象気功

象気功

気功天意
念力


念力によるチャクラの開発覚醒

サハスラーラとムラダーラ8

さて、神のお告げの念力による「量子もつれ現象」の続きであるが、サハスラーラは頭頂部のほんの少し前の前頭部周囲の上の「宙空」であるとゆーことを前々回に解説したわけであるが、同様にムラダーラは肛門と性器の間のいわゆる蟻の戸渡りの部位部分の下の宙空である。


どちらも、皮膚感覚あるいは皮下感覚あるいは体内感覚ではないのである。

身体の外側の宙空である。

ここんところが理解されないと、なーかなかチャクラの蓮華は開花しないのである。


頭頂部の上のサハスラーラの千の花弁の蓮華をパッと開いた後は、お股の下のムラダーラにも千の花弁の蓮華のパッと開くのである。

これはパッでもいいし、パパッでもいいし、ポンでもいいし、ポポンでもいいのである。


とにもかくにも、オツムの上とオマタのあそこらへんのはっきりとはいえないあたりの下に千の色合い色彩の光り輝く蓮華の大輪を花開かせるのである。

これが念力によるチャクラ開発覚醒メソッドカリキュラムの第一歩始まりスタート端緒取っ掛かりである。


すると、アーラ不思議、体内になんやしらんがこれなーに?つーぐらいの強烈激烈な変化が起きるのを実感される方も少なからずおられるはずである。

まあ、これも、はずであって、なんの変化も感じられない氣感低レベルなノーリアクション芸人の人もおられるのはいたしかたのないことである。


しかし、全くその変化の実感を感じられない氣感低レベルな修行途中の菩提薩埵である能無しの皆さんでも、サハスラーラとムラダーラの蓮華の花が同時に開けば、量子のもつれ現象、チャクラのもつれ現象により、精神が発する脳波による量子素粒子と宙空サハスラーラ・チャクラとムラダーラ・チャクラの量子素粒子がぶつかり合い互いに影響し合い、その結果として、体内では激烈強烈猛烈壮烈熾烈なる変化が劇的に進行中であるのである。


感じようと感じまいとサハスラーラとムラダーラが開けば、体内には変化が起きるのである。

姿勢だの座法だの呼吸法だの時間だの、細かい定義なんかどーでもこーでも、サハスラーラとムラダーラの宙空のチャクラの蓮華がパッと開けば、体内は変化しているのである。


ここがね、幸いなる人も罪びともパ~もバカも阿呆もひっくるめて総ての衆生をお救いになる神のお告げのお笑い宗教気功集団象形流気功法宗家の教義としての念力理論のイキでイナセなところである。


昨今、市井に溢れかえるわけのわからないヨーガ、禅、瞑想、気功てなもんのグル導師センセー教祖のように、えらそーに立ち方だの、座り方だの姿勢だの、果てはアーサナだの、ポーズだの結跏趺坐だの、半跏趺坐だの、腰の位置だの、座布団の位置だの、足の組み方だの、指の組み方だの、手印だの、ムドラーだの、と間抜けなことを言われても困るのである。


それじゃ、足の無いものはどーするのか、手の無いもはどーするのか、指のないものはどーするのか、立てないものはどーするのか、座れないものはどーするのか、寝たきりのものはどーするのか。


ふざけたことをお抜かしになってはいけないのである。

そんなことを言ってたら、健康頑健なものでも、ハックションとくしゃみ一発でうっかりぎっくり腰になっただけで、修行修祓は頓挫である。


時間についても、朝がいいだの、寝る前だの、昼の何時だの、夜中の午前何時でなければならないだのと決められては、あたしらお仕事持ちの一般霊能者のリア充はやってらんないのである。


夜中の午前1時に北の方角を向いてなんて言われても、睡眠不足になって明日の仕事が大失敗してしまったら、おまんまの食い上げである。

象形流気功法による念力チャクラ開発覚醒法では、そんなこたあ、どーでもいいのである。


立っていても歩いていても座っていても寝ていても逆立ちしていても猫背でも腰が曲がっていても、なんでもいいのである。

時間も夜昼朝晩いつでもいいのである。

やりたい時にやればいいのである。

場所も状態も状況も、なんでもいいのである。


テレビを見ながらでもいいし、飯を食いながらでもいいし、風呂に入りながらでもいいし、山の中でもいいし、新宿や渋谷の雑踏でもいいし、満員電車の中でもみくちゃにされながらでもいいし、散歩をしながらでもいいし、ジョギングをしながらでもいいし、映画館で映画を見ながらでもいいし、はっきりとは言えないあらぬサイトを見ながらでもいいし、さらには一人でうふふ二人でうふふてなさらにはっきりとは言えないことをなさりながらでもいいのである。


姿勢、状態、時、場所、状況てなもんはなんでもいいのである。

人が居ると気が散ってできないなんてことを言ってたら何もできないのである。

集中も精神統一も内観もへったくれもないのである。


その上、毎回、座り込んで数十分あるい数時間もかかってた日にはバカ丸出しで時間の無駄も甚だしいのである。

リタイアした老人暇人ならともかく、あたしら勤労の義務真っ盛りのもんには、そんなお座りして暇つぶししてる時間はないし、もっと楽しいことがいくらでもあるのである。


ほんとかどーかの真偽はともかく、ちゅーごく方面の洞窟で手足が腐るまで座り込んだつーよーなパ~の坊さんもおられるつー話もあるが、言ってみればバカの見本である。

まあ、いつもの悪口雑言はこれぐらいにして、とにもかくにも、なんでもいいから、オツムの上とオマタの下に光り輝く千の花弁の蓮の花が色鮮やかにパッと開けば、それでオーケー・認可・認定・パーミッション・オーソライズである。


さらには、この上下の蓮華を同時に開く練習カリキュラムをこなして、あたしみたいな名人達人師匠親方の域になると、どちらかの蓮華を開くと自然にもうひとつの蓮華もパパッと開くようになるのである。


てなことで、オツムの上とオマタの下に大輪の蓮華が花開いて激烈強烈猛烈壮烈熾烈に体内の変化を感じ取れた人も、そうでもないがそれなりに体内の変化を感じ取れた人も、お勉強やお仕事のし過ぎ過剰で右脳のちょーしが今ひとつで蓮華もチューリップもどくだみの花もさっぱり開かなくて体内の変化も感じ取れなかった人も、次回はその体内の変化はどーしてなんでどないして起きるのか、その理由・素因・原因・秘密は那辺にありやてな人体の摩訶不思議を、量子のもつれから念力のもつれ男女の感情のもつれ体のもつれにかかわるあそことあそこがもつれにもつれてくんずほぐれつ開いて閉じてあらうっふ~んつーことで、懇切丁寧に噛んで含めて舐めてぺろぺろとご解説申し上げる存意である。

まあ、こんなところかな。

続く。


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