象気功

コトタマ

言霊の人体における反応部位




コトタマの反応部位「みゅ・ミュ」


進化の一部のコトタマの反応部位は「みゅ・ミュ」の解説である。

さてまあ、たとえば肚を据える効果があると象師匠が言い張る不動明王の真言を唱えても、さっぱり効果がないと感じる人もおられるわけである。


何年も唱えてるのにたいして腹も据わらんし、相変わらずの小心者でおどおどてな感覚で、効果がぜんぜん感じられないてな人もおられるわけである。

ほかの真言も同様で、おつむを開く真言を唱えても、さっぱり記憶力も理解力もはかばかしくないし、あいかわらずのパ~であると感じる人もおられるわけである。


ところがそれでも、やらないよりは確実に氣道の状態は変わっているのである。

確実にその方向に向かっているのである。

これを象気功タームでは「やらないよりマシ」と表現しているわけである。


そうはいっても、これまでの象気功の解説を読んでこられた方は、真言あるいはコトタマを唱えたら劇的に氣道が開いて、いきなりバランスが変わって自信満々、泰然自若、傲岸不遜になった、てなことになるわけがないのはご理解いただけることと思うのである。


氣道の変化てなものは、そう簡単には問屋もさんふじんかもおろさないのである。

ただいま、不適切な表現がありましたことを、深くお詫びして撤回いたします。

問屋→撤回

そっちかよ。

ボケになってないのである。


象気功はこの世に運気改善のもとの「笑い」を振りまくために存在するわけであるので、このようにクオリティの低いボケについてはあながあったらぬるぬると入りたい心境である。

再び不適切な表現がありましたことを、深くお詫びして訂正いたします。


あながあったら→はっきりとは言えないあそこに

ううむ、さらに不適切の上塗りになってしまったかもしれんが、象気功だからしょーがないのである。

象師匠の言い回しは無駄話ばかりでムカつくとかイラつくとかいう人も多々おられるが、この世は無駄の集積でなりたっているのである。


たとえば、家の造りでも無駄なスペースがあって始めて住み良い家といえるのである。

無駄のない家は息がつまってストレスがたまり運気が下がるのである。

それもこれも含めての風水てな大法螺であるが、ううう、どーでもいのである。


これだけてきとーだと、さすがにイラついたりムカついたりする人がいるのは、書いてる本人もご納得である。

話を戻して、まあ、これまでにも梅干しを食いながら口を酸っぱくして何度も解説してるが、氣道が簡単に変わってはこの世におけるあなたのお役目に支障をきたすのである。


そのお役目がお釈迦さんの喝破したとおっしゃったとのちのほら吹きが言い張る「縁起」である。

宇宙と同じ組成のあなたがこの世あるいは宇宙の組成の1ピースであるということである。

その1ピースの形があちこちで簡単に変わっては、この世の組成がわやくちゃになるからである。


そのためにDNAにより厳格に氣道のバランスが形作られ、そんじょそこらのあれこれでは変えられないようになっているわけである。

しかし、これはまったく変わらないということではないところに、進化を見据えた神の絶妙な采配があるわけである。


環境の影響や生命活動で、ほんの少しづつ変わり、ときどき突然変異で大きく変わったりして、さらに自然淘汰され、次代に引き継がれて進化となるわけである。

コトタマは「ほんの少しづつ変わる」進化の一部といえるわけである。


つーことで、進化の一部の「みゅ・ミュ」のコトタマの反応部位はへそとみぞおちの中間あたりの周囲である。

経絡経穴でいうと正中線上任脈の中院の周囲である。

ここから、氣道を上昇して壇中から胸の両脇に別れ、手の心包経を通って両手の中指を開くのである。


また、壇中から垂直に上昇したものはのどから顔の両脇を通り、目の周囲の氣道を開くのである。

また、さらに上昇した一部は頭部から後背部に回り、腎を開き膀胱径を開き大腿部の裏側中央付近の殷門の周囲を開くのである。


「みゅーみゅーみゅー」と鳴けば、いや唱えれば腹が開き、胸が開き,、眼の周囲が開き、両手の中指がしびれ、両足脚部の腿の裏側の殷門が開くのがわかるわけである。

まあ、基本的には心包経を開くので、心臓の周囲の細胞の再生あるいは修復力を活性化し、心臓の働きを整えて、正常な状態の方向に導くコトタマであるわけである。


精神的には場所が場所だけに泰然自若てな心境とはほどとおいが、どきどきわくわく感を味わうことはできるのである。

人生をうまく乗り切るには肚を据えるというのが重要であるが、若さを保つにはどきどきわくわく感も重要であるのである。


気功はいわば不老長寿の法であるので、どーやったら若いままでいられるんだろうかねーてなもとに始まったものである。

つまり、人間の忌むものは生老病死というとおり、とにもかくにも、元気で若々しい身体が欲しいわけである。


その基本は立つこと歩くこと、あるいは動くこと声を出すことであるが、それとともにどきどきわくわくに代表される精神的な高揚がホルモンの放出をうながし、あれこれを元気にするわけである。

まあ、これが恐怖や不安でどきどきでは逆効果であるが、とにもかくにも、心臓を動かして活性化させる一要素になるのである。


さあ、あなたも今日から朝から晩まで「みゅーみゅーみゅー」とわめいて猫を集め、おいおい、猫なんか集めてどーすんだ、そーじゃなくて、わくわくどきどきと胸を高鳴らせてこの世浮世のときめきフェアリーテイルを楽しもうではありませんか。

なんでんのそれ。

しらんがな。

ううむ、いまひとつ新鮮味がほしいが。

続く。

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