを職業にしているプロの物書きであるライターは大体このへんのあたりの「いけません」「してはいけません」「やってはだめ」「絶対厳禁」「馬から落馬」というよーな程度のことをいーろいろたーくさんたっぷりとご習得お習いお勉強になっておられるので、正確で正しい間違いの皆無に無い日本の日本語の文章の文の文脈文節を文書にお書きになるのであるが、それが面白くてゆかいで楽しいうれしい文章の文になるかどうかは、はっきりと明瞭に明確に断定して断言できないのである。


まあ、それでなんで重複表現が書き言葉ではいけないかというと、まあ、べつにたいした理由でもないのであるが、「読んでる読者が同じ重複した言葉が重なって退屈で飽きるから」てなことが最も大きな最大の理由であるのである。

つまり、もともとは出版社側の売らんかなの理由であるわけである。

意味のないどーでもいい無駄ないらないものを無くして、文章の文中の文の言葉の語句の語彙を削ってそいでへぎとって削ぎ落として文章の文を構築して組み立て築かないといけないという禁止のやってはいけない根本的な基本の基礎の規則のルールであるのであるのであるであるのである。

まあ、どーでもいいやね。

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