ううむ、えーと、まあ、それで、なんだっけ、ああそうだ、おすもーだ。 まあ、気の悩み相談室掲示板で寄せられる相談の中で多いのが、「不安」「情緒不安定」「気弱」「他人に馬鹿にされる」「軽んじられる」などの社会生活上いーろいろと支障の出る精神状態をなんとかできないもんだろーかとゆーお悩みである。 まあ、神だの霊だの、クンダリニーの覚醒だの、霊格がどーのこーの、霊性がどーのこーの、スピリチュアルがどーだの、氣の色がどーだの、果ては次元上昇だの空中浮揚だの仙道術でサイヤ人になるだのそんなわけのわからない、人生にとってどーでもいいことよりも「気が弱い」「対人恐怖で外にも出られない」「引きこもりだ」「馬鹿にされる」「軽んじられて仕事も人生もうまくいかない」なんてことの方が早急に解決しなきゃいけない悩みであるのはあったりまえっちゃあったりまえなので、くだらない妄想妄言よりもあったりまえのことを最優先する象気功は、とにかく、この「気弱」「不安」「対人恐怖」「消極性」なんてことを解決する丹田の造り方をとにかく、なんでもかんでも方法を駆使、総動員してこれでもかと何がなんでも丹田を造ってしまうカリキュラムを怒涛の解説でお送りしているわけであるが、まあ、「自分は、気なんか弱くないし、不安もぜんぜんない、仕事も絶好調で、人の気持ちなんかどーでもいいし、人生がうまく行って笑いが止まらない、わっはっはっはのはっはー」なんてえ人向けにはお送りしているが、まあ、そんな人は忙しくてこんなサイトを読んでる暇なんかないだろうから、必然的にこのサイトの好き嫌いに関わらず、「人生がうまく行ってない方」が現在もこれをごらんになっていると思うので、象気功はこの世の悩める衆生を正邪賢愚に関係なく総てを救うことがあたしの神からのお指図であるので、これをお読みになってる、「不安」「気弱」「対人恐怖」あるいは「軽んじられて人生がどうもうまく回転しない」という皆さんの丹田をこれでもかとどついてなんとかぐりぐり開いてみようとゆー企画なわけである。 ううう、長いな、ものすごく読みにくいだろう。 でも、めんどくさいので直さないのである。 さて、まあ、「不安」あるいは「氣うつでなーんにもしたくない」なんてえ感情はだいたいみぞおちの上部の巨けつ(こけつ)から肋骨下部の壇中(だんちゅう)あたりの心臓に影響を与える部位に氣が上がると惹起されるわけである。 しかし、この部位には、これまでにいろいろな場面でその理由と原因を何回か解説しているように、心臓には脳に大変良く似た神経組織のICNシステムがあり、その影響で人の立場に立つ、人を思いやる、つまり慈愛、思いやりの精神状態を作り出すいわば、たいへん高級な機能があるわけである。 つまり、この部位は他人への思いやり、慈愛、愛情なんて人間として高級な感情と表裏に不安、恐怖、欝なんて感情も惹起するわけである。 ですから、この部位に意識を置いても、不安もないし、他人に対する優しさ、思いやりなんて感情はぜんぜん惹起されないなんて方はこの部位の氣道が開いておらんので、まあ、間違えると大変非人道的な人間ということになるので、周りの方からは非常に嫌がらているだろうから、その辺に気をつけてと言っても、ううむ、無理か、まあ、法に触れない範囲内で、嫌がられる人生をお楽しみいただきたい。 まあ、つまり、不安、気弱、消極的なんて精神状態をなんとかしようと思うのであれば、この心臓の周りにある意識を他の部位へ持って行ってしまえばいいわけである。 まあ、持って行くと言っても、元々開いている部位は閉じないので、現在閉じている他の部位を開いて「氣道のバランス」を変えるわけである。 頭部へ持って行ってもいいし、足へ持って行ってもいいのである。 しかし、頭部へ持っていくと、氣を生み出す元気の元の下半身の氣道がお留守になるし、また、足だけに降ろすと氣の発生ということで言えば頭部と同様のことが言えるわけである。 氣は下げれば下げるほどいいってわけじゃないのは、まあ、ぱーになるのも含めて、この氣の発生源に関わる問題でもあるわけである。 そこで、大昔のヨーガ、仏教、気功、瞑想、禅などの皆さんが経験から推奨するのが、伝家の宝刀「丹田」であるわけである。 まあ、もちろん、この場合、「下丹田」、いわゆる臍下丹田のことである。 氣も下りて、煩悩不安解消、氣もどんと発生して血流血行快調で元気元気絶好調とゆーけっこうけだらけな部位であるわけである。 しかし、これ、瞑想、禅のように意識で下ろそうとしても、「意識」というものがなーかなか持続しないのは皆さんご経験のとおりである。 「1時間丹田の意識を持続しろ」、なんつっても、ものの5分、いや、1分と持続できないのである。 すーぐ、あれこれ日常のよしなしごとが頭に浮かんで、あれもしなきゃこれもしなきゃ、ああ、あのやろう昨日こんなこといいやがってあったまくるなあ、ああ、腹減った、昼飯はなんにしようか、ああ、おおきなおっぱいはいいなあうへへへなんてーことで、意識はまったく丹田に置いておけないのである。 あのお釈迦さんでもまあだいたいこんなことで、菩提樹の下に座って妄想欲望から脱却できずに大悩みで悩んでいたわけである。 かくのごとく意識、思い、気持ちなんてーのはぜーんぜんあやふやで、いくらその日に一日中大努力で意識を妄想欲望の合間に丹田に置こうとしても、明日になれば元の木阿弥になっているのは皆さんご経験のとおりである。 まあ、でも、これ、意識を置けばぜんぜんそんなことをしなかったときよりはそれなりにその部位の氣道を開きますので、まるっきり無駄ってわけでもないのであるが、なーにしろお釈迦さんでもお悩みの方法であるので、われわれ、欲望、妄想のかたまりの一般衆生にはそれを継続することはぜーんぜん無理なわけであるわけである。 そこで象気功では、妄想、欲望の劫火にこんがり焼かれた欲望丸出し氣が上がって精神状態わやくちゃの香ばしい皆さんのためにだれでもできるらくーな方法をどんどん解説するわけである。 それの第一弾が角力つまりおすもーの気功効果による「丹田の造り方」であるわけである。。 それで、まあ、とにかく、前回解説したように、四股は筋肉の中の主に身体を支える「遅筋」を鍛えるのである。 まあ、簡単にいうと、たとえばボデイビルで鍛えるともーりもり盛り上がる筋肉が速筋であるわけである。 太股(ふともも)もバーベル背負ってスクワットやると、もーりもり太くなるのが速筋であるわけである。 それで、まあ、わかりやすく言えばおもに骨格筋を代表とする随意筋の表層筋に多く含まれるのが速筋である。 速筋という名のとおり、遅筋に比較して伸縮の速度が速く無酸素でも働く筋肉である。 その逆に速筋に比較して伸縮の速度が遅く、収縮に酸素を多く必要とするのが遅筋である。 深層筋、いわゆるインナーマッスルに多く含まれるのが遅筋である。 速筋は持久力は無いが、爆発的な収縮力を発揮し、遅筋は逆に瞬発力はないが長時間にわたって収縮できる持久力の筋肉である。 しかし、骨格筋にも割合は個人差があるが、遅筋は一定割り合いで含まれているのである。 それで、このもーりもりの速筋の本数は年齢とともにどんどん減少するのであるが、遅筋は急激に刺激してももーりもりとは大きくならんが、継続して刺激を与えれば80%は維持できるのである。 ですから、老人は速筋の量が減り、遅筋の割合が多くなるので動作が緩慢になるわけである。 まあ、速く動く随意筋である速筋はもちろん重要であるが、それはひとまず置いといて、気功や太極拳などの氣を扱う場合には、この遅筋が重要になるのである。 タントウコウの章でも詳しく解説したが、氣のメソッドの代表的な気功や太極拳やあるいは呼吸法は、おもにこの遅筋に刺激を与える、いうなれば遅筋を鍛える方法でもあるのである。 多くの呼吸法もたいていはとんでもなくゆーっくりと繰り返すのである。 実は呼吸法も酸素の吸収力に影響する肺活量の増加の目的はもちろんであるが、それ以上に気功効果としては横隔膜などの呼吸に関する遅筋である内臓筋に刺激を与えてその気道を開いているのである。 だから、ゆーっくりと呼吸をしますと呼吸筋の気道に刺激されて、氣道は全身に網の目のように隈なく張り巡らされているから、全身の氣道が開いて血行が促進され、ますます氣を生み出すわけである。 これが呼吸法の気功効果であるわけである。 しかし、こんなこたあ、呼吸法の大センセイでもわかっちゃおらんので、行き着くところは霊だの神だのわけのわからないどーでもいいことに終始して、生徒信者はわけのわからない方向に徒党を組んで突進してあちこちに意味のない大枚のお布施を収めてご満悦なわけである。 まあ、いつも言うようにそれも人生の楽しみ方のひとつであるので、否定はせんが、くれぐれもご家族、ご親族、知人にめーわくのかからない範囲内で充分騙されてお楽しみいただきたい。 まあ、それはともかく、話を戻しますと、遅筋はとにかくゆーっくり動くことによって鍛えられるのである。 それで、遅筋の重要性は速筋に比較して、遅筋に格段に多い毛細血管の量であるのである。 まあ、波動の章で解説したように、血管はいわば次元の違う存在である仮称の素粒氣を母体とした「氣道」そのものとしての存在でもあるわけである。 だから、遅筋に刺激を与えるということは氣道に刺激を与えるということでもあるわけである。 それで、丹田の部位の遅筋というと、これはもちろん大腰筋である。 この大腰筋は、前述の深層筋、いわゆるインナーマッスルである。 まあ、実はこのインナーマッスルの解説からこの章を始めようと思ったのであるが、くだんの事情でおすもーの四股から始まってしまったので後先になるが、まあ、インナーマッスルの解説は次回に譲るとして、まあ、とにかく、四股でゆーっくり片脚を上げて、ゆーっくり止めて、ゆーっくり下ろして、ゆーっくり四股立ちとなり、ゆーっくりじゅーぶんに腰を割り、ゆーっくり立ち上がるとゆーことを日々、何回も繰り返すと主に大腰筋を含めた腸腰筋を中心とした下半身の遅筋に限りない刺激、影響を与えるわけである。 これはどーゆーことかと言うと、まあ、もちろん、体重を利用したウエイトトレーニンも兼ねているので、相撲に必要な大腿筋、大臀筋、腹筋などを中心とした速筋も大きくなるが、ゆーっくりと繰り返すと遅筋に大きな刺激があり、遅筋は、前述しましたように、氣道としての存在でもあるわけであるので、丹田を中心とした氣道を刺激、鍛えるということでもある。 四股は丹田を中心とした下半身の氣道を開く方法でもあるわけである。 まあ、これは余談ではあるが、脚を上げたあと、ペタンと地べたに足を下ろすわけであるが、これは、骨に衝撃があり、骨密度をあげることに、大変、重要、効果的な方法でもあるのである。 骨は衝撃、刺激、負担があると、骨折、破壊を防ぐために骨密度が上がり、衝撃も刺激も負担もないと用がないので骨密度はいくらカルシウムを摂取しても上がらないどころか減少するのである。 極端な例が寝たきりや宇宙飛行の無重力状態ではどのような医学の粋を尽くしてカルシウムを摂取しても骨密度はどんどん低下の一途を示すのである。 おすもーは生身の身体と身体の激突、どつき合いであるし、頭蓋骨でぶつかりそれを胸骨で受けるという、無茶なことこの上ないスポーツであるから、とにかく骨が弱いと話にならないのである。 それで、とにかくまず第一に四股を踏め四股を踏め、と親方衆は口を揃えて連呼するのであるが、その重要性をわかりやすく説明できないから、最近の若い衆は見場のいい、もちろん、おすもーのお仕事には重要なもーりもりの早筋を太くすることに熱心で、ジムやウエイトトレーニングばかりで基本稽古がものすごくおざなりになって、一時期若い力士の続発する骨折が問題になったことがあったぐらいであるが、まあ、その意味でも次に紹介する「てっぽう」も含めて、われわれ一般人にも骨そしょう症を防ぐ意味からも骨密度を上げるのに欠かせない重要な方法でもあるわけである。 まあ、話を戻して、つまり、四股は大腰筋を含めた腸腰筋を中心とした下半身の氣道を開く効果的な方法であるわけである。 下半身の氣道を開けばもちろん氣はいやでも下がるのである。 これが継続されると、精神ではなく、氣道のバランスが大きく変わってどっしりとした、まあ、おすもーさんによくある、うっかりしてるとふてぶてしいととられるようなうれしい精神状態が出来上がるのである。 まあ、最近国営放送で中学生の新弟子と初代若乃花の二子山親方のドキュメンタリーを再放送してたのを見たのであるが、その新弟子は満足に返事もできないぐらい氣が弱く、声を出すことから親方に教育されていたのである。 親方は「みんな最初はこうだ」と言っておられたので、あのふてぶてしいおすもーさんも最初は返事もできない気弱な子供であったのが、稽古でどんどん下半身の氣道が開き10年後には怒声を発し新弟子を脅しかわいがる、一人前の力士へと成長するわけである。 これが、たとえば同じ少年が部屋に引きこもり10年をゲームなどをしながらへろへろうつうつと過ごすと、りっぱな、精神がか細い対人恐怖症の気弱なひきこもりの皆さんになるわけである。 まあ、それで、そのへろへろの皆さんも含めて気弱、消極的、対人恐怖でお困りの皆さんにそれを解決するひとつの手段としてこれを解説しているわけであるが、これを「精神を鍛える」「心を鍛える」なんちゃってるアホな宗教関連のおじさんのゆーことを真にうけて、考え方を変えようと思ったり、意識の置き方を変えようと思ってもぜーんぜん解決しないのはご経験のとおりである。 精神で精神は変えられないのである。 心で心は強くならないのである。 精神や心を変えるには他人や事象などの外的要因でどついてもらうか、自分の身体、肉体を変えることしかないのである。 それで、外的要因の場合は、まあ、宗教やセミナーの悪質なおじさんおばさんに騙されて大金を巻き上げられたりしますので、象気功では家でも仕事場でもどこでもできる、自分で自分の身体、氣道を変えるメソッドを提示しているわけである。 まあ、それで四股を踏むときは腰を深く下ろして四股立ちになり、片方の足に体重を移して、上げる足の膝を伸ばし、息を吸いながら足を上げ、足を上げきったところで数秒止め、下ろして四股立ちになり息を吐きながら腰をさらに割り深い四股立ちになり、体重を上げた方の足に移し、次に上げる足の膝を伸ばして、ゆーっくりその足を上げるということを繰り返すのである。 ううむ、わかりにくいかね。 まあ、要するに、足を上げるときに息吸って、そのほかの動作は吐き続けるってえことだあね。 まあ、これで呼吸が苦しくで困難で続けられないとゆーときは、まあ、お好きなようにアレンジしていただきたいが、無理に息を長く止めるのは禁忌である。 絶対に無理のない範囲内である。 それで、この「足を上げきったところで止める」というところに気功としての最も重要な要素があるのである。 このとき、意識するしないに関わらず下腹部に力が入るのである。 「不随意筋」に力が入るのである。 この不随意筋についてはものすごく長くなるので次回に解説するのである。 そして、下ろして四股立ちになり「息を吐きながら」さらに腰を割るという、「息をながーく吐く」ということも呼吸法として身体を弛緩させ氣道を刺激し開く方法でもあるのである。 四股は下半身の氣道を開くことに関してとにかく優れた気功法であるのである。 しかし、これ、当たり前であるが、動作も回数も、全て無理のない範囲内である。 無理して急激な回数をこなして、身体や筋肉を傷めたら本末転倒であるから、あせらず、毎朝、顔を洗うのと同じような「日々の習慣」ぐらいに考えて、無理せずらくーにできる程度の回数を朝晩踏む程度がよろしいのである。 ものごとは「継続」することが重要であるのである。 単純なこともずーっとやってると必ず何かが見えてくるのである。 ただ、これは前述のニ子山部屋の新弟子中学生のような少年期のまだ細胞も柔らかく、いわば氣道もやわらかい時期から始めれば絶大な効果があるわけであるが、30過ぎ40過ぎ50過ぎまでなーんにもせずにたーだ漠然と歳を取り、ああ不安だ気弱だと無駄に歳を重ねて身体も細胞も氣道もかたーくかたくかちんこちんに凝固寸前に向かって進攻している皆さんには同じ効果はもちろん望めないが、とにかく鉄は熱いうちとゆーとーり、早いに越したことはないのであるし、まあ、やらないよりゃやった方が確実に好転するので、あたしも含めた中高年の人生を諦めかけてるおっさんおばさんもどんどん四股踏んで横綱大関親方の日本中からのバッシングを「屁のツッパリ」と受け流す大丹田にあやかるべく精進しても損はないのであるよほんとに。 それで、次のお題の基本稽古の「てっぽう」は、てっぽう柱といわれる太い柱に向かって突き押しの稽古が行われる、おすもーの重要な稽古法である。 「てっぽう」は柱に向かって足を踏み出すとき、両足を結ぶ三角形の頂点に踏み込み、同時に同じ側の腕を出し、突いて押すという動作を四股と同じように数限りなく行う稽古法である。 これも、実践でやってみるとわかるが、同じ側の足と手を出すというナンバ動作で突いて押すと腰の周囲に力がぐぐっと入るのは当然なのである。 言い方を変えると、腰、つまり丹田から突き押すのである。 この、「丹田から押す」ということは、中国拳法、太極拳などの「推手」の功法でもあるわけである。 これも力士は実際にはゆーっくりと延々何十回何百回という数で行われるのであるが、我々はそんな時間も体力もないし、オーバートレーニングによる筋肉、間接の損傷、故障、ケガの問題もあるから、これも、もちろん無理のない範囲内の回数である。 やっぱり、「ゆーっくり」なのである。 「ゆーっくり」突き、押すのである。 腰から、つまり丹田からゆーっくり突き、押すのである。 手で突き、押すのではないのである。 腰、丹田から突き、押すのである。 それも「ゆーっくり」である。 お解りになると思いますが、これも丹田を中心に、下半身、足腰の遅筋に刺激を与え、つまり、氣道を開いているわけなのである。 相撲の基本となる動作、型の「四股立ち」は股関節のストレッチと言う効果と、もちろんスクワットの要素もあって、速筋も鍛える効果はあるのであるが、これは、気功の基本的な方法であるタントウコウの要素でもあるわけである。 腰を深く下ろす馬歩タントウなどはこの四股立ちに近い動作で延々立ち続けるのである。 そしてタントウコウは武道としても効果の高い修練法でもあるのである。 ただ腰を下げて立つだけの動作でなぜ武道の鍛錬になるのかというと、これが、身体を支える遅筋を鍛えているわけである。 中国拳法はとくにこの遅筋を鍛えると、より強くなるというところに経験から氣が付いたわけである。 それはとりもなおさず、丹田を中心とした氣道を開く方法でもあったわけである。 その気功でいえばタントウコウでもある四股立ちのまま、腰を割ったまま、ゆっくりと歩くのが「摺り足」であるのである。 現在の貴乃花親方の現役時代の稽古の摺り足は四股立ちでお尻が地面に付きそうなぐらいに深く腰を割り手を前にすくい広げ、そのままものすごくゆーっくり摺り足で歩いていたので、気功の動作そのもので、効果は大横綱貴乃花の成績どおりである。 また、股関節を開くストレッチとしての「股割り」は力士のケガを防ぐということもあるが、長くなるので詳しい解説は次回に譲るが、これも気功的には氣道に影響を与える重要な方法であるのである。 とにかく下半身を中心に全身の氣道をこれでもかと開くのがおすもーの基本稽古である。 続く。 |
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