象気功

象気功

昇降練氣



意識功


先日、コーヒーを毎日飲むものは飲まないものより寿命が長い上に、さらに認知症やアルツハイマーに罹患する度合いが低いつーよーな研究結果のレポートがおべいこくで出て、かふぇいんちゅーどくのあたしはしてやったりと心からほくそ笑む今日このごろであるが、しかし、これ、せんそーを始めとして何に関しても業界財界からの圧力でことが進行するおべいこくの調査だけに、コーヒー業界からの圧力は否めないだろうから、そのまま鵜呑みにしてがぶがぶ飲んでると、数年後には、実はコーヒーは毒性が強いなんて研究結果が出たりすることもないではないとゆーよーなことが今までの経験で数々あったので信じることは救われない場合も多々あるのである。

ううむ、長いな。


まあ、カフェインの語源がコーヒーであるから、お目目パッチりおつむスッキリで、注意不足による交通事故およびその他の事故による死亡は少なくなるだろうから、そのへんのことも加味すると、疾病による死亡が減るということではない可能性も多々あるわけである。

さらに、日本よりもコーヒーを多量に飲むおべいこくの方が平均寿命がはるかに短いのであるから、まあ、コーヒーよりも根本的な食習慣の方が寿命には問題であるわけである。

これをコーヒーに限って大騒ぎして、寿命が伸びると言ってるところにおべいこくコーヒー業界のなんらかの意図が見え隠れして、あたしらコーヒーマニアでさえも、ふふーんつーよーな反応をするわけであるが、まあ、なんである、コーヒーってホントにいいもんですね。

だから、うるせーよ。

つーことで、いつもながらみごとなフリートークの花も満開に咲き乱れ、あなたもあたしもあそこもここもあったまったところで、本日の本題に入るのである。


前回は言うに事欠いて鉄扉感覚てなことをホラ吹いたわけである。

まあ、それで、開合功では、その鉄扉感覚を持って、命門さらに各チャクラの前で手の開合開閉を行えばよろしいわけである。

もちろん、昇降練気では、目の前に存在する宇宙の氣道である象管の中を、手を腹部から頭部のあたりまで上下に上げ下げするわけである。

その上げ下げする際に、チャクラ・ナディ・経絡は特に意識する必要はないのである。

言ってみれば「手」に意識を集中するのである。

象管の中の格段に濃密な氣を手で捉えるわけである。

手が育つことがあなたの氣が育つことでもあるのである。

当然、それでは手のないものはどーするんだ?という疑問が出てくるわけである。

しかし、そこがトーシローの浅はかさであるのである。


手に「意識」を集中するということは、本体は「意識」であるということである。

手という感覚器官を通して意識を操作し、意識である氣道を育てるということである。

つまり、手がなくても意識のみの昇降上げ下げをすればいいわけである。

真綿感覚だの鉄扉感覚だのと解説しているが、それは氣に関するトーシローの皆さんにわかりやすく説明する便宜的な方法である。

すべては意識が本体であるので、もちろん氣の本体は意識であるし、あなたの身体の本体も意識である。

すべてが意識によって存在するのであるから、その意識の介在としての手を使うだけであって、手が無くても昇降練気あるいは開合功はなんの問題もなくできるのである。

簡単に言うとイメージによる昇降・開合である。


それにはもちろん、完全な氣感が必要である。

ただ単にイメージで手を昇降開閉しても意味はないのである。

そのときに、イメージの手が真綿感覚あるいは鉄扉感覚の氣を捉えなければならないのである。

それができれば、立つ必要もないので、座っていても、寝ていてもできるのである。

しかし、これには完全な氣感と相当な熟練熟達が必要であるので、まあ、普通に手をご使用になれる皆さんは、手に意識を置き、それを意識である象管の中の意識である氣の中を昇降上げ下げして、真綿感覚さらには鉄扉感覚をつかみ、意識である氣道に圧力をかけることを意識することが意識で意識の意識を意識でちゃんちゃんである。

もーしわけありません、めんどくさくなってでたらめになってしまいまふた。

たとえば、寝たまま、意識だけを動かして氣道を育てても、筋肉が萎縮して動けなくなっちまうので、まあ、いわばインド方面の座禅マニア代表の達磨師匠のように、洞穴の中で動かないで意識だけを育てようとするとアホ丸出しのなんのこっちゃになるのはゆーまでもないことである。


当たり前をもっとーとする象気功は、生活の基盤である筋肉を、その人の身体の条件で可能な範囲内でこよなく育てることをご推奨申し上げるわけである。

深層筋、骨格筋に関わらず、筋肉を育てることは、氣道を育てることよりも優先するのは当たり前である。

起き上がれるなら起き上がる、座れるなら座る、立てるなら立つ、歩けるなら歩く、走れるなら走ることが、氣を云々するよりも重要である。

できる範囲内で動き、筋肉に負荷をかけ、筋肉を育てるあるいは維持することは生命活動の根幹でもあるのである。

氣道・ナディ・経絡は放っといても、それなりに機能するようにできているのである。

しかし、筋肉は放っとくと、どんどん萎縮して身動きできなくなるのである。

もちろん脳も放っとくと脳軟化を起こして、若年性認知症てなことになるので、どんどん負荷を掛けなければならないのである。


立つこと動くこと筋肉を使うことは、脳に負荷をかけるということでもあるのである。

そのことにより、氣道はそれなりに維持されるのである。

しかし、「それなりに維持」では、あなたのちんけでしょぼくて情けない人生行路は暗夜行路のまま終焉を迎えて、人生という舞台の緞帳がするすると降りて、お芝居も終わりとなってしまうのである。

それを花舞台とするために、あれこれの方法で無理やり氣道をなんとかするのが象形流気功法メソッドであるわけである。

つーことで、昇降練気はおしまいである。

まあ、あっさりね。

完。

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