気功の穴
象気功


手でチャクラを開く

手でチャクラを開く・その9

まあ、なんである、人生あるいは運命というものは、まさに神の思し召しのままにである。

自分の意思あるいは努力で人生は開けるなんてとんちきなことをさも真理のようにのたまうホラ吹きのインチキ啓発書がこの世に溢れかえっているわけであるが、すべてインチキである。


その人が努力するかしないかも、もちろん神の思し召しである。

精神エネルギー自体が神の思し召しであるから、やる気のあるものはいくら止めてもやるし、やる気のないものはたとえ命が危なくてもやらないのである。

そのエネルギーのありどころのひとつであるチャクラを神の思し召しに逆らって、勝手に開いてしまおうというのが、現在進行中の「手でチャクラを開く」である。


努力のもとである「やる気」てなものは、人によってえらい違いで、ほっといても爆裂的に働く者もいれば、人に会うのもいやで家に引きこもったままで親がかりのまま40代50代を迎えるものもいるのである。

また、その格差の原因には体調の問題もあるわけである。

体調がすぐれず元気がなければ、働こうにも働けないのは当たり前である。

その原因はエネルギーの枯渇である。


このエネルギーはいわゆるクエン酸サイクルで生み出されるATPとは違い、「なんだかわからない波動」である。

それを気功あるいは東洋医学では氣と表現し、ヨーガではプラーナと表現しているわけである。


氣もプラーナも呼吸に関するタームであるが、つまり、まともな医学も何もない古代の皆さんは、呼吸によってこの世のエネルギーである氣あるいはプラーナを身体に取り入れてエネルギーとしているとしたわけである。

もちろん呼吸は空気中の酸素を取り入れ、いらないものを吐き出すという人体の根本的生命活動であるが、氣あるいはプラーナと称したものは波動として、それとは別にあるわけである。

氣やプラーナはある意味カルト扱いである関係上、現代医学ではお笑い扱いでこれをまともに研究するものがいないので、いまだに「なんだかわからないもの」である。


呼び名はどーでもいいが、とにかく現代医学でもなんだかわからんものが、人体を支配し、運命を左右しているのである。

その「なんだかわからんもの」はチャクラあるいは経穴あるいはツボあるいは部位てなものに凝縮していて、その通常時に放出される量は人によってさまざまである。

その量によって人間の活動量が左右されて、さまざまな人間が交錯していわゆる「縁起」が形成され、この世が面白おかしく楽しくなるわけである。


面白おかしく楽しいのはもちろん神の視点で、最下層の悲惨な人生を余儀なくされるあたしらゴミくず人間はたまったもんじゃないのである。

そのことに気づいた大昔の少し知能の高いものが、鍼灸や指圧や按摩やポーズや呼吸法や真言あるいは言霊あるいはマントラやその他の修行法などでその部位を刺激してエネルギーを放出して人体をよりよい状態にする方法あるいは技法あるいは技術あるいはメソッドをあれこれ考案したわけである。

そのなんだかわからんエネルギーの量によって人間の人生あるいは運命が左右されるわけであるが、その量を神の決めた範囲内から勝手に逸脱する方法のひとつが「手でチャクラを開く」ことである。

続く。
(2022・01・15)

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