象気功

象気功

気功天意
念力



念と氣の違い


わははははっはっはっはのはーっ

出だしから笑ってるのである。

笑う宗教かおまえは。


ううむ、とほほすぎてアタマが痛い。

朝はなかなかエンジンがかからんが、そーかといって昼に快調になるかとゆーとううむだめだだめだだめだだめだだめだだめだあたまがぷーだだれかなんとかしてくれえええええっ


つーことで、まいどグダグダと始まりました神のお告げのお笑い番組象気功でんがなまんがなわてあほでんねんてなこってどーもすんません。

ううむ、いかん、さらにぐだぐだが加速してるのである。


象気功はどーでもいいことを書きすぎだという苦情もないではないので、今後はどーでもいいことはいっさい書かないぞっと固く決心したのであるが結局どーでもいいこと満載過載で、こらあだめだ、なんてことだと反省後悔の念もちらほらと、ああ、そうだ、そうだ、これだ念だ、念について書かねばいかんとうわ言のように脳裏に駆け巡り、ううむ、日本語までおかしくなってるが、まあ、いい。


つーことで、とにかく念である。

いやいや、うまいねどーも、てなことでするすると本題に入るのである。

どこがうまいんだ?といわれても、落語のオチを解説するみたいで面映いので,解説はいたしません。


しないのかよ。

しろよ。

やだよーん。

1人漫才かおまえは。

ううう、しまいには泣くぞこのやろう。


まあ、嘘泣きしてもしょーがないので落語のオチは解説しなくても、念と気の違いについていよいよ大解説するのであるが、ううう、あそこがかゆい。

シモネタかよ。


いや、あそこといってもあそこのことじゃなくてあれですよ、ほら、かくと気持ちよくなる所だわよ、うふふ。

だめだこりゃ。













しゃべれよ。

はいはい。

終わったと思ってお帰りになるお客様がおられたら誰が責任をとるんだって、誰に言ってんだか。


いつまでたっても、やる気がぜんぜん見えてきませんね。

ネタばっかりで終わるんでしょうか。

まあ、なんでもいいや、それで、たとえば目の前に100人の人間がいたとするのである。


あたしはその100人の人間に、その場で一瞬で全員に念を通すことができるのである。

これは「念」を通すのであって、「気」を通すあるいは「気」を入れるということではないのである。


100人の人間に一瞬にして、「気」を通す、あるいは「気」を入れる、ということは不可能である。

気を全体に「当てる」あるいは「送る」ということは可能であるが、一瞬にして100人間に「気」を通す、あるいは「気」を入れるということは不可能である。


ここを勘違いすると、念と気を混同して、何がなんだかわからなくなるのである。

これが、たとえば気功の外気治療などで手から「気を送る」あるいは「気を当てる」というのは、手のひらから発する「気」を非施術者に「当てる」あるいは「送る」ということである。


これに対して、「念」は手を介在しなくても相手に通すことができるのである。

毛細血管の血流や細胞の生命活動による振動が生み出した波動がいわゆる気であるわけであるが、念は精神活動により生ずる振動である。


え?

もう尺がない?

つーことで、取れ高OKが出ましたので本日のロケはこれで終了である。

ほとんどふざけているうちにだらだらとお別れの時間と相成りましたが、それでは皆さんまたの会う日を楽しみに♪さ~よ~お~な~ら~プー。


いやん、臭い、誰?おならしたのは。

つまらんから、もうやめろ?

はいはい。

内容がぜんぜんないようなんちゃって。

ううむ、さすがにこれをUPするのは勇気がいるな。

続く。


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