象気功

象気功

気功天意

念力



実践実技・労宮

いよいよついに、念力マニア好事家愛好家信奉者がよだれその他あれこれの粘液髄液をだーらだら流して心待ち熱望お待ちかねで待ちわびた念力実践実技である。

労宮(ろうきゅう)というのは手のひらの真ん中辺りのくすぐったいところである。


まあ、わかったつもりの知ったかぶりのグル老師センセーくるくるパ~の皆さんによると、だいたい指を握ると中指の先端が手のひらに当たるところというご意見であるが、当たり前であるがこれは指の長さや関節の柔らかさが人によって違うのは当然であるから、そんなこたあぜんぜんあてにならないので、とにかく手のひらのだいたい真ん中辺りのこちょこちょとくすぐるとえへへへと笑いたくなる部位である。


ものごとはだいたいでよろしいとゆーのが象気功の卓越した巧まざる概念である。

ううむ、卓越した巧まざる概念って、なんのことなんでしょうか。


いつもながら神の思し召しの御言葉はなんのことかさっぱり掴み取れない汲み取れないのである。

まあ、簡単に言うと、てきとーにキーボードをまさぐると神の暇つぶしの言いたい放題の語句文言が勝手気ままに奔出するわけである。


それを制約しては御筆先としてのあたしの御役目が立たないので、どんなに不評悪評不興を買っても売っても、頑としてそのままご掲載申し上げる所存であるとゆー、霊能者としての面目を第一とした心構え腹構えの悲壮な決意お覚悟である。


これがね、あーた、あたしら霊能者てなものはこれでけっこう大変なんすから。

ううむ、まあ、こんな本題からはずれた尺稼ぎをしていてもろくなことにはならんので、このへんで閑話休題。


話を戻して、労宮の「労」は労働とゆーことで、「宮」は皇宮や中室、中央の意、つまり労宮とは労働をする手の中央にあるツボということであるそーであるが、どーでもいいので覚えたくない人は覚えなくてもいいのである。

なら、言うなよ。


さっぱり先に進まんな。

まあ、とにかく象気功的にはどーでもいいことであるが、労宮というツボは、心包経という経絡に属していて、心包という臓腑は心の臓と一緒になって精神機能を司るてなえらそーな臓腑である。


ううむ、どーでもいいなんて言ってるそばから、どーでもいいことはないかもしれないという思わぬ展開になってきたのである。

まあ、再前より申し上げてる通り、神のお告げであるので、つまり行き当たりばったりの口から出まかせであるので、あたしにだって展開の先行きは予測不能である。


当たり前であるが、どなたもご存知の通り、臓腑とは五臓六腑の総称である。

どなたもご存知の通りとゆーのは言い過ぎかもしれないので、無知蒙昧能なしの皆さんにはひとことお詫びの上、ご訂正申し上げるのである。


「どなたもご存知の通り」→「そうとうのでくの坊おたんこなすでない限り知ってる」

ううむ、思ったよりも面白くない。

まあ、ともかく五臓六腑(ごぞうろっぷ)とは、ちゅーごく四千九百八十年の伝統医学において人間の内臓全体を言い表すときに用いられた言葉である。


「六腑」とは、胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦を指すのである。

かたや「五臓」とは、肝・心・脾・肺・腎をし、この心包を加え六臓とすることもあるのである。


しかし、心包(しんぽう)は、伝統中国医学における五臓六腑とは別格の臓器であり、心主(しんしゅ)とも称し、心臓を包む膜つまり現代医学で言う心膜または袋と解釈されているが、六腑の三焦と同じく実体のない臓器であると言うこともできるのである。


また、経絡的には、手の厥陰心包経(けついんしんぽうけい)があるが、脈診においては心包の部位はなく代わりに命門(めいもん)てなもんがあるが、ツボ経絡マニア以外には興味がないかもしれないのはよーくわかった上での解説釈義であるので、なんのことかわっからねーぞとゆー人はわっからなくてもぜんぜんかまへんかまへんである。


つまるところ心包てなのもは、形だけでなく、その働きも定かではないてなことである。

つまり、あるんだかないんだかわからん臓腑であるつーことであるので、そんなにムキになって食いつくことでもないのである。

じゃあ、食いつくなよ。


とまあ自分でツッコミを入れて、もしかすると心臓の周りにあるかもしれない仕組みであると解釈すればいいわけであるが、ところがこの先の展開ではそうでもないということになるので、油断は禁物である。


労宮は心が疲れたときつまり心労の治療に用いるのである。

あるんだかないんだかわからん仕組みである心包になんの効果があるのかは定かで無いのであるが、あるがあるがの連投でそこはそれ、それで終わらないのが象気功であるので油断もスキもないわけである。


つまり、心包は心臓の周囲を取り囲み心臓をコントロールしている仕組みであるから、これ、象気功的には第2の脳ともいわれる心臓のICNシステム(心臓内固有神経系)であるということがご理解いただけると思うのである。


心臓のICNシステムは精神活動に連動して心拍数や血流量を勝手に調節したりしてるのである。

まあ、他の臓器にもICNシステムは存在して、やはり脳と連動していろいろと働きを調整しているわけであるが、なんといっても、心臓が一番敏感に脳の情報に連動しているのは、どなたもご経験からご理解いただけると思うのである。


情動の一喜一憂に連動して、ドキドキしたり落ち着いたりするわけであるので、脳の情報をいち早く受け取るということは、逆にこの部位を緩めれば脳の緊張も緩むということである。

気功法の基本原理はリラックス(弛緩)である。


「リラックス」の章でも解説してる通り、リラックスとは「緊張」の反対である。

つまり「緩める」ということである。


免疫力というのはストレスなどで交感神経が過度に働き心身ともに緊張すると下がり、緊張が緩み副交感神経が適度に優位であると上がるのであるから、労宮を緩めるということは免疫を上げるということにつながるわけである。


まあ、究極、健康法としての気功の目的というのは、この免疫力を上げるということに尽きるわけであるので、ICNシステムである心包に経絡上で関連している手のひらの労宮はそのための入り口ということもできるわけである。


これ、けっこう、重要なことを解説しているのであるが、まあ、ネタが優先してあっちへふらふらこっちへふらふらであるので、何がなんだかさっぱりわからないてな人も多々おられることは想定の上で、さてさて、労宮の解説も鮮烈に心の奥襞に届いても届かなくても、ついに念力はあなたの体内波動を揺り動かし掴み出して、人生そのものを逆転させて光り輝く雲の上まで羽撃くのか、はたまたそのまま修羅無限地獄の暗闇で呻吟するのか、期待願望はこの上なく高まり、念力念力で今日も明日も明後日も日明後日も狂喜乱舞の未来は光か暗黒かどえええいっもういいだろっ終わりっ。

続く。


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