象気功

象気功

気功天意
念力


念力によるチャクラの開発覚醒

プラーナーヤーマ(呼吸法)

飲んだ水は息になるのである。

食った肉も息になるのである。

食った魚も息になるのである。

食った米も息になるのである。

食った小麦も芋も豆も野菜も果実も油も塩も砂糖も息になるのである。

食は力となり血肉となり糞となり尿となり汗となり、息となるのである。

息を吐くことが体内浄化である。


つーことで、あなたの心に染み渡るあの世のざわめき浮世の苦しみをものともせずに、ああ、あたしのあそこもざわめいているのねと感嘆するのは簡単ね。

ばかもの。

えーと。

あたしの神はどこにおわすやら、なんか返事をいただけませんか、あしきをはろーてたーすけたーまえなんみょーほーれんなんまんだーあめーんそーめんらーめんぼくいけめん、こらこら、ふざけてるとタタられますよ。

とっくにタタられてこのざまでんがなまんがな。


神さんをバカにしたらあきまへんで、おっとろしーことになりまんねんで。

まあ、おっとろしゆーてもな、いっちばんおとろしてもしぬだけでっから、たいしたことあらへんけどな。

そら、あんたもそのうちなにがなんでもおっちぬんやさかい、かくごしとかなどもなりまへんがな。


ううう、笑いを取ろうとしてすっかりドツボにはまって抜けられなくなってしまったのである。

なんとか立て直したいのであるが、タタりで身動き取れないのである。

なんのタタりかとゆーと、アレのやりすぎである。


アレとゆーとナニをご想像なさる向きが多々おられると思うのであるが、ナニではなくアレの方のあれこれである。

つーことで、この章の冒頭で呼吸法なんかどーでもいいと言っといて、今更、呼吸法でもないのであるがプラーナーヤーマである。

プラーナーヤーマとはヨーガにおける呼吸法である。


まあ、有名どころでは息を死にそうになるまで止めて、健康上は極めてよろしくない血管の怒張を生み出すことが目的のクンバカとか、これでもかと早い複式呼吸を繰り返して過呼吸になって目を回したりすることが目的の火の呼吸てなもんがあるが、象気功は基本的に健康法を追及して、運気上昇、金運上昇、財運上昇、恋愛運上昇、家内安全、安産祈願、交通安全、恋愛成就、学業成就、心願成就、厄除け開運、てなもんをあれこれ成就しようてな神社仏閣神の園であるから、そんな無謀でアホ丸出しなことはなさらないのである。


象気功における呼吸法は基本的にふつーに吐いて吸うだけである。

その吐くときに、念で氣を送るのである。

まあ、呼吸に意識を持つと自然に深くなり、さらに念を送るために吐くと、さらに深くなるのであるが、その程度の深さの呼吸である。


しかし、吐く呼吸とともに念で氣を送るためには、その素になる氣を作らなければならないのである。

その氣を作る方法が、緩める、揺する、捻る、伸ばす、つかむ、を基本とした気功法のメソッドである。

具体的には、タントウコウであり、スワイショウであり、太極拳であり、八段錦であり、五禽戯であり、郭林気功等であるわけである。


さらに、氣を作るためにはそれを感じる「氣の身体」にならなければならないのである。

そのための方法が、静功であり、瞑想であり、メディテーションであり、禅であり、内観である。

氣の身体になる一番簡単な方法は、手と手を向かい合わせて、その間に氣のボールを作りその波動を感じようとすることである。


氣のボールをイメージで作り、それを具体的に感じようとすると、右脳が活性化され、ナディ経絡が開き、さらには毛細血管が開き、氣の身体になるのである。

あるいは天に向かって手を広げて、宇宙の波動を受けようとすると、その瞬間に氣の身体になるのである。


ここが不思議ね不思議ねつーことであるが、まあ、人生自体が不思議ね不思議ねつーことであるので、まあ、人間の身体がそのようになってるわけである。

これらを繰り返すと、徐々に氣感が育ち、いつでも氣の身体になれるようになるのである。


つまり、氣のボールや天の氣を受けるてなことは、氣の身体になるためのスイッチであるつーことである。

いやー、象気功って具体的でわかりやすいですねー。

それで、なんだっけ?











黙りこんでどーすんだよ。

続く。

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