象気功

本日の御神託



登校拒否


まあ、秋も終わりの時期になんであるが、あたしは夏が好きである。

これは子供時代の楽しい夏休みの記憶が影響していると思うが、逆に学校が嫌いであったわけである。


学校が嫌いという子供は珍しくもないと思う、とにかく学校に行くことが毎朝死ぬほど苦痛であったのである。

学校に行けば友達もいて楽しいこともないではないわけであるが、とにかく授業という長い拘束時間を、当時は日曜以外の毎日強いられることが子供心に非常に苦痛であったのである。


その苦痛が7月20日からぽっかりと無くなって、そこから1か月以上極楽の日々が訪れるわけである。

毎日朝から好きなテレビの子供番組を見て、そのあとは近所の子供と1日遊び惚けて、夜はまた好きなテレビを見て、プールだの海水浴だの昆虫採集だの夏祭りだの盆踊りだの、これはもうたまらん日々である。


それがあっという間に終わって、9月になると、また毎日長時間拘束の監獄状態になるわけである。

小学校に入学してからそれが1年続いて、子供心に限界が来たと思うが、2年生の夏休み前に学校に行かなくなってしまったのである。


何日ぐらい行かなかったのかは定かではないが、母親に「学校に行け」と言われて「腹が痛い」とかなんか言ったような記憶があるので、一応何か言われたとは思うが、そのままなんとなく学校に行かなくなってしまったのである。

まあ、とにかく夏休みの前にいわゆる登校拒否になってしまったわけである。


当時は登校拒否なんて言葉もなかったので、親が学校側になんと言ったのかはわからんが、学校側も特に何も言ってくることもなくて、かなり早めの夏休みになったわけである。

ところが、休んでみると近所の子供が誰もいないのである。

当たり前である、みんな学校に行ってるのである。


これは予想外につまらなくて非常に寂しい限りであったことが記憶にあるが、それで、やることがないので一人で地面に絵を描いたりしていたら、近くのお寺の息子であった担任の若い男性教師が帰りの道すがら自転車でやってきて通信簿を渡されて「学校に来なきゃだめだよ」てなことを言われたのである。


それで、9月になって何事もなかったようにまた学校生活に戻って、そこからは登校拒否しなくなったのである。

つまり授業という名の長時間の監獄生活よりも、誰もいない孤独感の方が辛いということが子供心に理解できたわけである。
(2021/10/17)

Copyright (C) Zoukikou All Rights Reserved 無断転用転載厳禁 プライバシーポリシー Contact