象気功
気功の穴
象気功


站樁功
タントウコウ


立ち方9・時間


さて、站椿功は気功法の王道である。

また、発祥の中国武術の王道である。

さらには健康法の王道でもあるのである。

もうこれ、気功に武術に健康に、立っとけばいいという実に単純明快な方法であるが、ところがどっこい、そうは簡単にいかのきゃんたまぶくろであるところが実に史上最強の霊能者であるイカソーメン象師匠の独壇場となるわけである。


これが「正しく」立たなければならないのである。

そら、なんにつけても、「正しい」ということは重要である。

これが正しくないから、パ~と達人との差ができてしまうのである。

間違った方法方向性で日夜呻吟艱難辛苦の時間を膨大に費やしても、効果は得られないのである。

まあ、正しい立ち方と言っても、これまでに解説した程度のことで、怒涛の氣を発することができるほど站樁功は浅くないのである。

深さでいうとマリアナ海溝の底のように深いのである。

マリアナ海溝は地球上でもっとも深い海淵で、エベレストを逆さまにして埋めてもまだ余るぐらい深いのである。

そんなに深い站椿功も、神に選ばれし霊能の使徒である象師匠にかかれば、水面にザザーッと浮かび上がらせてほほいのほいである。

ううむ、いかんな、前頭葉に悪い虫が湧いてる気がする。


つーことで、たかが站樁功されど站樁功、氣は站樁に始まり站樁に終わる、站樁の向こうに站樁が見えるとゆーぐらいその終着点は見えないのである。

見えなきゃだめだろうつーごもっともなご意見もあちらに置いといて、さらに解説は底なしの泥沼に踏み込むのである。

ハスは泥沼の泥の中から水面に茎を伸ばし絢爛豪華な開敷蓮華となるのである。

人間は泥にまみれてナンボである。

きれいな水ばかり飲んでてはあきまへんで。

泥水飲んで酸いも甘いも噛分けな。

商いはしんぼーでんがなまんがな。

なにゆーてまんねん、はよ本題に入りなはらんとみなはんあきれてどこぞへいてしまいまんがなでんがな。

ううむ、いつになったら本題に入るのか、これじゃ怒る人いるよなー。


つーことで話のマクラもほどほどに、さて、明快な解説でお送りしている站樁功のやり方秘訣秘密秘伝秘奥義も、ついに「脊柱起立筋と大腰筋」てな佳境の宴たけなわ花盛りに踏み込んだわけである。

しかし、站椿功としては、まだまだ、ほんの入口の站樁功のたの字ぐらいである。

站椿功を極めることは気功を極めることである。

気功の究極は站椿功にありといっても過言ではないくらい、氣のメソッドとしては完結しているのである。

だから、いつになったら本題は始まるんだっ。

ハイハイ、本題本題。

氣道を拡張し、怒涛の氣を発するためには、「正しい方法」でただひたすら杭のように微動だにせず「立ち続ける」ことが重要である。

その立ち続ける時間は毎日最低1時間以上というような、これ、いってみれば拷問に近いメソッドである。

そして、「正しい方法」を前提として、時間をかけたもん勝ちである。


「正しい方法」を前提として100時間やれば100時間の氣であり、1000時間やれば1000時間の氣であり、10000時間やれば10000時間の氣である。

10000時間の氣のためには、一日3時間の站椿功をバカ丸出しで10年以上続けなければならないのである。

その人生の無駄遣いとしか思えない10年間の膨大な暇つぶしの目的は、もちろん筋力トレーニングでもなく、深層筋、表層筋、随意筋、不随意筋の区別なく筋肥大を目的とするものでもないのである。

たとえば深層筋を構成する遅筋の筋繊維の数は決まっていて、増えることはないのである。

逆に加齢により筋繊維の数は減少するのである。

その加齢により減少する深層筋の筋繊維は、鍛えても表層筋のようにもりもりと肥大することもないのである。

爆発的な筋力を発揮するための筋肉ではないからである。

もりもりと体表に見える表層筋に比較すると、深層筋は小さく弱い筋肉であるわけである。


それでは、負荷をかけても、筋繊維の数も増えず筋肥大も望めない深層筋に継続的にテンションをかけるのはなんのためかということである。

これは毛細血管のかたまりともいえる深層筋を刺激することにより、心肺機能を活性化させ、毛細血管の血流を増加させるということが目的である。

象気功冒頭の気功入門でも解説している通り、氣は人間の場合、主に血管内を血液が通るとき分子原子素粒子のぶつかり合いによる波動であるわけである。

これを理解しないとすべてが理解できないのである。

毛細血管のかたまりと言ってもいい深層筋を刺激することにより、毛細血管の血流を増加させ、そのことにより氣を発生させることが目的である。

さらに、その発生させた氣で氣道に圧力を掛け、氣道を拡張することが目的である。

氣を高めるため、あるいは強くするためには筋力を強化するのではなく、「氣道」を「拡張」することが必要である。


氣道とは経絡でありナディでありスシュムナー管である。

しかし、氣道を拡張するには、とにかく「時間」がかかるのである。

これが、何日、何か月、何年という単位ではなく、10年、20年、30年、40年、50年、60年、70年という10年単位である。

だから、90歳の気功あるいは太極拳の老師が、20歳の若者を撥ね飛ばしたりするという現象が起きるわけである。

氣道は一朝一夕には広がらず、とにかく頑固で硬くて、さらに脆いのである。

氣道は無理に負荷を掛けて限界を超えると、炎症を起こしたり、ときには破裂するのである。

さらには神経組織や血管に損傷を起こす場合もあるのである。

それがいわゆる偏差である。

たとえばクンダリニー覚醒による障害も、いきなりチャクラ丹田経穴を開いたことにより膨大な氣の量が発生して、それを受け止められない氣道に炎症や破裂が起きた症例であるわけである。


人間は無理をするとろくなことにならないという分かりやすい例である。

一度偏差を起こすと、元に戻すのに年単位の時間がかかる場合もあるので、偏差を起こさない範囲内で限界の圧力を効率よく氣道にかけることが必要であるわけである。

それには站椿功が最適最良である。

だから、氣あるいは気功が分かってるセンセーは站椿功を神のやしろのように崇め奉るわけであるが、これはある意味正しいのである。

そうはいっても、氣道ナディ経絡スシュムナー管てなことについては医学的に証明されてるものではないので、氣のわかるものには理解できるが、理解できないものは致し方ないので、鰯の頭も信心からで、信ずる者は救われるわけである。

氣道拡張による効果の概念として、氣道を氣の玉と考えるとわかりやすいのである。

氣の玉が大きければ氣の総量が多く、また、そこから放出照射される氣の量も多くなるのである。


気の玉の大きさが直径1cmであればそのような氣の総量であり、氣の放射放出である。

これが、直径1mであれば、そのような氣の総量であり、氣の放射放出である。

その直径1cmの氣の玉を、直径1m、2mにするには毎日3時間の正しい方法の站椿功を地道に行っても、10年20年30年という気の遠くなるような時間を要するのである。

しかし、これまでに解説してきた「立ち方」で毎日3時間を10年20年30年と正しく励行しても、氣道を拡張するには不足も甚だしいのである。

つまり、ここまでに怒涛の解説で大言壮語してきた「立ち方」のメソッドでただ正しく立つだけでは、何十年やっても、たいした氣道拡張は望めないのである。


立ち方、腰の降ろし方、体重のかけ方、姿勢を云々しても、站椿功の本質には程遠いということである。

「正しい立ち方」の先に「正しい方法」がある。

一筋縄でも二筋縄でも亀甲縛り逆さづりで鞭でしばいてもいかないときはいかないよのもっともっとよあれをいれてこれをいれてこすってもんでたたいてかぶってじゃんけんぽんとゆーぐらいの站椿功の奥深さである。

さて、それでは「正しい方法」とはなんなのか、いったい何をどうすれば氣道をぐぐいと拡張して怒涛の氣を発することができるようになるのかならないのかどーにもならないのかさらにくだらない人生をふらふらとよろめいてがけから転落まっさかさまであの世行きになるのか、口から出まかせ出たとこ勝負のインチキ口舌も絶好調に象気功の明日は晴れか曇りか竜巻かよよいのよいうううもういやだこんなの。

なげーな。

続く。

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