象気功

象気功

気功天意
念力


念力によるチャクラの開発覚醒

開敷蓮華(かいふれんげ)

まあ、なんだ、スシュムナーとイダ・ピンガラと神経組織の関係である。

まあ、これについてはウパニシャッドの古典に書かれてることとはちがうてな某大センセーのご意見もあるが、象気功は読者信者衆生にわかりやすいようにチャクラだのスシュムナーだのなんだのと言っておりますが、紀元前の大昔の科学も医学も解剖学もへったくれもなかった時代の無知蒙昧のパ~のおっさんの思い込み言ったもん勝ちの寄せ集めであるウパニシャッドの古典なんかどーでもいいのである。


象気功はあたし自身の人体実験による感覚体感であるので、どの時代の教典と違おうが、どこのパ~のセンセーのご意見と違おうが知ったこっちゃないのである。

「十三佛真言におけるチャクラ覚醒効果」のように、今書いてることも、いずれはどこのぱーのセンセーも参考になさって、えらそーに自分のご意見とする日が成就されるのである。


なにしろ象気功はありがたーい象の大神様からの神示・啓示・お告げの口から出まかせ御筆先の便所の落書きであるので、人間が書いた古ウパニシャッドもヴェーダもなんら問題にしてはいないのである。

なーにを言ってやがるである。


そうは言っても、象気功独自のオリジナルタームを作ると、その説明も含めてものすごくめんどくさくなるので、某中国方面と某印度方面のパ~のおっさんのご使用タームをてきとーご使用になるので、その方面のパ~の皆さんにはご承知おき頂きたいところであるということであたしのご挨拶といたしますのであるが、ううう、だめだ、目が覚めない、とにかくコーヒーを飲もう。


まあ、それで、某印度方面のタームのスシュムナーもイダもピンガラも、それぞれに意識を向けてもなんのこっちゃやらでめんどくさいので、まとめて一本のナディつーことにしてしまうのである。

まあ、分かりやすくいうと、正中線後背部の督脈と思えばいいのである。


まあ、督脈は「会陰部に起こり、脊柱に沿って上り、後頭部の風府穴に至り、脳に入り、さらに頭部の正中を通り、百合穴に上り、額を循り、鼻柱に至り上歯肉に終わる」つーことであるが、これを会陰をムラダーラとし、百会をサハスラーラとするナディとして考えるのである。


象気功におけるサハスラーラは頭頂部の少し前の部分であるので、その辺はご理解いただきたいが、まあ、とにもかくにも脊髄を中心とした太い柱としてムラダーラ・チャクラから肛門、尾てい骨、仙骨を通って、頭蓋に入りサハスラーラまでをスシュムナーとイダとピンガラをまとめた氣道である太いナディとするのである。


それは取りも直さす、脳から脊髄を経て陰部神経叢に至る中枢神経系と脊髄の左右を走る交感神経幹を中心とした身体を縦走する神経組織の大本であるわけである。

その氣道である太いナディを開くには、サハスラーラとムラダーラの千の色彩色合いの千の花弁の光り輝く蓮華を開花させることである。


開敷蓮華(かいふれんげ)である。

いいですねえ、ついに言うに事欠いて開敷蓮華である。

わしゃ知らんがなである。

開敷蓮華とは蓮の花が開いた状態である。

ちなみに未敷蓮華(みふれんげ)は蕾(つぼみ)の状態の蓮の花である。


開敷蓮華を観想することにより、サハスラーラとナディが開き、その波動を受けて脊髄を中心としたナディが開くのである。

なにしろ観想である。

なに言っちゃんでえである。

笑わせちゃいけねえぜである。

阿字観ではこの蓮華を八葉としているが、象気功ではそんなケチくさいことはいわないのである。


坊さんつーものは元来が知識人の代表であったので、お勉強ばかりしていて左脳中心の脳が出来上がって、右脳の機能がへっぽこなため、おそまつなイメージ力しかないので、花弁の数が1000枚はおろか100枚でも無理だろうから、まあ、8枚ぐらいにしましょうねてなことで八葉が最適であるてなことになったわけである。


昨今ではうちの菩提寺の坊さん同様にどこの坊さんも金儲けに勤しんでも、あたしのように衆生救済人類救済のために身を捨てて修行修祓に専心専念して身体の開発に勤しんでるなんて人はおりませんから、「なぜ 開敷蓮華なのか?」ということさえ実感体感があるわけもないのである。


読みかじり聞きかじりの知識ばかりで身体ができていないので、蓮華が開くと何が起きるのかということさえ、実感体感としてわからんわけであるから、実際には阿字観もへったくれもないわけである。


まあ、日本の仏教界を敵に回すゴタクはともかくとして、なぜ開敷蓮華かとゆーと、これが象気功のシンボルマークがその秘密を解く鍵である。

象気功のシンボルマークは、いかような図形が一番人体に波動を生み出すのか?てなことをつらつら夜も寝ずに昼寝して考えて、いろいろ試行錯誤・実験体験の結果でっち上げた図形である。


まあ、氣に敏感な人がこのマークを見ると、身体のあちこちがウズウズムズムズして気持ち悪くなるてな人もいるぐらいの波動を生み出すわけである。

象気功のシンボルマークはだいたい100枚の花弁であるが、これが1000枚となるとさらに波動を生み出す効果は強くなるのである。


それは、イメージとして頭に描いても、それが現実感をもって思い浮かべれば、実際に見たのと同様の効果があるのである。

開花した蓮華は、この象気功のシンボルマークと同様の効果があるのである。


しかし、あたしは別に蓮華をモチーフにこれを作ったのではなく、最初の発想はピラミッドである。

あたしの知人のパ~の気功師が、ピラミッドが氣を集めるという噂を聞いて、それじゃピラミッドを厚紙で作って頭にかぶって朝まで寝たらどーなるのかてなことで実験したのである。


どんだけ馬鹿なんだということであるが、そしたら、これが氣ができすぎて血尿が出たつーことである。

それで、あたしも作ってみたらば、これがほんとに氣あるいは波動を発生させる道具であるということがわかったのである。


まあ、だからといって、ピラミッドパワーで刃物が劣化しないだの、ピラミッドテントの中で瞑想すると悟りが開けるだのてなことではないのは言うまでもないことである、なんてことを言うと、ピラミッド販売業者やあちこちのご商売の妨げになるのでその話はひとまずあのへんの隅に置いといて、まあ、とにかく、それで、これはなしてかねーといろいろあれこれご考察の末に、つまり三角形が波動の元ではないかつーことに思い至って、線画で円の周囲に三角形を描いてみたらば、これがみごとに波動を発生させるのである。


それでは三角形をたーくさん描いたらもっと波動が発生するだろうつーことで、さらに色も色々とてきとーにつけたりして、めでたく現在の図形ができたのである。

それで、これを気功仲間に見せたら、ひっくり返って痙攣したのがいたので、「ううむ、これはいい、神のお告げに違いない」つーことで象気功のシンボルマークが出来上がったわけである。


つまり、あたしはありがたーい象の大神様の啓示お指図により、千の花弁の蓮華ならぬ百の花弁の蓮華を描かされていたわけである。

ああ、ありがたやありがたやとパンパンとかしわ手を軽やかに打って心も晴れやかにえーとなんだっけ?


ああ、そうだ蓮華だ。

蓮華は泥の中で茎を伸ばして美しい花を開く様子から、仏教においては仏性(ぶっしょう)の象徴として存在し、未敷蓮華は悟りの可能性を内に秘めた状態を、開敷蓮華は修行を経て開悟した状態をあらわすてなことをわかったようにのたまうパ~もいるわけである。


蓮華の形状としての氣の威力がわかっちゃいないから、そんなとんちきなことをのたまうのである。

なぜ蓮華を観想するのかと言うと、それを思い描くことによって、思い描いた者の体内の細胞の素粒子が振動して、波動である気が発生するからである。


そうなると、どーなるかと言うと、氣道であるナディあるいは経絡あるいは神経組織が開くのである。

つまり、サハスラーラとムラダーラの蓮華が開くと、スシュムナーとイダ・ピンガラをまとめた太いナディが開くのである。


さらに象気功にはその先があるのである。

その先とはなんなのか、いったい何が起きるのか、期待と想像はいやがうえにも膨らんでもちろんあそこもここも膨らんで神のお告げは驚天動地の次回に続くのである。

その先って、もしかしてアレかな?

うふふ。

続く。

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