象気功
気功の穴
象気功


站樁功
タントウコウ


手2


まあ、膝を緩めて尾てい骨を微妙に前に入れて足裏の親指の付け根の周囲から中足部に首の付け根を乗せて全身をリラックスさせて楽な状態で立つと、氣がどんどん作られて、全身に充満して、その充満した氣は「手」から放出されるのである。

ここである、ここが重要である。

いきなり結論である。



しかし、アホなセンセーの言うように、膝を曲げ過ぎたり腰を下げ過ぎたりして、いわゆる空気椅子のような苦しい姿勢になると、あちこちに力が入って氣は発生しにくくなるので、手からの放出はそーでもなくなるのである。

膝は緩めるのであて、曲げるのではないのである。

膝を極端に深く曲げるだの、腰を床に付くほど下ろして汗水たらして我慢するという方法は、気功的あるいは氣を高めるということにおいてはナンセンスである。

気功の基本は放鬆であり、リラックスである。

力が入れば入るほど、苦しければ苦しいほど気功的あるいは氣を高めるということにおいては逆効果となるのである。


しかし、これを格闘技・武術の強さを追及するということを前提とした場合は、足腰強化筋肉強化の鍛錬として、また格闘技・武術における身体の使い方という技術の修練として、馬歩等の空気椅子四股立ち状態の艱難辛苦の站椿も重要となるのである。

とにかく、格闘技・武術においては足腰の強さが基本であり最重要であるからである。

柔道・空手・レスリング・相撲はもとより手のみで打ちあうボクシングでさえも、パンチ力は足腰の強さに左右されるのである。

腕と手しか使わないように見える腕相撲・アームレスリングでも足腰の力が非常に重要である。

格闘技においては、技・技術はもちろんのこと、足腰も含めた筋力が極めて重要であるので、中国武術においても少林拳のような全身を鍛えるトレーニングが行われるわけである。


某空手の大センセーいわく「技は力の内にあり」である。

同じ体格で同じ技術のものであれば、力の強いほうが強いに決まっているのである。

だから、その筋力トレーニングとしての馬歩等の空椅子あるいは四股立ちのような站椿は、立ち会った時の基礎体力としての足腰の基本的な筋力を養成する方法であるわけである。

さらには、格闘技・武術の身体の使い方としての、「立ち方」の技術の養成でもあるのである。


これの代表が足裏脚部も含めて身体の外側の筋肉を使うサンチン立ちであるのであるが、中国武術の站椿も発祥は同様の身体の使い方を覚えるための方法であるわけである。

しかし、站椿のやり方によっては、それ以外の効果があることに気がついた武術家が出てきたのである。

それは、ひとつには氣の密度による時間感覚の違いである。

氣の密度が高いほど、時間を長く感じるため、相手の動きがいわゆるスローモーションに見えるのである。

気功法等の特別なことをしないで自然な状態の場合は、年齢が若いほど氣の密度が高いのである。


だから、子供の1年は気が遠くなるほど長く、老人の1年は瞬く間に過ぎるのである。

若者から見ると老人の動きはのろのろと愚鈍に見えるのは、加齢による速筋の減少ばかりでなく、氣の密度の違いでもあるわけである。

つまり、氣の密度が高まると相手の動きが老人の動きに見えるようになるわけである。

しかし、どんなに相手の動きがのろのろと遅く見えても、相手は老人ではなく、筋力体力を鍛えた若い格闘家武術家であるので、こちらに筋力がなければ、相手を制することもできなければ、攻撃も効力がないわけである。

そのため、筋力の鍛錬に加えて、全身を武器とするようなトレーニンが重要になるのである。


そのひとつが腰を低くおろした馬歩等の空気椅子四股立ち状態の筋力トレーニングあるいはアイソメトリックスとしての站樁である。

つまり、格闘技・武術においては、技の修練と筋力の養成と氣の養成を平行して行うことが道を極める方法であるわけである。

さらには、氣が高まると、発勁・空勁と称される、氣のわかる相手を氣で制圧するという効果もあることに気がついたわけである。

もちろん、これは相手に氣の素養がなければ技あるいは力で対応しなければならないわけであるので、格闘家・武術家にとっては、時間感覚や発勁空勁云々以前に、技と力が重要であるわけである。

しかし、象気功では氣を高めて運命を変えることが主眼であるので、站樁功のその部分を集中的にあれこれするわけである。

続く。

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