象気功

気功修練

気の悩み相談室
回答室


口の中」の「気」について
名前:いわね   
はじめまして!!

「気」に興味があって検索したら、こちらに辿り着きました。

いろいろと思い悩む所があり、いつの間にか自ずと瞑想する様になり、そこから「気」にも興味を持つ様になったのですが・・・、
こちらのサイトは、面白いですね。
「気」に興味はありながらも警戒心は捨てきれず、そこのところをこちらではさり気なく警告もされているので気に入りました。

ところで、今、立禅功を練功しているのですが、日々、「気」の感覚が違っている様に感じられます。日増しに「気」の感覚が重厚さを増していく、と言うのか、ガムを何時間もクチャクチャ噛んでいて、味もなくなってもまだ噛んでいて、そうなった状態のガムをいつまでも噛んでいると、口のなかでガムがネチネチと餅の様に甘ったるく粘って時折、口の中の壁にまとわりつく様な、そんな感じを、口の中で、「気」の感覚を感じています。
そして、私の「気」は、いつも、「口の中の上の歯の裏側の真ん中ら辺」に、「気」が集まる、と言うか、時には突き上げる様な感覚が、気づくとあるのです。基本的に、そこに「気」は集中して次第に下の方に流れていくのですが、丹田辺りに流れも、口の中にある「気」の感覚は常にあって・・・上手く説明できないのですが、「口の中の上の歯の裏の真ん中」を起点に、その「気」の流れが一本に下に流れて繋がっている、と言う肉体的な感覚があります。起点と感じられる部分は、時折、鼻の周囲である事もあります。

この、「口の中」にある「気」の感覚と言うのは、ごく普通にある事なのだろうか、と、いろいろとネットで検索していますが、そういった事を記述しているものは見当たりません。

「気」を丹田に流すのなら、いつまでも「口の中」に「気」を溜めておくのはよくないのではないかなぁ、とも思うのですが、この感覚が普通の事なのか、よくわからずにいます。

文章のわかりづらい質問になってしまいましたが・・・よろしくお願いします。


490.お答え
名前:象師匠   
まあ、そうですね、実際に身体の中のことでありますので、気をどう感じるかは人それぞれで、身体や気道の開き具合で違うでしょうから、「ガムを何時間もクチャクチャ」でよろしいかと思いますね。
それで気道の大きいものが、百会から、眉間、鼻を通過してくちびるの周囲とともに、口の中の上あごの部分、つまり「口の中の上の歯の裏側の真ん中ら辺」を通って喉につながりそれが、胸、上腹部、丹田に通り、さらに脚部、足に通っているわけであります。
ですから、まあ、気道の開き具合によっては、、『「口の中の上の歯の裏の真ん中」を起点に、その「気」の流れが一本に下に流れて繋がっている、と言う肉体的な感覚があ』ることは当然のことでありますので、ご心配なさることはなにもありません。
もちろん、以上の理由で『時折、鼻の周囲である事もあります。』ことも当然あるわけであります。
まあ、気は丹田といいますが、実際には筋肉、臓器も含めて気道が全身に張り巡らされて、気道が開き、毛細血管が開き、気を生み出し全身にあふれ出すわけでありますので、まあ、丹田にこだわらずに、気道を開いて毛細血管の血流を促し、さらに気道を太くして行くとよろしいかと思いますが、まあ、口や鼻などの頭部に気が集まりますと、まあ、いわゆる「気が上がる状態」になって、精神的にもよろしくないでしょうから、まあ、先達が口をそろえておっしゃるように、丹田の意識を持って立禅をなさるとよろしいかと思いますね。
ますますの精進を期待しております。


492.的確な説明、ありがとうございます
名前:いわね   
象師匠、なんとかして知りたかった答えを明解に答えてくださり、ありがとうございます。

>それで気道の大きいものが、百会から、眉間、鼻を通過してくちびるの周囲とともに、口の中の上あごの部分、つまり「口の中の上の歯の裏側の真ん中ら辺」を通って喉につながりそれが、胸、上腹部、丹田に通り、さらに脚部、足に通っているわけであります。

・・と言うことは・・・この私の肉体的な感覚は、確実に百会からちゃんと「気」を得ている、と言うか・・・百会は気道が開いていると言う状態と認識していいのですね・・・? おっしゃられた事は、見聞きして理屈ではなんとなく知っている、と言う程度の知識しかありませんでしたが・・・実際、今、自分の体で起こっている事はまったく把握していなかったので、不安と同時に、この肉体的な感覚はどういう事なのか、よく判らずにいました。
 ここに質問できて良かったです。

立禅功を知る前は、1時間もすると立っていても座っていても寝ていても腰が痛くて、ここ2年程、困っていました。とある気功師に治療を受けると、不思議と痛みがなるなり、その気功師による、腰の痛みは内蔵から来ていると言うことで、内蔵の調子を良くしてもらうと、不思議な事に腰の痛みは治療ごとになくなっていきました。

でも、いつまでも通っていられるお金はないので、いかなくなると、数ヶ月にまた痛みが若干もどってきて・・・で、精神的にノイローゼ的になっていた私は(偏差でないです。「気」の練習や瞑想は一切していなかったですから)、誰に言われるわけでもなく、でも、なんだか瞑想が良さそうだと言う評判をきき、自ずと瞑想をし始めると、体が勝手に動き出すんですね・・。ゆっくりと動きだし、で、気づくと掌が下腹部や胸の脇辺りをあてていて・・・、翌朝、何気に気づいたんです。「・・・あれ、腰の痛みが一切ないけど・・・偶然かな・・・」と思っていたんですが、瞑想すればする程、腰から痛みが遠のいていく様でした。

もし、その腰の痛みあったら、恐らく、立禅功はできなかったのじゃないかな、なんて思いますが、こういった一連の過程を、なんだか、偶然の様な、偶然でない様な・・・自分の中にある無意識に導かれている様に思う事も、ふとありますが、ま、何はともあれ、何事も現実世界にしっかり足をつけている事を忘れずに、精神をよりよく向上させる事ができれば、そして、自分の健康を維持できる事の手助けになれれば、それでいいと思っています。

ただ、気になるのは・・・知らない間に、「口の中」に「気」を感じているんですよね・・・。以前はそこから頭の方になって、なんだか頭が膨満感みたいになって頭痛がしたものですが、今は、まったく頭に上る事はありません。
 気功をするずっと以前から、寝る間際に横になっていると、口の中に「気」の圧力を感じて、その圧力に逆らわずにすると、自然と口が開いていきました。何も念じていたり呼吸法などしたりしてはいません。自然とそうなるんで、これはなんだろうと思っていました。その時は、「気」との関連など一切思いもつきませんでしたが、今思うと、あれは「気」が口の中にあったのだと、思ったりしました。
 
これは、私の体の場合、「気」が、自然と口の中に溜まりやすい、と言うことなのだろうか、と思ったりしますが、人それぞれ、各々の肉体で、自然と溜まる、「気」のたまり場、と言う肉体の癖があったりするのでしょうか?


493.お答え
名前:象師匠   
まあ、そうですねえ、人それぞれに身体に張り巡らされた気道が細かったり、太かったり、通り難かったりしますから、まあ、額に滞ってる人もいますし、足に下がって頭部に上がり難い人もおりますし、丹田ばかりやたらと充実している人もいるわけです。
まあ、それによって、人それぞれの性格、能力が違って、千差万別となり、世の中が面白くなっているわけであります。
象気功はそのことを中心に展開してきたわけでありますので、象気功を最初から再読いただいて、象気功の気に対するスタンスを理解していただいて再度ご質問いただきたい。


494.そうですね。
名前:いわね   
やっぱり・・人それぞれ、と言うことですよね・・。

数日前から象気功のホームページを読んでいるんですが・・所々読み飛ばしちゃったりしてる事もあって、もっと集中してあらためて読み直してみようと思います。

でも、奥の深い潜在意識が、表象意識に影響されていて、と言う概念、なんだかとても頷ける今日この頃なんです。過去から今までの私の行動とその結果は、なんだか偶然でない様な気がして・・・無意識の部分の私が、私を導いているのだろうか、なんて思ったりします。瞑想や気功など、総て偶然の出逢いでしたし。

とても為になります。ありがとうございました。