象気功

象気功

気功天意
念力



実践実技・湧泉5

まあ、なんだ、気だの波動だの神の光だので、どんな病気も治るだの不老不死の秘伝だのと言い張ってる先生グル導師教祖の皆さんご本人が、どう見ても長生きできる体調には見えないことに気が付けば、あなたの感性はなかなか良好である。


まあ、ざっくりと言えば、この世に存在する行法秘法の最終目的は「不老不死」である。

まあ、不老不死はお笑いとしても、平たく言えば「長生き・ご長命・ご長寿」が究極の目的である。


しかし、世界一のご長寿者が、氣の達人であったり仙人であったり大阿闍梨であったりヨーガの達人であったりした試しはないのである。

歴代の世界一のご長寿者は、ごく普通の暮らしをなさって来た、ごく普通の皆さんである。


気功師なんかに至っては、普通の人より平均寿命が短いてな話もあるぐらいであるし、道教気功の不老不死を言い張る内丹あるいは外丹てな練丹術でご長寿世界一になったてな話も全く聞かないし、密教の大阿闍梨が世界一のご長寿で、120歳を過ぎてさらに千日回峰に勤しんでるなんて話も聞いたことがないし、ヨーガの達人でクンダリニー覚醒で蛇の頭がサハスラーラからこんにちはしたと言い張るクンダリニーヨーガマスターてなセンセーが世界一のご長寿で150歳のお誕生日を迎えるなんてことでCNNやBBCのニュースになったてな話もとんと聞かないのである。


まあ、誰とは申しませんが、おそらく日本で最も有名な気功の大センセーのブログをお読みすると、センセーが重度の肥満と重度の糖尿病で、さらには足のけが治らずどんどん化膿して悪化してよれよれの状態であるてな記事を読むと、氣がなんの役にも立たないと言う象の大神様のお告げ啓示神示ご託宣は真理であるつーことがよーく納得できるわけである。


あるいは、さらに誰とは申しませんが、生き方心の持ち方だの、氣だの波動だの、宇宙意識との調和だの、潜在意識の開発だの、果ては、これからは医療も波動治療の時代だのとえらそーにのたまう、経営コンサルタントの大センセーが、なんだか知らんがひどいお病気で日々体調が悪化して不良でよれよれぼろぼろで、しまいにはおっちんじまったのはをご存知の向きは周知の事実である。


体調不良よれよれぼろぼろで立ち直れずそのままおっちんだセンセーの言い張る生き方や心の持ち方や治療法てなものをやっても体調不良よれよれぼろぼろでおっちんじまうだけであるのはちょっと考えればわかることである。


まあ、誰が考えても、人生で最優先されるものはもちろん健康である。

生き方や心の持ち方すべてが、その健康に反映されるのであるなら、この大センセーの生き方心の持ち方は最悪であるのは言うまでもないことである。


いや、べつに、このわけのわからんセンセー方を非難してるのではなく、つまり、何もしなくても長命の人は長命であるし、短命の人は短命であるつーことを言いたいわけである。


できないことを無理にやろうとするとロクなことにはならないのが世の常で、たとえば、健康にいいからと言って極端な菜食主義に徹すれば、逆に寿命を縮めることになるのは自明の理であるのはご理解いただけることと思うのである。


要は、象気功お得意タームの中庸がすべてを包括してこの世浮世はくるくると回転寿司って最近は寿司が回転してないよなー。

まあ、あたしゃこー言っちゃなんですが、体力自慢で健康自慢で、ここ数十年は医者にも行かんし、今のところ、どー考えても、事故にでも合わない限りは当分は死にそうもないわけである。


つまり、高額なお金を払って学んだ、よれよれぼろぼろの大センセーの生き方心の持ち方を実践するより、無料のあたしの提唱する生き方心の持ち方を実践すれば、あたしのように、元気元気の体力自慢の方向に行くかもしれないのである。


かもしれないてなところが奥ゆかしいじゃありませんか。

象気功でどんな病気も難病も治るだの、素晴らしい境地になれるだの、すごい能力になるだの、大金持ちになれるだの、超能力が出るだの、超人になれるだの、神の声が聞こえるだのと言わないところが、象気功の象気功のゆえんたるところである。


象気功は当たり前のことしか言わないのである。

しかし、これはいったいなんのサイトなんだ、悪口サイトかよ、てなことで、えーと、なんだっけ、えらいと言い張ってる人の悪口雑言を並べ立ててたら本題がなんであるかすっかり忘れて忘却の彼方へすっ飛んで行きなさってしまったのである。


さてさて、それでは前振り前説で温めすぎで残りの尺が限られてきましたので、とにもかくにも、念力で足の裏をぐいぐいと開くと、気が足の裏に下がって、精神が安定の方向に向かうのである。


まあ、向かうのであって、いきなりの泰然自若度胸満点大人物になるてなわけではないのは、これ、いつものことで、まあ、「やらないよりはマシ」てなことであるつーことをよーく反芻して噛み砕いてご認識いただきたいわけである。


それで、まあ、念力の感覚をつかんだかどうかはさておいて、念力で体の各部位に振動波動を与えて、開くことができるつーことを言いたいわけである。

さらに、その念力による振動波動の感覚をつかむことができた人は、その先、次の段階に進むわけである。


おいおい、おいらはまだ念の感覚なんかつかめてないぞつー人も委細構わず自動的にその先次の段階に行くのは言うまでもないことである。

つかめていてもつかめていなくても、身体に起きる現象にはたいした違いはないのでだいじょーぶである。


おおっと、わあわあゆーとりますが、無駄話のせいで無駄に尺が埋まって、内容も中身も要素もたいしてないままちょうどお時間となりましたので、このへんで♪さーよーおーなーらープー。

ううむ、これ、むかーしに使ったよーな気がする。

続く。


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