象気功

丹田の造り方
氣の重さ4・波動編2


それで、まあ、なんと申しましょうか、人間ののーみそには、正しいことはなーかなか入らんが、正しくないこと、間違ったことはものすごく簡単に入るのである。

まさに古人いわく、「水は低きところに流れる」ようにできているわけである。


何を言いたいのかと言うと、これが「氣」に関してもまったく同様なのである。

ものすごく当たり前のことしか言わない象気功は基本的にお脳にたいへん入りにくく、インチキな治療師、宗教、セミナーで教えるインチキな虚言、詐言、妄言はどなたのお脳にもたいへん入りやすく、納得しやすく、マインドコントロール技術も相まってすっかりその気になって法外な料金、お布施を請求されても気づかず、気が付くとすっかり取り込まれて自分から詐欺まがいな紹介、折伏、勧誘に邁進して、中には出家、専従になる人も居て、運が悪いと教祖といっしょに逮捕されたりして、家族親族知人友人は大迷惑てな次第に相成るわけである。


だから、この科学的な機器で計測できない、インチキ、詐欺にもってこいの波動の類(たぐい)がいったいなんであるかと解説している象気功は、なにしろあーた、これがもう、神の「お授け」「神事」「啓示」「お告げ」であるから、そこはそれ、なんといっても「神様のゆーとーり」で、絶対に正しくて、いずれは科学的に解明され説明されることである。

つまりこれ、「正しいこと」であるだけに現在の人間ののーみそには入りにくいこと夥(おびただ)しく、人によっては無駄っちゃ無駄かもしれないわけである。


しかし、まあ、数十年後にはいずれ科学的に実証検証されることであるので、青少年の皆さんが中高年、あるいは熟年老年になったころ、ああ、象師匠はこのことを言ってやがったのかとわかる日もくるかもしれんのでいやでもおうでもこれでもかと解説を続行するわけであるが、この神のお筆先は品性お下劣女好き酒好きでとにかく、飲んだくれ食い倒れアレ倒れの毎日であるので、ごらんのとおりのていたらくで、時間がかかるったらありゃしないわけである。


まあ、いいや、世間話はこの辺にして、本題に入るわけである。

長いねどうも、どーでもいい無駄話が。

まあ、それでも象気功を理解できないお勉強マニアでも何人かは気の迷いで氣に関する実践を始めたりするのもいたりして、人生、しいては運命が変わるだろうから、まあ、世の中にあることは全てがなにかしらの必然性があるわけである。

えーと、それで、なんだっけ?


ううむ、前回を読もう。

ああ、なるほど、なんだね、いつになったら実践に入るのかとお腹立ちの読者も多々おられるとは思うが、この「氣の重さ」の解説自体がすでに実践であるのである。

氣がなんであるかを知ればおのずとそこから対処法ができてくるのである。


象気功はメソッドを提示するだけである。

理解はそれを読んだ者それぞれの脳で造り出した世界の範囲内の理解であるから、象気功は読んだ者により実践法がそれぞれでよろしいのである。

まあ、それで、前回解説したように、人間の身体には科学的、医学的に視認、確認できる臓器、筋肉、血管、神経などとはべつに、現在の科学、医学では解剖しても視認、確認できない、氣道、経絡などが厳然として存在するわけである。


まあ、それで、その科学的、医学的に存在しない氣道の中を物が通るときの波動、振動が科学的にも医学的にも存在しない「氣」であるわけである。

まあ、「氣とは何か?」の章で解説したとおり、氣は人間の場合、おもに毛細血管を血液が通るときに発生する、電磁波の類(たぐい)の波動、振動であるわけである。

たとえば、血液の物質としての構成もクォークが最小単為であるわけであるので、もちろん、振動し、波動を発生させているのである。


しかし、氣を発生させる「物」とはいわゆる物質が血管を通る時の波動、振動ではないのである。

血液にも身体の氣道を構成しているものと同じものが存在し、まあ、わかりやすくゆーと氣道を構成しているものがいわば違う次元で血液そのものとして存在し、血液自体が氣の波動を生み出しているのである。

ううむ、よけいわかりにくいな。


とにかく、血液も氣であり、その氣が氣道を通るときに発生する振動が増幅された氣であるわけである。

その氣は振動であり波動であるわけであるから、それが「空間として存在する氣」を振動させ気を形として存在させ、自分、あるいが他者に伝わり、氣として存在が体感、確認されるわけである。

つまり、科学的に確認、実証される物質としての最小単位クォークの他に、科学的に確認、実証されない、いわば次元の違う最小単位の「氣」としての「もの」が存在するわけである。


ですから、「この世に存在するものは全て、氣、あるいはプラーナでできている」とゆー説は間違いではない面もあるのである。

あたし達の住んでいる世界は、クォークで構成された物質世界と、そうではない、いわば違う次元のもので構成された世界が同時に存在しているわけである。

ですから、空気や電磁波は科学的に測定、確認できても、氣は確認できないわけである。


しかし、これは確実に存在し、人間に多大な影響を及ぼすほど実感できる「もの」であるわけである。

くそー、わかりにくいなこれ、誰にでもわかるように平易に表現したいものであるなあ。

まあ、つまり、物質で構成された世界の他に、現代科学あるいは素粒子物理学の世界でも確認できない「もの」で構成された世界があり、それがこの世に同時に存在しているということなのである。


だから、毛細血管と同時に存在する、氣道の中を、血液と同時に存在する氣が通るときに、波動として振動する「氣」が生み出されるわけである。

つまり、空気自体がクォークで構成されていて、もちろん物質であるから振動しているわけであるが、それは、人間には振動、波動としては伝わらんが、音波となってその波動、振動が実感、体感されるのと同様なことなのである。

ですから、この世、宇宙を構成する、いわば次元の違うものとしての氣と、物質世界の音波、電磁波などにあたる、その「構成する氣」の産物である気功などで体感される「氣」とはタームを区別した方がいいのである。


しかし、「氣」という概念の発生が大昔で、そのころはなーにがなんだかわからんし、それが、現代科学で検証、研究されることもなく現在にいたるので、それがさらにお脳のちょーしがきわめて悪いぱーの皆さんによってあーでもないこーでもないとどんどんわやくちゃな方向に驀進突進して来たので、それぞれが言いたい放題で、統一、体系化した言語も持たないので、まあ、共通にわかりやすい言語で表現するなら、全て「氣」ということになってしまうのである。


まあ、これでは今後も不便なので象気功では、宇宙を構成するクォークと同時に存在する、全てを構成する氣を「大氣」としようじゃあーりませんか。

ううむ、大氣じゃ大気と混同してしまうか、ううむ、まあ、クォークが素粒子だから、それをパクッて、「素粒氣」ってのはどーかね。

ううう、ダジャレだ、アホみたいだ、やめよう。

ううむ、しかしまあ、これでかなりわかりやすくなりそうな気配であるが、まあ、これでもわかんない人はわからんだろうから、理解は読んだ人の世界の範囲内の理解でよろしいのである。

続く。


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