念と氣の違い2 えーと、なんだっけ? ううむ、どうも更新期間が開きすぎて何がなんだかわからなくなるな。 前回はいつ更新したっけかね。 10月11日か、ううむ、10日ぶりか、比較的早い段階の更新ね。 それでもなんだかわからない。 頭もぷーだ。 まあ、とにかく前回までを読んでみるのである。 放送事故かよ。 つーことで、まいどお馴染みお約束のあちゃらかぱーで始まりました神のお告げのレッドカーペットネタ見せお笑い番組象気功でんがなまんがなあたしのあそこは突然変異で真っ赤っ赤。 そんなに赤いの? しらんがな。 まあ、気功師にしても行者にしても宗教家にしても霊能者と言い張るぱーにしても、気と念を混同しているので、つじつまの合わないことを生徒信徒信者顧客に指導先導教示して、それを信じ込んだ皆さんがわけの分からない方向に爆心爆走しててんやわんやで、しまいにはとちくるった皆さんが事件をおこす事態になったりしてるわけである。 たとえば、小周天で任脈と督脈を巡る「もの」が「気」であり、それをそのように導く意思が「念」であるのである。 さらに、念と気の違いのいい例が、樹木の気であるのである。 樹木は脳がないのであるから、意思、思考、想念はないわけである。 しかし、大木であれば根から吸い上げられた水分が維管束の微細な管を通る時の振動が波動を生み出すのである。 気は木が語源であるといわれるぐらい、その波動を感じ受け取る人が多々おられるわけである。 しかし、木が発する波動は「気」であって「念」ではないのである。 人間でも、気功に習熟するしないに関わらず体内に溢れた気が自分の意思とは関係なく体外に発し、それが自分以外の他者にも感じられることが多々あるわけである。 つまり、気は意思、思考、想念がなくても生み出されるものであるのである。 それに対して念は意思、思考、想念などの精神活動により脳内の神経細胞間に発生する電位による電気活動から生み出される振動であるのである。 つまり、脳により生み出される振動であるから、脳波という形でも検出されるわけである。 物質の最小単位の素粒子を始めとして質量を持ってこの世に存在するものはすべてが振動により存在しているのであるから、もちろん脳による意思、思考である念も振動を生み出しているわけであるのである。 まあ、しかしこれは、厳密に言えば宇宙全体の物質エネルギーのうち、振動しているのかしてないのかなんだかわからない暗黒エネルギーが74%で暗黒物質が22%であるつーことであるので、まあ、わかっているものはわずか4%で残りの96%はなんだかわからない物質エネルギーであるのかどーなのかも定かではないつーぐらいややこしいつーことであるので、その人知の及ぶたった4%の範囲内を現世この世宇宙と仮定しての話であるつーことをご理解いただいての神のお告げのお笑いであるのである。 まあ、それで、そのたった4%の範囲内でのわかっている物質エネルギーである脳における電気活動をとらえたものが脳波であるが、その電気活動により生み出された振動が意思、思考、想念であるのである。 例えばあなたが神仏を信じることにより、その想念としての神仏の念の集積が生じるのである。 その念の集積の生み出した波動が神気あるいは霊気でもあるわけである。 はてさてはてなの果ては果てしない銀河の向こうに突き果てて、どんどん遠ざかる宇宙の深淵その果ての真理はどこにあるのかないのか、いつ終わるとも知れない暗黒星雲の彼方に地獄極楽の波動振動を求めて次回はさらに念力に迫るのである。 。 続く。 |
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