象気功

象気功

気功天意
念力


念力によるチャクラの開発覚醒

パドマ・プラーナーヤーマとクンダリニー覚醒2



まあ、なんだ、陰だの陽だの、方角だの風水だの、家相だの、墓相だの、供養だの、なんだのかんだの、そんなものはどーでもいいのである。

そんなことを言ってたら、陰陽も方角も風水も供養も神も仏もへったくれもないあたしはとっくに人生の崖を転げ落ちて、その辺の路上で段ボールにブルーシートでオネムしてるはずであるが、とくに災難危難に会うこともなく、大した仕事もしないのに生活に困ったこともなく極楽生活を満喫している今日この頃であるのであるから、人生はなんでもいいということがよくわかるのである。


邪気を受けるだの邪気を祓うだのも同様である。

邪気がどーたらこーたらで身体に不調不具合は起きないのである。

たとえば、いつも言うことであるが、病人の邪気を受けてお病気になるなら、朝から晩までこれでもかとそれを受けてる医師・看護士を始めとした病院の職員や従業員は全滅しちまうのである。


ご存知の通り、そんなことはなくて、皆さん、人一倍元気にパワフルに激務をこなしておられるのである。

なーにが邪気だつーことである。

どんだけ気が小さいんだお前は、つーことである。

邪気を受けると病気になるだの、運が悪くなるだの、命にかかわるだのてなことは、愚鈍な小心者を惑わして食い物にする霊能霊視ほら吹き商売のヤカラの常套手段であるので、邪気と聞いたら眉につばをつけてべとべとにして、ううむ、どーでもい方向方角に迷走しすぎて落とし所が見えなくなっちまったので、えーと、くだらん無駄話はともかく、ムラダーラの蓮華である。


まあ、背骨には脳に直結する中枢神経系が存在し、そこから、臓器内臓から手足まで身体の各部位に神経網で連絡し生命活動を営んでいるわけである。

だから、督脈あるいはスシュムナー・イダ・ピンガラが背骨のどこを通るのかということではなく、背骨の周囲全体を督脈あるいはスシュムナー・イダ・ピンガラと考えるのが妥当である。


氣道に関することは、糸のように微細なものと考えずに、アバウトにざっくりとおおまかに太めに意識認識するのがよろしいのである。

まあ、実際にはスシュムナー・イダ・ピンガラ・任脈・督脈といった根幹をなす氣道・ナディが絹糸あるいは蜘蛛の糸のように細くて、どこが氣道なのかわからない人も多々おられるのであるが、その細い氣道を認識しようとせずに、だいたいそのあたり全体を意識して気功法を日々繰り返し行うと、徐々に氣道が太くなるのである。


氣道が太くなると、はっきりと氣道あるいは氣道における氣の動きが実感として体感されるので、そこからは氣に関する技術的なことの進捗が加速されるのである。

氣に関することは、「繰り返し」「継続」ということが非常に重要である。


まあ、これは、ウエイトトレーニングに似ているといえば似ているのである。

いきなり限界を超えた重量や回数で過度に負荷をかけると、オーバートレーニングとなり、筋肉が委縮して逆効果となったり、身体を壊す結果になるのである。

これを気功に当てはめると、偏差でなことになるわけである。


氣道の太さ、つまり本来持っている氣道の許容量を超えて、過度に氣を作り、過度に氣道に圧力をかけると、めまい、頭痛、吐き気、あちこちの痛み、しびれ、腹痛、下痢、不眠、不安、焦燥、精神不安定、等々の症状に見舞われてめんどくさいことになるのである。


クンダリニー覚醒による神経機能や内臓機能の損傷というのもこれに当たるわけである。

つまり、そんなことをしても、身体に負担がかかるだけで、よろしいことは何もないのである。

どんなことがあっても、氣に関することで身体に負担をかけて身体を痛めてはいけないのである。


これは氣に関することで、これでもかとむちゃくちゃをして、これでもかと身体に負担をかけて、これでもかと身体を痛めた気功による人体実験マニアの象師匠の実感である。

それよりも、適度な負荷をかけて、時間をかけて徐々に確実に氣道を太くして行くことが、身体を変え、しいては精神状態を変え、さらには運気を変える方向性となるのである。


その運気を変える大本の気道が、いわゆるスシュムナー管である。

経絡で言うと、会陰から百会までの督脈である。

まあ、たとえば小周天を行うと、どうしてもチャクラが並んでいて反応が分かりやすい、体躯前面の氣道に意識が向きがちであるが、氣道の根幹は脊髄を中心とした中枢神経系や大動脈・大静脈がある背骨の周囲の氣道が根幹であるということを理解することが重要である。


氣道がなんのために存在するかということを理解し認識することが必要である。

まあ、とにもかくにも、その大本根本の氣道の中心であるスシュムナー管の狭窄を解き、太くすれば、必然的にそこから枝分かれした氣道・ナディの圧力は高まり、各チャクラは開発され、微細な氣道の末端まで開くわけである。


その氣道・ナディの大本根幹のスシュムナー・イダ・ピンガラに圧力をかける大本根幹のスポットがムラダーラの蓮華である。

ムラダーラの蓮華に圧力がかかり徐々にスシュムナー・イダ・ピンガラの氣道・ナディが太くなり、そこから枝分かれした何億の微細な氣道・ナディまで隈なく開くと、当然、氣の量が増加し、外に溢れだすわけである。


それが人によってはオーラてな言い方で表現される氣の量になるわけである。

この氣の量が人間の存在感であるわけである。

その存在感が人生を少なからず左右するのは、どなたもご経験でなんとなく分かると思うのである。


まあ、たとえば金運に限っていえば、氣道が極細の人の場合は、今日明日のお食事にもこと欠いて、日銭を数千円稼ぐのに四苦八苦するわけであるが、これが、世の中の表側裏側を含めて、現在でも合法違法とりまぜて豪快に10億100億てな単位で金銭が出入りしてる人がたーくさんおられるのはご存知の通りである。


これはもちろん学歴てなこととは無関係で、あたしの知人のように赤門おとーだいを出ても赤貧の人もいれば、ちゅーそつでも納税額日本一と言い張るあの人もいるわけである。

まあ、金運だけが人生の良し悪しでないのはゆーまでもないことであるが、とにもかくにも、あらゆる面で人生の浮き沈みを大きく左右する存在感は、氣道の狭窄あるいは太さの如何によるのである。


しかし、そうかといって、そのためにいきなり狭窄をなくし、無理やり太くしようとすると、いわゆる偏差てなことで、何年も無駄にしてしまうことになるので、ゆるやかな変化ということが望ましいわけである。

その緩やかに身体に負担をかけることなく気道・ナディを太くし、氣の量・密度を高める方法がパドマ・プラーナーヤーマである。

その効果は、もちろん「やらないよりマシ」である。

続く。

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