象気功

象気功


昇降練氣



功法解説3


まあ、とにかく、昇降練氣である。

これが、手を昇降上げ下げするだけであるが、基本的にあたしが個人的に勝手にやってただけであるので、なかなか、これを実際に言語で説明しても実際の動作が伝わるかと言うと、これが読者個々の読解力によってさまざまである。

それで、ここはひとつ神の助けのゆーちゅーぶを片っ端から探していたら、これが、かなり近いものがあったのである。



台湾のせんせーによる気功のレッスンのようすをupしてあった中にこれがあったのである。

まあ、このせんせーは上下丹田練氣法てなことでご解説なされていて、昇降の上下の幅が臍から胸辺りとしており、多少、象形流昇降練氣とは違うのであるが、おおむねざっくりとこの動きで間違いではないのである。

大センセーに対して、間違いではないとは不遜の極みと言われればぐうの音もぷーの音もでないのであるが、このせんせーは、站椿もみごとに重心つまり首の付け根が前足部に乗っており、完全に氣がわかってらっしゃるのであるということをあたしからも保証書をつけておくのでご勘弁のほどをなんてねなんてねーってかああああっ。


やけくそかよ。

つーことで、動画の後半では開合功もやっていて、その開合功も象形流開合功よりも手の位置が高いのであるが、まあ、命門を意識するということを他の動画でおっしゃってるので、これが実に香ばしい動画である。



その「他の動画」である。

まあ、いずれにしても、重心のかけ方と言い、膝の緩みと言い、このせんせーの站椿のみごとさだけでも見る価値のある動画である。

このセンセーは開合功を命門丹田練氣法つーことでご解説なされていて、手の高さを臍ではなく胸の高さで開閉しているのであるが、臍と命門を解説なされており、命門意識で開合功を行うというところは、象形流開合功と同様であるので、参考にしてだいじょーぶである。

しかし、手の高さにより、開くところが違うということにはこのセンセーは気が付いておられないのである。

ここが神のお告げと、伝承受け売りの違いである。

伝承はセンセーがお習いになったセンセーのやることをそのままやみくもに信じることで成り立つのである。


不肖象師匠はジーザスさんやシッタルダさんその他のホラ吹きの生まれ変わり神の子不思議な子であるので、大昔のそのへんのおっさんが作ったものをそのまま受け入れるなんてことはないのである。

あくまでも、あたしの実践から紡ぎだした秘儀奥義秘薬毒薬あのねのねであるので、いわば象形流オリジナルである。

似ていて非なるものである。

象形流気功法だけが、唯一、神の御手に近づき神々しい光を放つ金科玉条のあれこれそれこれのれそれは基本的には穴子の稚魚である。

ううう、飽きて来たので文章がでたらめになってるのである。

まあ、ホラ話与太話はともかくとして、ちゅーごくの文革のときに、有名気功家の多くが台湾にお逃げになったので、台湾はちゅーごく本土よりも気功のレベルが格段に高いのである。

現在、ゆーちゅーぶに上がってるちゅーごく本土の気功に至っては、ほとんどが体操の類いで、気功かどうかも怪しいものを、大師老師と自称する妙なおじさんやおばさんが笑わせようとしてるとしか思えない妙な動作でやってるので、皆さんの参考としては、まったく使えないものが大半である。

だから、ちゅーごくで習ってきたと称する日本人のせんせーの教室で必ずしもまともな気功法を教えているわけでもないわけである。


あるいはそのセンセーがちゅーごく人であっても、とんちんかんな気功法である場合も多々あるわけである。

さらには、とても氣が分かってるとは思えないのにビデオや著作が多数あり、以前に某国営放送で教えていた日本の気功の権威であるデブセンセーご本人が、自分の意志薄弱による食い過ぎが原因の糖尿病を始めとしたもろもろのお病気をこじらせて、それがどーやっても治らないので、その悩みをあれこれブログで書かれていて、「おいおい、それじゃ、あんたの教えてることは病気になる方法かよ」てなツッコミも入れたくなるのであるが、まあ、それが日本のヨーガや気功のグルやあれこれのセンセーや教祖の現状である。

そこに、日本のあちこちの神社仏閣の石段急段を駆け上がり、体力自慢健康自慢金持ち自慢をこれでもかと見せつける不肖象形流気功法宗家象師匠が世界の気功界に一石を投じるてなわけであるが、まあ、基本的に神のお告げの口から出まかせであるため、さらにでたらめであるのは否めないのである。

ううう、いかん、悪口を言いすぎて、何を言いたのか方向性が見えなくなってしまったのである。

えーと、まあ、それで、站椿と開合と昇降があれば、氣を作るということでは鬼に金棒、猫に小判、馬の耳に念、仏豚に真珠、カマキリに鎖鎌である。

つまりは、これをひとまとめにして、站椿開合昇降としてもいいわけである。

象気功はなんでもいいのである。

その先には「こだわらない」」という、お釈迦様の教えをこよなくてきとーに成就する神の思し召しがあるわけである。

神も仏もいっしょくたにして、次回も昇降練氣の摩訶不思議健康成就運気上昇のひとくさりでご機嫌をうかがう予定であるが、神罰が当たるのか仏罰が当たるのか、高天原と菩提樹に念誦をわめいてああうるさいうるさいうるさい耳のそばでとびおりろとびおりろとささやいてるのは誰だ。

びょーいんに行かないとね。

続く。

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