象気功

象気功

気功天意
念力



念と氣の違い4


さてさて、念と気の違いが分かった人も、おつむのちょーしが残念で今ひとつ理解できなかった人も、押しなべて放っといて、さらに念力の実態について深く深く掘り起こして追求するのである。


さてさて、念力についてこの世に群れなしてわけのわからないことをのたまう妄想幻想スピリチュアルマニアのぱーの皆さんが何を言ってるのか聞いてみるのである。

「念力とは、超能力の1つで、意思の力だけで物体を動かす能力のことである」


出ました!

スピリチュアル阿呆マニア垂涎の「超能力」である。

妄想幻想迷走おつむくるくるパ~のマニアの皆さんをだまくらかすにはこれ以上ないというわかりやすいインチキタームである。


なにしろ能力の上に超がついてるのであるから、能力を超えた能力が超能力つーことであるわけである。

まあ、この際その能力がいったい誰の能力なのか、どの程度の能力なのかはさておいて、>日本では、手品師のユリ・ゲラーさんのスプーン曲げでよく知られるようになったが、それ以前は、SFで知られた概念だったのであるつーよーなことであるてなことであるのであるあるあるあれれ。


まあ、SFであるから、小説から漫画になりアニメになり子供少年からパ~の青年成人にまで浸透して、マニアの皆さんの憧れのタームになったわけである。

まあ、きりがないので超能力はひとまずあっちの方に置いといて、さらにごたくを聞いてみるのである。


「念力は念動力(ねんどうりょく)、観念動力(かんねんどうりょく)とも称するのである」

まあ、そらそうである。

「英語名の略称を使い、TK(Telekinesis、テレキネシスの略称)、PK(Psychokinesis、サイコキネシスの略称)とも呼ばれる」


テレキネシスにサイコキネシスである。

いいじゃありませんか、わけがわからないこの響きがなんとも、いかにもインチキ臭くて、はてさて、その違いはなんでありましょうか、わくわくしますねえ、はい。


「テレキネシスとサイコキネシスは、対象物の動かし方によって区別されるのである」

ほほう、なるほど。

「テレキネシスは、自分の念を送り込むことによって対象物を動かすが、サイコキネシスは、物理的エネルギーを発生させて対象物を動かすことである」


わははははははははははーっ。

漫画かよ。

ああ、SFか。

どっちにしたって動くかそんなもん。

「自分を対象として自身が宙に浮く舞空術も、テレキネシスに含まれるとされる」


どわはははははははははははのはははははははのはーっ。

腹の皮がよじれるのである。

浮くかそんなもん。


稀代の超天才気功家で人類最強の大霊能者で古今東西未曾有の超人的超宇宙的神仏をも超える大超能力の持ち主であるあたしが浮かないもんを誰が浮くんだ。


中には無謀にも念力で火を付けるなんて暴言を吐いて信者を集客してる人もおられるが、絶対に念力では火は付きません。

ご存知の通り、あんな程度のマジックはそうとうレベルの低い手品師でもできるのである。


「言葉としての『念力』は、本来の意味を離れて、物体を動かすという以外の何かを心のままに操作するという意味で使われることも多い」

うむ、ここね、ここでやっと実態に近くなってきたのである。


まあ、物体というからインチキになってしまうのであるが、これを「物質」と言い換えるとなかなか分かりやすくなってよろしいのである。

物質であるから素粒子の振動による存在であるわけである。


その振動である物質を、脳による振動である意志、思考、思いにより操作するということが念力であるわけである。

まあ、操作というよりは影響を与えるということの方が実態実情に近いのである。


さてさて、念力がいかなるものかすこーしお分かりになってきた人もいるのかいないのか、その念力でいったい何ができるのかできないのか、謎は宇宙の彼方のオリオン座α星ペテルギウスの光を垣間見るように深い悲しみとこみ上げる喜びに包まれてあなたの心に振魂鎮魂に導く言霊を式神の導きによりさらに紡ぎだすのである。

なに言ってんだかわかりまへんがね。

続く。


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