念と氣の違い3 まあ、以前にも何度か解説したのであるが、神はカニではないのである。 タラバガニでもズワイガニでもワタリガニでもシャンハイガニでもサワガニでもシオマネキでもないのである。 もちろんエビのたぐいのザリガニでもヤシガニでもカブトガニでもないのである。 カニやエビにはたいていハサミがあるのであるが、神にはハサミはないのである。 ハサミがないからといって、神をバカにしてはいけないのである。 神にもハサミに匹敵する立派なあれはあるのである。 昼間の放送では言うのをはばかられるあれであるのである。 おいおい、そんなことをゆーと女神様に怒られるぞというお声も当然あるわけであるが、女神様には違う意味の立派なあれがあるのである。 さらに昼間の放送では言えないあれであるのである。 シモネタかよ!というお約束のお声も聞こえてくるわけであるが、もちろんそんなチンケなくずネタで象気功が展開するわけがないのである。 象気功は宇宙の深淵を解き明かす、この世で唯一の神の法則である。 その宇宙の深淵を覗きこむと念があるのである。 宇宙と人間の組成は同じである。 だから、人間の根源でもある念は宇宙の深淵の底深く鎮座ましましておられるのである。 その宇宙の深淵の奥底で煌々と光を放つ念はとりもなおさずあなたの念でもあるのである。 あなたと宇宙の組成が同じだからである。 もちろん宇宙は神により創造されたものである。 その神とはあなた自身であるということを理解すると、一見不条理とも思える宇宙の法則が理解できるのである。。 神であるあなたが存在しなければ宇宙は存在しないのである。 逆に言うと神の存在はあなた自信の存在でもあるのである。 だから、宇宙とあなたの組成は同じであるわけである。 あなたは宇宙でありあなたは神である。 あなたの念は宇宙の念である。 人間は念が衰えると衰弱し、やがて死という終焉を迎えるのである。 念が衰えなければ、余命数ヶ月と宣告されても数年生き延びたりするのはご存知の通りである。 これが、人体という宇宙に与える念の力である。 その念は宇宙の深淵の奥底に光り輝き、あなたをこの世に存在せしめている根源である。 あなたは宇宙であり神である。 ううう、でたらめになってしまったので、ここまでのつかみは忘れてください。 こらこら、だったら削除しなさいよ。 やだよ~ん。 つーことで、そこに何かを思えばそこに念の集積が生じ、その念の集積は波動を生み出し、その波動を一部の人間が感覚あるいは視覚として捉えることがあるわけである。 念は周囲の物質に振動を伝え、波動を生み出すのである。 なにも無いと思う空間でも物質がぎっしりと詰まっているわけであるので、念の振動はその物質に振動を伝え波動を生み出すのである。 つまり、念は生命体に限らずこの世に存在する総ての事象に対して影響を及ぼすのである。 さらにその念は脳の電気活動による「意思」であるから、意思を持たない他の波動を操作することもできるわけである。 意思をもたない波動である氣は、意思である念により影響操作されるものでもあるのである。 だから人間の場合は、意思である念により、氣は曲げることも可能であるし、送る場所、入れる部位も特定できるのである。 そして、ここからがいよいよ本題である。 念は氣の介在無しでも、念単独で人間あるいはその他のあらゆる事象に影響を与えることができるのである。 そのあらゆる事象に対する影響力が念力であるわけである。 そして念は一瞬で事象に通るのである。 「思った瞬間」に「念は通る」のである。 波動である氣は一瞬で通ることは不可能である。 だから、その場に100人居ようが1000人居ようが、思った瞬間に、一瞬に念は通るのである。 わははははははははははーっのはっはっはーっ。 笑ってる笑ってる。 さてさて、ここに至って、談笑必携、あなたの心は諧謔幸甚にして佳肴喜来なる鳴禽蓮華することになるわけである。 何をいってるのかわからんが、まあ、なんでもいいや。 おわり。 まあ、あなたったら淡白なんだから。 どうなんでしょうかね、これ。 とにかく、まあ、あとで直そう。 続く。 |
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