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名前:まっちょ |
師匠こんにちは。前にも質問させて頂きましたがその節はありがとうございました。またお伺いしてみたいことができましたのでよろしくお願いします。
まず真言についてですが、真言は体の調子が悪くならなければ好きなだけ唱えてもよいということですが、何回ぐらい唱えると調度いいのでしょうか?
10回では少ないように感じますし、真言の効力の度合いがまるで分からないので日に何回唱えようということが自分で決められません。一般的な人間が気道を少しづつ育てていくという意味で、唱える回数に最低このくらい以上は一日に唱えるとよいという目安を教えてください。
もうひとつの質問ですが、師匠の守り神さんは、深層意識の奥の何をしているかわからない無意識下の想念で造られておりますとありますが、チャネラーといわれる方々も同じ仕組みなのでしょうか?
チャネラーの言葉を借りますと「肉体を持たない宇宙の存在(意識)との交信」と語られてますが…
またその方々の話ではハイアーセルフといわれる存在(高次元の自己らしい…)がすべての人間についているらしいのですが本当ですか?
それとも彼らの世界にとってだけの真実なのでしょうか?
以上です。
お忙しいところお手数ですが差し支えなければ教えてください。
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お答え |
象師匠 |
真言は「何回ぐらい唱えると調度いい」かどうかは個人によって違いますので、試して、具合がわるくならない、ちょーしのよろしい範囲内であります。
「一般的な人間が気道を少しづつ育てていくという意味で、唱える回数に最低このくらい以上は一日に唱えるとよいという目安」はございません。
まあ、たとえば、1日1回でも一生に渡って継続すれば、それなりに効果はありますし、1日1万回でもそれが継続できなければ、それなりであります。
次のご質問については、まあ、象気功の「無意識下の想念」などをよーくお読みになるとお解りになりますが、人間の感じる、観ている世界の総ては脳が作り出しているものであるわけです。
たとえばそこに花が存在していても、脳がそれを認識しなければ、それは存在しないわけであります。
見方を変えれば、色も形も匂いも、それを脳が作り出しているわけであります。
ですから、逆にそこに何も存在しなくても、脳がその存在を主張する場合もあるのであります。
それが、幻覚であったり幻聴であったり幻視であったりするわけですが、それは本人にとっては厳然と存在している世界であるわけです。
まあ、この掲示板でも先日どなたかのご質問にもお答えしましたが、人間はそれぞれ、ベーシック、インフラの部分でだいたい同じに設計されているわけですが、DNAが違い脳のちょーしが違うわけでありますから、バリエーションの部分で人によってはそうとう違いますので、厳密にいうと、住んでいる感じている観ている世界は程度の差はあれ、人によってはそうとう違うのであります。
当然、それについてチャネラーだと言い張ってる皆さんに対して、あたしが、そんなアホなことはないだの、バカも休み休み言えだの、オツムが変だの、くるくるぱーだのと言うことは差し控えたいわけであります。
あなたの感じている観ている世界は「あなたの世界にとってだけの真実」であり、彼らの感じている観ている世界も「彼らの世界にとってだけの真実」であるわけです。
ややこしい内容ですが、ご理解いただけましたでしょうか。 |
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Re:
真言の活用目安、 チャネリングについての質問 |
名前:まっちょ |
象師匠、ご返信有難うございました。
真言の件、理解しました。自分のことは自分のモノサシで計るしかないということですね。
それと、もうひとつの方の件でもう少しお伺いしたいのですが…
もしかしたら私は大変な誤解をしているのかもしれませんがよろしければご指摘ください。
師匠の仰るそれぞれにとっての「真実」というのは、それぞれにとっての「思い込み」というふうに解釈しても差し支えありませんか?
よく宗教などで「在るがままの世界」て言いますよね。
私はそれは「思い込みのない世界」だと考えてました。
「ベーシック、インフラの部分でだいたい同じに設計されている」というのは、この「思い込みのない世界」と考えてよろしいでしょうか?
また、「思い込みのない世界」も想念でしかないと仰られてるのでしょうか?
だとしたら、悟りも真理も想念の内側にあって、想念を外から照らすようなものでは無いように感じますが… |
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お答え |
象師匠 |
まあ、なんですねえ、想念も思い込みもこの世に存在する事象、現象は総てあなたの脳が勝手にやっていることなのであります。
「ベーシック、インフラ」の部分も脳が勝手にやっているのであります。
あなたが自分で考えて判断していると、「思い込んでいる」意思も意識もつまりあなたの言葉を借りれば「思い込み」も脳が勝手にやっているのであります。
「悟りも真理も想念」も「想念を外から照らすようなもの」も総て脳が勝手に造り出している幻想であるわけです。
以前にもどなたかのご質問にお答えしましたが、人間は「思い込み」によって、自分の存在を確率しているわけであります。
この「思い込み」がないと、自分がなんであるのか、何をするべきなのか、あるいは自分の存在さえ確認できなくなってしまうのであります。
ですから、そーゆー意味では『師匠の仰るそれぞれにとっての「真実」というのは、それぞれにとって』そのDNA、胎教、育った環境、国家、教育、などの影響により脳が勝手にやっている『「思い込み」というふうに解釈しても差し支え』ないわけです。
それで、どちらの「宗教など」で「在るがままの世界」といってるのかは存じませんが、あたしのいう「ベーシック、インフラ」と「あるがままの世界」とはちがいますねえ。
たとえば、この「あるがままの世界」も人によって観えている感じている世界が違うわけですから、人それぞれに「あるがままの世界」があるわけです。
つまり「思い込み」も「あるがままの世界」も固体別のそれぞれ違う幻想であるわけです。
しかし、その幻想である、「あるがままの世界」も固体別にしっちゃかめっちゃかですと、宇宙、この世がめちゃくちゃでなにがなんだかわからず、現世が成り立ちませんので、「ベーシック、インフラ」の部分ではだいたい同じに設計されていて、その「バリエーション」部分でかなり違う場合もあるように。神さんがぜつみょーにお造り遊ばされているわけです。
ですから、この「あるがままの世界」も固体によってはそうとう違う「あるがままの世界」である場合もあるわけです。
ですから、当然、「思い込みのない世界」も「あるがままの世界」も人それぞれの脳が作り出している、人それぞれにそうとう違う「幻想」であるわけです。
ものすごく、ややこしくなりましたが、ご理解いただけましたでしょうか。 |
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Re:
真言の活用目安、 チャネリングについての質問 |
名前:まっちょ |
師匠、この質問には切りが無いですね。
師匠のご説明を理解するのにぼくはまた別の何かを師匠に訊かなくてはなりません。
でもたいへん勉強になりました。
感謝します。
ありがとうございました。
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