象気功
気功の穴
象気功


站樁功
タントウコウ



手9・肩を緩める


気功の大前提は、何はなくとも放鬆・弛緩であるから、站椿功においても、どこにも力が入らない、つまり、限りなく緩めた状態が望ましいわけである。

まあ、本来は、緩めることと力を抜くことは違うのであるが、初心者はとりあえず全身の力を抜くことから入るのがよろしいのである。

さらには、上級者においても、怒涛の氣を効率よく発するということにおいての究極は全身をいかに緩めるかということであるので、そのへんのあれこれを解説するわけである。

限りなく緩めるといっても、象形流站椿功において緩めるというのは、意識が反映される表層筋を緩めるということである。

その上で、無意識下で働く深層筋にテンションをかけて氣を生み出し、さらに手から氣の玉に氣を送り圧力をかけるということである。

弛緩の反対は緊張であるのである。

緊張とは力が入ることである。

弛緩とは力が抜けることである。


何度も言うが、このとき力を抜くのは表層筋である。

身体を屹立させている深層筋群の力が抜けたら立っていられないのである。

深層筋は勝手に働く筋肉である。

意識で力を抜くことができるのが表層筋である。

意識で全身の表層筋を緩めて立ち、毛細血管が著しく多い深層筋にテンションをかけ、血流を促進してそのことにより氣である波動を作ることが站椿功の基本である。

とにもかくにも、站椿功の大前提として「全身を緩める」ということがあるわけである。

そのとき、さらに精神・心を緩め、考えることをやめれば立禅となるわけであるが、あたしらみたいな能無しが考える事をやめたら、さらに脳神経細胞が萎縮して脳軟化を促進して、ぱーがさらにくるくるのつくぱーになるので、ぱーのあたしらは高邁高尚な精神状態を獲得するなんて無謀なことはあっさりと捨てて、ただ全身の表層筋を緩めて立てばいいのである。

しかし、人間の仕組みは面白くできていて、精神・心が緩まないと身体・肉体が緩まないのである。

心の緊張は、即、身体の緊張となるのである。


精神と肉体は深く連動しているのである。

だから、この逆の連動もあるのである。

身体・肉体が緩めば精神・心は緩むのである。

心が緊張すれば身体が緊張するのはご経験のとおりであるが、逆に身体・肉体が緩めば精神・心が緩むということも理解しなければならないのである。

精神で精神を操作することは実に困難であるが、身体と精神が連動しているということを知れば、身体を緩めることが精神・心を緩めることであるということが理解できるのである。

この精神状態ということが一番反映されるのが「肩」である。

この場合の「肩」は三角筋はもとより、頸椎を取り巻く僧帽筋周囲の筋肉群も含めての肩である。

たとえば、一般的にいわれる通り、緊張すると肩に力が入るわけであるが、逆に肩の力が抜ければ緊張がほぐれるのである。

ところが、この「肩の力を抜く」というのは中々できそうでできないことである。

人間は何かにつけ肩に力を入れて生活しているのである。

思考することイコール肩の緊張であると言ってもいいのである。


寝ている時でさえ肩に力が入っているのである。

人間の煩悩である恨み、辛み、妬み、嫉み、憎しみ、悩みてなことになると、これはもう、肩の力は入り放題で、何かが肩にのしかかっているような状態になり、ひどい場合は健康を害して日常生活に支障が出る人もいるのである。

これを霊の仕業と称して金儲けに利用する詐欺師が後を絶たないわけであるが、その霊の正体は、あなたの精神状態が肩に反映されて、血流血行を阻害して全身の健康状態に影響を及ぼしているということである。

肩の筋肉が常時緊張していると、脳と身体をつなぐ頚椎周辺の重要な部位の血行血流が滞り、脳に酸素・栄養素がうまく送れなくなるのである。

なにしろ脳と体を繋ぐ部位であるので、重要な血管や神経組織が多々存在しており、それを狭窄・閉塞するわけであるから、そりゃ具合が悪くなるわけである。

一箇所の血流が滞るということは全身の血流が滞るということでもあるのである。

さらには一つの細胞の不調は全身60兆総ての細胞の不調であるのである。

人間の身体は総てが連動しているのである。

一つの細胞の変調も全身に影響を及ぼすのであるから、肩周辺の三角筋・僧帽筋などの大きな筋肉群や組織が緊張し血流が滞れば、全身に大きな影響が出るのは当然である。


何度も解説しているように、気功の目的は、全身の血流を促進し、全身にくまなく血液を送ることにより酸素・栄養素を全身60兆の細胞の隅々まで運ぶことである。

血流促進のための気功の基本中の基本が放鬆・弛緩である。

そのためには、最も緊張しやすい肩の力を抜くことが放鬆・弛緩の最重要な案件となるわけである。

なにしろ案件である。

言葉の用法が間違っていようがなんだろうが案件である。

スワイショウはその最たる方法であるが、たとえば、一番簡単な前後に手を振るだけで病気が治ったなんて話は、つまりは肩の筋肉群が緩んで、血行・血流や神経組織の伝達が改善されて、健康状態が改善されたということである。

まあ、とにかく、要は肩をいかに緩めるか、さらには全身をいかに緩め、気功法全般で一般的に言われる「上虚下実」の身体をいかに作るかということである。

逆に言えば、ことほど斯様に肩の力を抜くことは困難であるということである。

しかし、肩の力を抜かなければ、氣は上がり、丹田は空になり、氣の力は養成されず、発勁も空勁も発揮されないわけである。

効率よく氣を高めるためには、とにもかくにも、肩を緩めなければならないわけである。


座禅瞑想メディテーションはそのことを精神状態で成就しようてな方法であるが、それには精神コントロールの修行が必要であるので、古来よりあれこれのめんどくさいメソッド・カリキュラムが考えられてきたわけである。。

たとえば、座禅のときに、油断してるといきなり警策てな名称の板で肩をどやされるのはそのことであるわけである。

瑣末な思考により肩に力が入るので、それを目ざとく見つけてどやしつけるわけである。

人をどやしつけてる暇があったらお前がやれというごもっともなご意見もあるのは当然であるが、その僧侶にとってはそれもお仕事であるので、浮世暮らしはいたしかたないのである。

しかし、どやしつけられなくても、スワイショウや肩回しをやるだけでも肩は緩むのである。

肩が緩めば精神・心が緩むのである。

精神・心が緩めば、全身が緩み、血行が促進され、氣が充足するのである。

氣が充足すれば、さらに全身の毛細血管が開き、酸素・栄養素が全身の細胞にくまなく運ばれ、脳も含めた全身60兆の細胞の再生及びメンテナンスが滞りなく行われるのである。


その途中で、あれこれの脳内伝達物質が放出されるために、素晴らしい境地だの至高体験だの超能力だの、果ては空中浮揚だの瞬間移動だのと幻覚妄想おつむの異常おびょーきも含めていろいろえらそーにほざくわけであるが、ほざいてるやつにろくなやつがいないのはご存知のとおりで、そんなアホなことが目的ではなく、人生の第一義の健康・老化防止、しいては無理無体な不老不死が本来の目的である。

まあ、もちろん不老不死はこの先の遺伝子工学・分子生物学等の遺伝子研究を含めた医学・生理学などの科学者のご活躍に待たなければならないわけであるので、現実的には不老長寿がその大眼目であるわけである。

誰でも時間の経過とともに老化が進行して、毛細血管が狭窄閉塞して、細胞のメンテナンスが行き届かなくなり、免疫力も低下して、あちこちに問題が出て、おびょーきになりお亡くなりになるわけである。

つまり、健康というのは老化防止と同義であるわけである。

老化というと老人の話かと勘違いするわけであるが、20歳を過ぎればすでに老化は始まり、どんどん毛細血管は狭窄し、閉塞し、壊死し、萎縮していくのである。

だから、肌ツヤだけを見ても、10代と20代後半では雲泥の差になるのである。

そんなこんなで、現在の時点ではナンセンスな不老不死はともかくとして、人間は何はなくとも健康成就が一番であるのは、どなたもご異存がないことと思うのである。

たとえば明日をもしれない重篤な疾病に罹患して酸素マスクを着けて寝たきりになっては、至高体験も三昧の境地も武術も武道も学歴も社会的地位もへったくれもないわけである。


さらには身体の許容量を超えた修行やトレーニングや過重労働などがタタって細胞の炎症あるいは活性酸素過剰で癌や脳梗塞や心臓病でご臨終なんてことになれば、なんのこっちゃであるのはそうとうなくるくるのつくぱーの皆さんにもご理解いただけることと思うわけである。

第一に、メンテナンスの行き届いた生き生きとした細胞の活性化による健康があって、そこから万雷の拍手喝采を受ける現世浮世の夢舞台に立てるわけである。

また、脳も体の一部であるから、脳を効率よく働かせるためには、全身の細胞のメンテナンスが必要である。

他の細胞のメンテナンスが滞って活性度が落ちるということは、脳の細胞も活性度が落ちるということである。

脳の細胞が不活性であれば、つまりパ~であれば、人生がよろしい方向に行くわけはないのである。

細胞の活性度がその人間の運・不運のバロメーターでもあるわけである。

それはとりも直さず毛細血管の開き具合による酸素・栄養素の輸送状態による分子段階のメンテナンスの状態如何ということである。

再生しないと言われる部位の細胞も、分子段階では常に入れ替わっているのである。

また、全身60兆の細胞のメンテナンス順位は同一である。

同一であるから、緊急を要する部位のメンテナンスが優先されて、たとえば指先に傷ができれば、最重要だと思われる脳・脊髄や心臓のメンテナンスはさておいて、そこの工事にとりかかるので、全身の細胞のメンテナンスのレベルが下がるのである。


細胞のメンテナンスの順位は身体のどの部位も等しく同一である。

脳細胞が一位で指先が最下位ということではないのである。

一つの細胞と他の全身数十兆の細胞は等しく同一にメンテナンスを受けるのである。

それがすなわちこの世の組成である縁起である。

ううむ、神のお告げだけにいまひとつ意味がわからんが、まあ、つまり、たった一つの細胞の状態は全身60兆の細胞の状態と同一であるということである。

一つの細胞が活性化しているということは、全身数十兆の細胞が活性化しているということである。

逆に一つの細胞に問題があるということは、脳も含めた全身数十兆の細胞に問題があるということである。

一つの細胞が老化するということは、全身60兆の細胞が老化するということである。

その老化を少しでも遅らせるためには、そのメンテナンス部材物質分子原子素粒子を送る管である毛細血管を開き育てることが重要である。

毛細血管を開き育てるための第一の方法が放鬆・弛緩であるのである。

放鬆・弛緩の第一が肩の緊張を解き緩めるということである。

続く。


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