霊能預言 ううむ、久しぶりの「本日の御神託」の更新である。 久しぶりなのにタイトルが「霊能預言」である。 霊能と預言てな、バカでなけりゃ出てこないタームのかけ合わせである。 ということはあたしはバカの代表であるということである。 おいおい、バカなことを断定するなよというご意見もあろうが、とくに面白いネタがないのでどうにもならないのである。 まあ、たとえば霊能というのは、生霊(いきりょう)や死霊(しりょう)や神や仏が見えたり、その声が聞こえたりすることである。 その生霊や死霊や神や仏というのは、自分あるいは誰かの想念の波動の集合体がなんらかの形になって網膜にとらえられて、それを脳が造形として認識するということである。 まあ、生霊はともかく死霊も誰かの想念というのはしろーとさんにはややこしくて理解できないことかもしれないが、めんどくさいので詳しく知りたい方は象気功を最初から読めばどこかに書いてあるので、じっくりと読んで「あ~、そうだったのか、な~るほどね~」と納得していただきたい。 とにもかくにも、つまり、この世のすべての事象と同様に、霊も神も仏も脳の創り出す幻想のひとつであるが、それをとらえて造形として映し出すという、ある意味、実にありがたいエンターテイメントのひとつとも言えるわけである。 勘違いしては困るが正常な人の脳はそれが見えないようになっているので、霊が見えたり声が聞こえたりするというのは、脳の壊れたくるくるパ~の人とたいして違わない脳のおびょーき状態とも言えるのである。 誰もかれもが居るわけもない霊だの神だの仏だのが見えたり声が聞こえたりしたのではややこしくてものごとが運ばないのである。 霊が見える、その声が聞こえる、というのは、数字に色が見えるなどの共感覚などと同様に脳の特異なある意味の異常ということであるわけである。 特異な異常が正しい表現かどうかはともかくとして、正常な範囲内の脳神経組織の組成ではありもしない霊や神が見えたりしないようになっているのである。 霊や神や仏が見える、声が聞こえる、と言い張る人は脳のおびょーきの人であるわけである。 つまり、TVやネットの心霊ネタでいわゆる「霊能者」にお伺いをたてたりしてるが、あれは脳のおびょーきの人にあれこれの診断をお願いしてるわけである。 なかには霊能者と言い張るおびょーきのくるくるパ~をこともあろうに「先生」なんて呼んでるバカもいるわけであるが、なにしろ脳のおびょーきの患者であるから「はいはい、バカなこと言ってないでお薬をちゃんと飲みましょうね」と言うのが正しい対応である。 生まれつき霊能者と言い張るパ~はあっちに置いとくとして、正常でなんの問題もないのにわざわざ脳を壊すことはなんら得になることもないのでご推奨はしませんが、それでも霊能者にあこがれる人は気功やヨーガや真言や言霊で脳をこれでもかといじくれば、運がよければ脳が破裂してあれこれ見えたり聞こえたりするようになるのである。 でも、何度も言うが、それは脳が壊れたのであって、新しい能力が出たということではないということをよ~く認識した上で壊していただきたい。 もちろん、あたしはあれこれ見えるし聞こえるのである。 医者に行け? やだよ~んだ。 ゆーときますが、一度壊したらそら治りまへんで。 あな恐ろしや。 ちゃんちゃん。 まあ、久しぶりなのでこんなとこでひとつ。 (2021/08/31) |
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