象気功
象気功

本日の御神託


音声認識


さてさて、今日も朝からハイテンションで神のお告げ神事啓示天の恵み思し召しもさながらに、閻魔様のお裁き受けて神罰仏罰タタリ疫病神の絢爛豪華な御筆先にうらみつらみねたみそねみを乗せて、ああ、あなたもあたしも地獄極楽巡りの釜茹で針の山から秘宝館、快楽悦楽幸楽気分で夜桜満開の下には黄泉の国の観光バスも発車オーライバックオーライ、頭蓋の中は小さな虫がうじゃうじゃと湧いてああ気色わるうつーことで行ってみるわけである。


ううむ、やけくそだねしかし、まあいいや。

そうね、本日の御神託は「音声認識」ね。

PCやスマートフォンやタブレットに向かって話しかけるとそれを認識してブラウザの操作ができたり、文章を綴ったり、メールを打ったり、さらには会話までしてくれるつー、まあ、20年前ならSFの世界のお話であるのである。

最近のSF映画でも、宇宙船の中でマザーと呼ばれる中央コンピューターに乗組員が話しかけていろいろ操作するてなシーンがけっこう出てくるわけであるが、それが、現実にあたしら庶民の手元にあるつーよーな時代になったわけである。

まあ、それで、これ、ういんどうずの音声認識てなもんを試してみると、まあ、大量に文章を打つあたしら作家には、だれが作家だ、ううう、まあ、いい、とにかくキーボードを打たないだけ腱鞘炎になる危険性がないわけであるが、これがね、しかし、まあ、慣れの問題だと思うが、ブラウザの操作はともかく、文章を書くとなると、思考がまとまる前に活字が表示されるせいなのかなんなのか、さすがに思考が追いつかないわけである。


あたしゃそうとうキーボードを打つのが速くて、まあ、話すのと同じ速度かと思っていたのであるが、やっぱりかなりの差異があって、さすがに出たとこ勝負口からでまかせの神のお告げも活字にするには一瞬一瞬の思考をまとめる時間が必要であるということがわかったわけである。

まあ、これ、キーボードを打って文章を作るというのは、会話録音を文章にするてなことや、音声認識で文章を作るてなこととはまるっきり脳神経細胞ニューロンシナプス脳内伝達物質の放出活動働き具合がまるっきり違うということも理解できたのである。

巷(ちまた)には今だに鉛筆で書かないと文章が綴れないなんて作家もおられるぐらいであるから、まあ、やっぱりこれ、習慣かね。

それで、音声認識でマイクからあーだこーだ喚いてみると、とにかく滑舌良く、それなりにはっきりと発音しないと認識してくれないので、気を抜くとわけのわからない文章になって、修正削除の繰り返しでさっぱり先に進まなかったりするのである。


この滑舌良くはっきりと発音するというのは、これ、やってみるとわかるが、普通の人間相手の会話と違って、かなりエネルギーがいるのである。

相手が人間であれば、滑舌が悪くて不明瞭で聞き取れなくてもそれなりに斟酌して話の内容を理解してもらえるわけであるが、これが、コンピューターてなものは、そこはそれなんつっても機械であるから、でたらめな文章でお答えになるのである。

まあ、これ、音声認識のチュートリアルを何度も繰り返すと聞き取りの精度が上がって、喚かなくても良くなるらしいのであるが、めんどくさくてやってらんないわけである。

つーことでこれはあいかわらずキーボードを打って書いてるわけである。

どれどれ。


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