象気功

コトタマ

言霊の人体における反応部位




コトタマの反応部位「ぎゅ・ギュ」


氣がわかってもわからなくてもコトタマの反応部位は「ぎゅ・ギュ」の解説である。

この世人生はとにもかくにも運であるのは、しばらくこの世に滞在して死期を悟った皆さんが異口同音にのたまうことである。


生きてると命は永遠と錯覚するが、人間は長くても100年を産まれて生きて死ぬだけであるので、永遠ではもちろんないし、すぐにおっちんじまうから、そんなに長いスパンで考えなくてもいいのである。

死ぬときになるとわかるが、人生はあっという間である。


あっという間に年取って、あっという間におっちんじまうのである。

生きてるときはいくつになっても、永遠に生きていると思い込んでいるわけであるが、明日おっちんじまう可能性も多々あるのである。


生まれ変わりを数限りなく何度もしてきて、もう最終段階で人類最低の霊格人格としての修行をこよなく成就しようというあたしが言うんだから間違いないのである。

師匠、またホラが吹き出てますよ。


まあ、とにかく人類最低であるから、人生を顧みれば、これまでの行状はもう非人道的なことてんこ盛りで、それを反省や後悔なんてことをしてたら、それだけで東京ドーム何杯分も埋まってしまうので、だいぶ前にいっさいがっさい取りやめにしたのは言うまでもないことである。


とにもかくにもあたしのせいでこーなったわけではなく、そのように生まれそのように育てられたのであるから、しらんがなであると喝破したわけである。

つまり、すべては創造主のせいであるので、あたしのせいではないということが人生の半分で地獄の泥底から伸びた蓮の花のごとく花開いたのである。


そうは言っても、もちろん、人類最低の霊格人格はお役目であり修行であるので、これからもそのまんま継続するわけである。

嫌だといっても、今後も休むことなく、いやも応もなく非人道的な行いを津々浦々で垂れ流して、この世に苦しみと悲嘆を振りまくわけであるが、もちろんあたしのせいじゃないのでしゃーないしゃーないということである。


多々の霊能者と言い張るくるくるパ~いわく、あたしの人としての生まれ変わりは今回が最終段階であるので、これまででもっともひどい位置に魂を据え付けられたわけである。

もちろん自分を霊能者だなんていう馬鹿丸出しの脳の壊れたくるくるパ~の連中の言い張ることであるので、根拠も信憑性も皆無であるが、そのことにより、これ以上ない悩み苦しみ地獄の底をのたうち回るという、霊格人格は最低でも、修行者としては最高位の実に香ばしい人生であるということはできるわけである。

なんの修行だよ。


まあ、とにもかくにも、あたしの師匠筋の大先生いわく、「あんたの霊格は泥棒よりも人殺しよりも低い、地球上でもっとも霊格の低い人間だ」とご託宣いただいたあたしの霊格であるから、これを読んでる人で「自分ほどひどい人間はいない」とお悩みの人は心から安堵していただきたい。


まあ、しろーとさんに霊格はわからんにしても、どんなに自分の行いが最低と思う人でも、あたしよりは遥かに清らかで、天使のように気高い精神を持つ聖人といってもいいくらいの気高い心の人であるわけである。

自分で「なんて人間だ」と思っても、あなたの人生はあたしに比べれば捨てたもんではない光り輝く人生であるのである。


下には下がいるというが、あたしより下はこの世地球上には存在しないという飛びぬけた最下等の人間であるから、そこから見れば、あなたは限りなく神に近い場所にいる燦然と光り輝く魂であるわけである。

ううむ、なかなかいいね、人々に希望を与えるために限りなく非人道的なあたしはこの世に現わされたわけである。


しかし、だいぶ前に自らの行いに対する悩み苦しみで地獄の底をのたうち回るというお役目を「どーでもいい」とやめてしまったので、修行としてはなんのこっちゃであるから、最終段階としての輪廻転生をもう一度やりなおしで、さらに霊格人格が人類誕生以来の新記録的に下がって、「ええ?こんなかよ、おいおい、すげーな」というぐらい爆笑であるかもしれないので、ある意味楽しみである。


ますます最低である。

もしかしたら、「てきとーいいかげん」を悟るためにこのような目に合わされたのかもしれないが、いずれにしてもどーでもよくなってしまったので、もう一度さらに突き抜けた地獄の泥底が用意されているかもしれないのである。


まことに存在としての楽しみはつきないわけであるが、まあ、それもこれも脳が創り出す幻想夢うつつのお花畑であるので、どーでもいいのである。

何を言いたいかというと、つまり、この世現世は視点によって異なるということである。


最底辺地獄の泥底から眺めれば、すべては絢爛たる極彩色の花咲く極楽である。

さて幻想夢うつつでお花畑に電波の花咲くお告げの「ぎゅ・ギュ」のコトタマの反応部位はみぞおちの少し上の胸骨体下部の周囲である。


経絡経穴でいうと任脈の壇中の周囲である。

気功に限らず氣のマニアであればたいていはご存知の非常にわかりやすい反応部位であるが、一般には左右の乳首を結んだ中央てな言い方の部位である。


しかし、これが乳首の位置に個人差があり、また男女あるいは年齢によっても位置が違うので、みぞおちの少し上の胸骨下部の周囲と理解した方がよろしいのである。

壇中はもちろんおもに心臓に影響のある経穴であるが、壇中の周囲の氣道を開き、そこから両脇を通り両手の指先を開くのである。


また、上昇して喉から両目の氣道を開き、眉の間の印堂を開き、さらに上昇して額上部の神庭から頭頂部の百会を開くのである。

古来より神庭の位置を髪の生え際云々てな間抜けな解説をする能無しの低知能のほら吹きもいるが、髪の生え際は男女あるいは個人差が多々あるし、さらには年齢によって激変するので「アホか」というあれこれであるが、まあ、とにかくだいたいその辺ねということである。


つまりは胸から上の上半身を開き、両腕の指先までを開き、さらには頭部の氣道を開くので、精神的に落ち着くということはないが、前頭葉を活性化し、おつむのちょーしはよろしくなるわけである。

しかし、「ぎゅぎゅぎゅのぎゅーっ」と窓から大声で終日わめいても、おつむがいきなり絶好調になって記憶力や理解力が飛躍的によろしくなることはないのは当たり前であるが、救急車を呼ばれることはあるかもしれないのである。


とにかく、壇中の周囲を中心に氣道を開くので、心肺機能や甲状腺や胸腺などの周囲の毛細血管を開き、血流を改善し、機能を正常な方向に向かわせる効果があるわけである。

さあ、これからは「ぎゅっぎゅっぎゅーおばけのぎゅーっ」と歌って、日本のあしたをことほぎ、ホギホギするのである。


意味がまったくわからんが、あたしの脳はいったいどうなってんでしょうか。

「ぎゅっぎゅっぎゅーおばけのぎゅーっ」と歌いすぎとちゃいますか。

こんなサイト信じたらえらい目にあうがな。

お前が言うな。

続く。

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