象気功

象気功


気功天意

念力

実践実技・労宮3






神が人を試すことはないのである。

試すと思っているのは人のおごりである。

食べ物にたかるアリにあなたが容赦がないように、神は人間に容赦はないのである。

神の蜜にたかるアリのごとき衆生を捻り潰し踏み潰し叩き潰すのである。

それを、試しだの試みだの試練だのと、勝手なたわごとで、都合のいいように解釈してはいけないのである。

神はものごとをまったく無作為無計画に成就されるのである。

あなたの思いとはなんら関係なく、無作為無計画の限りを尽くしてこの世を成就されるのである。

それは試しでも試みでも試練でもないのである。

その無作為無計画にあなたは巻き込まれ、アリのように捻り潰されるだけである。

その不条理が神の秩序であり法則である。

つーことで、わけのわからないウワゴトはさておいて、労宮に意識を送ってみると、圧迫感、痺れ、膨満感、さらに人によっては全身の弛緩てな感覚を得ることができるわけである。

つまり、念により、その部位の細胞の分子原子素粒子の波動振動が変化し、さらには全身の細胞に波及したわけである。

さらにその波動振動の変化は体内に留まらず、溢れ出た波動振動はその周囲の存在事象にも影響を及ぼすのである。

その溢れ出たものが氣である。

まあ、それはともかく、労宮に念を通した時の感覚は、たとえば他人の労宮に念を通した時にも同様の感覚が起こるのである。

ここが重要である。

念が他者に影響を及ぼすわけであるから、つまり、いわゆる念力である。

強力な引力磁場や濃い大気のある地球上で念力で「物を動かす」ことは不可能であるが、分子原子素粒子の波動振動に影響を与えることはできるのである。

あなたの念が他者に作用して、その波動振動を変えるのである。

そして、そのことにより生み出された波動である氣を念により動かすこともできるのである。

これはそれだけに留まらないのである。

あなたが念により他者の波動振動を変え、その氣を動かすことができるということは、逆に言えば、他者によりあなたの波動振動が操作され、氣を動かされるということでもあるのである。

そう考えると、世間を歩くこともできないわけであるが、それには氣に習熟しないと無理であるし、そんなことを真剣に研究してる暇人は、あたしみたいな極限のパ~以外にはいないので、心配はいらないことである。

しかし、あたし同様の物騒な氣のヤカラがまるっきり皆無と言えないところにこの世浮き世の面白さお楽しみがあるわけである。

まあ、何が言いたいかというと、あなたの労宮に念を通した時に感じた感覚は、他者に念を通した時に他者が感じる感覚であるということである。

つまり、念により個体と個体がつながるわけである。

個体と個体がつながるということは、他者の波動がそのままこちら側にも入ってくるということである。

そして、念による波動振動の影響は、人間を含む有機物、生命体に限らないのである。

無機物であっても、念を通せば、その波動振動は変化するのである。

一番端的に現れる変化は重さである。

これは体重計などで計測できないのでなんともかんとも言いようもないのであるが、念を通すと感覚的に重量が重くなるのである。

これは気功の練功で氣が発生したときにも人体に同様の現象が起きるのであるが、これが無機物に念を通した時にも起きるのである。

しかし、これは計量器で計測できないので科学的物理的にどうであるのかはなんとも言えないのである。

まあ、たとえば何かを手に持って、それに念を通すと、ずっしりと重量が増すのを感じるはずである。

念の通し方がわからないとこの実験は無意味であるわけであるが、その通し方のわからない念力シロートの皆さんのためにこの章で念の通し方を解説しているわけである。

しかし、まあ、これでわかるようになるかどーかはわかったもんじゃないので、まるっきり無駄であるかもしれないのである。。

なにしろ、人それぞれの身体の内部で起きていることであるし、傍からあーだこーだ言ってもわからないことであるので、自分で自分の身体に念を通してみて、その感覚をつかむしかないわけである。

てなことで、まず、念を感じやすい手のひらの中でもさらに一番感じやすい労宮に念を通しての練習法をこの章で解説しているわけである。

まあ、念を通すことができたにしても、このことはなにしろ計測できないわけであるから、気のせいと言ってしまえばそれまでである。

しかし、熟練した気功師や合気道の達人が集中すると重くなり、押しても引いても動かなくなるのはこの現象のせいであるということが考えられるわけである。

てなことで、念の感覚が多少でもつかめた人も、なんのこっちゃでぜんぜんつかめない人も、この世のことわり宇宙の真理はいとも簡単にあなたの脳裏に鎮座して、ああ、お願いつかんでちょうだい握ってちょうだいいじってちょうだいと懇願哀願切願の思い止みがたく疼いてあえいでわめいてポンで次回に続くのである。

念力・実践実技編「労宮4」に続く。


(2013/06/29)



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