最古の記憶
まあ、そうね、久しぶりに東京も雨であるのである。 うちの庭に植えてある紫蘇(しそ)が雨が降らないのでしおれてしわしわで枯れる寸前であったのであるが、今日、仕事場に来る前に見たらば、水を吸って葉に張りがみごとに戻って、みずみずしいおいしそうな紫蘇になったのである。 まあ、それで、あたしは1歳半のときに両親と上野動物園に行ったときの記憶が鮮明にあるのである。 そのとき象がパオーと鳴いて、両親の両手にぶら下がって、くるりと宙返りしたことを覚えているのである。 これが、あたしの最古の記憶であるのである。 その象のパオーが衝撃的だったのか、宙返りがそうとう嬉しかったのかなんなのか、今までも鮮明に記憶に残っていて、今でもありありと思い出すのである。 それ以前の記憶はないのである。 1歳半以前の幼児期の写真を見ても、そこに写っている様子は記憶にはぜんぜんないのである。 その後は盆踊りで大人の真似をして、炭坑節を踊ってる記憶があるのである。 それが踊れるようになったので、盆踊りのやぐらの下で1人夢中で踊って満足してる記憶があるのである。 その盆踊りの様子は写真に撮ってあって、その日付をみると、これは3歳ぐらいのときであるのである。 その次は隣家のトシユキちゃんと近所の池で遊んでいて、トシユキちゃんがミツバチを捕まえていじっていたら、当然、人差し指を刺されて、大騒ぎになって、どういうわけかトシユキちゃんが池の水に人差し指を浸けてひいひい泣いてる様子であるのである。 これも3歳ぐらいのときの記憶であるのである。 その次は、その池に近所のガキ大将を中心に小学生から幼児まで大勢が集まって、筏(いかだ)を作って浮かべてそれに乗って遊んでいたら、筏がだんだん水を吸って沈んで、ガキ大将が水に落ちて、やけくそになったガキ大将が服を着たまま筏を浮き輪代わりにして、バタ足で泳いでいるという不思議な光景の記憶であるのである。 これも3歳ぐらいのときの記憶であるから、あたしは3歳ぐらいから物心がついたわけである。 まあ、この記憶を辿ると、幼児期というのは嫌な記憶というのは消去されてしまうように思うのである。 嫌だった記憶というのは思い出そうと思っても、ぜんぜん出てこないのである。 楽しいことだけが鮮明に残っているのである。 まあ、逆にいうと幼児であるから嫌なことはする必要もないので、好きなことしかしないわけだから、嫌なことがなかったということかもしれないのである。 これが大人になると、嫌なことの記憶だけが鮮明に残るようになるのである。 |