象気功

コトタマ

言霊の人体における反応部位




コトタマの反応部位「ひゅ・ヒュ」


人間の魂の本質を作るコトタマの反応部位は、「ひゅ・ヒュ」の解説である。

ううむ、なんだ、その、まあ、この世の中てなものは、ろくでもないものほど上に立つのである。

それは欲が強いものが上に立つからである。


自己顕示欲、名誉欲、物欲、金銭欲、支配欲、権力欲、知識欲、我欲、強欲、さらには、しき欲、せー欲、あい欲、じょー欲、にく欲、てなことで、だいたいが欲てなものはろくてもないものであるわけである。

そのろくでもないものである欲が強いものほど社会あるいは組織の上に立つものあるいはエライ人であるから、当然、社会あるいは組織の上に立つものあるいはエライ人はろくでもないものであるわけである。


このことが理解できると、昨今の高級官僚のろくでもない行いや、スポーツ界の会長・指導者のろくでもない行いや、某銀行会長社長周辺のろくでもない行いや、世界中で被害児童数千人という某おかそりっくの数えきれない数のえらそーにせーしょくしゃと言い張る皆さんのはっきりとはいえないろくでもない行いは当たり前であることがわかるのである。


あたしの周囲にもあれこれ組織の上に立つエライ人と呼ばれる人があれこれおられて、某党の某大臣経験者のセンセー、都議会の某部長のセンセー、某宗の管長、某大証券会社の元会長、某放送局の元看板アナ、某大銀行のアメリカのブロック長などなど、財界政界からしゅーきょー会までのエライ人が多々おられて、どなたもたいへん親しい方であるので、悪口は極力控えるが、そろいもそろって、人間として尊敬できるところはなにもない極め付きのろくでなしばかりである。


悪口だろそれ。

もちろん、「人間として」であって、その社会的貢献度あるいは能力は別であるが、とにかく自称他称に関わらず、エライ人なんて思われる人は、程度の差はあれろくでもない人と考えるのが正解である。


このろくでもない皆さんをわかりやすい例として、あなたがこの世で出会う、人の上に立つエライ人はほぼ全員が、程度の差はあれ、強欲のろくでもないものである。

もちろん、”ほぼ”であって、ごくまれに、ほぼそうではないほぼ無私無欲清廉潔白なものが上に立つ場合もあるが、そんな人にあなたが人生で出会えるのは、ほぼ隕石があなたの頭に当たるぐらいほぼあり得ないことである。


あるいは、ほぼじゃんぼ宝くじの一等に当たるぐらいの確率であるので、ほぼ奇跡あるいは限りなくほぼゼロに近いあれこれであるわけである。

だから、あなたがそんな人に出会うことは、はなはだ絶望的であるので、たまさかに「うわあ、この人は素晴らしい、まるで神のようだ!」なんて思ったときは、100歩下がって、さらに200歩下がって、さらに500歩下がって、さらにさらに1000歩下がって遠巻きにして、眉につばをべっとりつけて、斜めの目線であら捜しを始めることが肝要である。


まず、この世に「神のような人」なんかおられないのである。

当たり前である。

ろくてもないから人間であるのである。

にんげんだもの。

いやべつにあたしは相田さんを茶化す気は毛頭ございませんが、べつだん尊敬もしておりませんので、かばん持ちをする気はさらにございません。

さんざんかよ。


まあ、500歩1000歩離れて、眉に唾を付けて、あれこれあら捜しをしても、「ああ、やっぱりこの人には神が宿っている、この人にすべを捧げてついて行こう」なんてあなたが感動して感涙にむせぶ時は、騙されて人生を棒に振るのも一興であるので、心ゆくまで馬鹿丸出しをお楽しみいただきたい。

結局、騙されるのかよ。


まあ、この世は基本的に、騙すあるいは操る高知能の詐欺師と騙されるあるいは操られるあたしら低知能のパ~で成り立ってるんだからしょーがないじゃん。

と、みごとにこの世の成り立ちを喝破してあれこれの夢と希望を木っ端みじん存分に打ち砕いたところで、「ひゅ・ヒュ」のコトタマの反応部位はへそのほんの少し上の周囲である。


経絡経穴でいうと、前正中線を走る任脈上の「水分穴(すいぶんけつ)」の周囲である。

この部位が開くと、その波動が氣道を通って、背中の腎臓及び副腎へ影響を与えるのである。


「ひゅ・ヒュ」のコトタマの反応を身体を澄まして感じ取ると、臍の少し上の裏側あたりの背骨の両脇がウズウズとなにやら怪しくうごめいてくるのがわかる方もおられると思うのである。

これは腎臓や副腎の毛細血管が開いて、血流が増加してるということである。


だから「ひゅーひゅーひゅー」とおねーちゃんに向かっておせくはらをしてれば、腎機能及び副腎機能が活性化して、毒素排出、冷え性改善、効ストレス、効ヒスタミン、さらには前頭葉活性化による知能向上てなことに「やらないよりマシ」な範囲内で、効力を発揮する可能性もないではないが、まあ、過大な期待をしてはいけないのは他のコトタマと同様であるのは言うまでもないことである。


もちろん口から出まかせであるが、神のお告げである都合上、いずれは必ず成就されるので、「ひゅっひゅっひゅのひゅーっ」と終日わめいて、背中のウズウズをお楽しみいただきたい。

ああ、ありがたいありがたい。

またおためごかしを。

あちゃ、バレた?

続く。


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