站椿功・立ち方 まず、立ち方である。 站樁功は、立たなければ始まらないのである。 站椿の站は「身を起こす、屹立する」ということであり、樁というのはワード・ソフトの都合上「つばき」を当てているが、本来は「杭、くい」ということである。 つまり站椿の意味は「杭のように立ち続ける」ということである。 延々と長時間に渡ってずーっといつまでも絶えることなく、何もせずにバカ丸出しで大事な人生の時間を潰して立ち続けるということである。 では、なぜ、そんな人生の暇つぶしが重要視されるのかということである。 まあ、気功法のあれこれの云々以前に、生理学上も、立てば重力がかかるので骨密度が上がるのは当然であるし、立つこと自体がバランスを保つことであるので、インナーマッスルは常に活動状態になるのである。 これの逆が寝ることである。 寝れば骨に機械的刺激が掛からないので骨細胞の活性度が下がり、破骨細胞の働きが骨芽細胞の働きよりも勝って、骨粗しょう症が進行するのである。 骨細胞の活性度が下がれば、骨を作らなくてもいいのであるから、全身の臓器の活性度が下がって、身体が弱るのである。 たとえば半年寝たきりになれば、骨はえらいことになるのは、どんなパ~でもわかることと思うが、これは骨だけでなく、全身の臓器の働きも悪くなり、活性度が下がり身体が弱くなるということである。 また、筋肉の面から言えば、たとえば身体を起こすだけでも、女性でもざっくりとだいたい50㎏の重さを持ち上げるということであるので、大変な筋力を必要とするのである。 さらにこれを立たせて、長時間その姿勢を保つというのは、全身の筋肉や腱に大変な負担が掛かるということであるのである。 試しに50㎏のバーベルか、コメ袋10㎏×5袋か、2㍑のペットボトル×25本を持ち上げてみれば、その作業がいかに大変かわかるのである。 立つということは常時その重量を支えるということである。 まあ、上半身はその重さの半分としても、膝から下の骨と筋肉には、ほぼ全身の重さが掛かるわけである。 そのことにより、骨も筋肉も強くなろうとして、骨を作り筋肉を作るために、全身の臓器内臓が働き、細胞の活性度があがり、活き活きと生命活動に勤しむわけである。 だから、氣がわかろうがわかるまいが、站椿功のまねごとを数分でもやれば、健康には大変よろしい効果があるわけである。 しかし、目的がその程度であれば、べつにウォーキングでもいいし、ジョギングでもいいし、お散歩でもいいし、お買い物でもいいし、お掃除でもいいわけである。 しちめんどくさい正しいやり方だのなんだのをあれこれ指導する必要はないわけである。 では、站椿功と普通の立ち方とは何が違って、それをやると何が起きるのかということである。 それで、站椿はもともと格闘技の鍛錬法として流布されたことであるので、筋力強化のためのアイソメトリクスであるとか、さらには心肺機能を強化するためであるとか、足腰を鍛えるためであるから腰はできるだけ低くした方がいいとか、まあ、どこのセンセーもこの手のことをさもわかったようにおっしゃるわけであるが、本来の「本質」あるいは「目的」はそこではないのである。 また、長時間同じ姿勢をすることにより、上半身の力を抜き、放鬆つまり弛緩をつかむためであるというのも違うのである。 また、立禅という名の通り、瞑想状態で行い、心つまり精神を養う方法であるというのも違うのである。 それでは站椿功の目的はいったい何なのかということである。 站椿功は「氣を効率良く体内に発生させ、氣道を拡張拡大するための方法」である。 站椿功の「立ち方」の第一は、「站椿功は格闘技としての強さのための下半身鍛錬、あるいは筋力強化である」という概念を捨て去ることである。 さらに、「站樁功は立った状態で行う瞑想である」という概念も捨て去ることである。 さて、怒涛の氣を発して氣道の拡張拡大を果たすためには、いったいどのように立てばいいのかという本題にはいるわけであるが、残念なことに本日はお時間となりましたので、わあわあゆーとりますが、さいならー。 ううむ、包括的なビジョンがあるとは到底思えんが、大丈夫なのかね。 続く。 |
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