象気功

コトタマ

言霊の人体における反応部位




コトタマの反応部位「しょ・ショ」


世界の気功界を震撼させるコトタマの反応部位は、「しょ・ショ」の解説である。

ううむ、なんである、昔は書きものをして手指手首が痛くなる書痙てなものがあたしら流行作家にはついて回ったわけであるが、これが、昨今はキーボードのタイピングによる腱鞘炎てなことであるわけである。

だれが流行作家だ。


定番のお約束をひもといて、ううむ、ひもといては違うな、まあ、とにかく、欧米ではいわゆる戦前から、戦前って今時言うかねしかし、うるさいな先に進まんだろ、誰に言ってるんだ、病気かお前は、一度入院して診てもらえ、ハイハイ、話を戻して、タイピスト腱鞘炎てな言葉があるぐらいで、まあ、それほど新しくもない症状であるが、これがピアノではなんというのかと思って調べてみるとピアノの腱鞘炎あるいはピアノによる腱鞘炎あるいはピアノの弾き過ぎによる腱鞘炎てなことで、べつにまとまった呼び名はないようである。


それで、最近、手指が痛いのでつらつら考えてみるに、どうもピアノの弾き過ぎが原因であるらしいということが、あたしの絶望的に大脳新皮質の萎縮がひどい脳でもわかったのである。

まあ、それで、あたしは天才気功家であるとともに、天才ピアニストとしての顔も持ち合わせているので、間近に迫った演奏会に向けて日々の猛練習が欠かせないわけである。


以前にも紹介した道場にはもちろんピアノ室をしつらえて、某やまはのグランドピアノに向かいポロロンポロロン得意の演目の「ねこふんじゃった」あるいは「きらきら星」などの名曲のお稽古に余念がないわけである。



しかし、演奏会が間近に迫ると、大観衆の前でもしミスタッチてなものがあると、いかに大丹田の象師匠におかれましてもこっぱずかしいので、なんとかノーミスで弾きたいと思うのは人情で、とにかく、あぶく銭を稼ぐためのお仕事中もこよなく練習したいわけである。


それで、仕事場にも練習用のピアノを置こうということで某あまぞんであれこれ探したら、グランドピアノと同等の弾き心地とレビューでも評判の某おやまはの電子ピアノがあったので、「おお、これだ、これで練習すればあたしも某フジコ・ヘミングさんのようにアルバムが300万枚の大ヒットでヨーロッパで数億円のお別荘生活を満喫できるぞ」とすぐご注文遊ばしたら、棺桶みたいなでかい段ボール箱が3個来たのである。



これを仕事場の2階にえっちらおっちら運び上げて、あーでもないこーでもないと半日かけて組み立てたのである。



当たり前であるが、88鍵フルサイズであるので、でかいのである。


おおむね10畳の仕事場が身動き取れなくなったのである。

でも、ペダルもちゃんと3本付いてるのである。

50 Great for the Piano てな楽譜本も無料で付いてるのである。

本を開いてみると、あたしの代表曲の「ねこふんじゃった」はないし、モーツアルトの「ピアノソナタ15番」や「トルコ行進曲」はあるのに名曲「きらきら星」がないのである。


「きらきら星」も同じモーツアルトなのになんてことだと憤慨したのであるが、そこはそれあたしも大人であるので、出版元の某おやまはにクレームを入れるのは差し控えて、さあこれでさらなる猛練習をして、あたしもカーネーギーホールはすぐそこだ、と欣喜雀躍でさっそく弾いてみたら、

「グランドピアノとぜんぜんちがうじゃねーか」

である。

当たり前である。


道場のグランドピアノは安もんとはいえ、おおむね200万円である。

この電子ピアノは某あまぞんで送料無料で6万2千円で、電子ピアノとしても思いっきりのナニである。

そんなもん同じ弾き心地なわけねーだろ。

鍵盤のサイズも違うしストロークも違うし、だいたい音があらえっさっさーである。


浜ちゃんの格付けチェックで出題されても全員正解するのである。

格付けチェックを見てない人にはなんのことかわからんのはさておいて、まあ、アコースティックとグランドピアノ音源とはいえへっぽこなスピーカーからの電子音を比較すること自体がまちがいであるが、ピアノを買うときは電子ピアノとはいえ、ピアノ屋さんの店頭に足を運んで試し弾きをして確認しないといけないという神のお告げであるわけである。


あまりにもくだらんネタで怒りだしてチャンネルを変える人もおられるのも想像に難くないので、本日のお題の「しょ・ショ」のコトタマの反応部位は、腹部の恥骨とへその中間あたりの周囲である。

経絡・経穴でいうと、前正中線を走る任脈の関元穴の周囲である。


言い換えると象気功的にはいわゆる丹田の中心といってもよろしいのである。

まあ、あくまでも周囲であって関元穴そのものではないのであるが、象気功ではだいたいそのあたりであるとご理解いただきたいわけである。


だいたいが経穴自体が大昔のあたしみたいな少しあそこの変なおっさんがここだここだと言い張っただけで、臓器のように実態のあるものではないので、言ったもん勝ちの穴ぼこである。

つまりは氣による氣道としての毛細血管の反応を神経のように感覚としてとらえたということであるので、人によってまちまちであるのは当たり前である。


演奏会場の某すたんうぇい社のピアノの調律が、その時の有名演奏家の希望と調律師の耳による感覚でまちまちであるのと同様である。

ううむ、これは例がしろーとさんにはわかりにくいか、まあ、いい、とにかく、なにしろ氣に関することは現在に至っても科学から遠く離れたいわば言ったもん勝ちのでたらめな感覚の世界であるので、だいたいそのへんと理解したほうがよろしいのである。


話は若干逸れるが、とにもかくにも言ったもん勝ちの世界であるので、氣に関することの先生あるいはグルあるいは教祖と言い張るやからが、落ち着いて泰然自若で自信たっぷりで大物に見えたら、100歩下がって眉に唾をべとべと付けた方が無難である。


とかくパ~の皆さんはちょーしに乗りやすくハマりやすく誰かに頼りたがるので、たとえば主催者が宇宙とか神とか聖域とか古代とか前世とか浄化とか学びとか昇華とか悟りとか解脱とか言い始めたら、さらに1000歩ぐらい下がって遠巻きにした方が無難である。


昨今はヨガは乱立して今一つ集客力にかけるので、あるいは信者集めがバレてるので、宗教ではないと言い張ってダンス系のサークル活動てな触れ込みで公共施設を使って信者を集める団体も出てきて、そうとう気持ち悪い音楽と踊りで本部受講料という名のお布施集めに日々いそしんでおられるが、まあ、あたしにとっては聞くに堪えない気持ち悪い曲がおつむの壊れた人には得も言われぬほど気持ちよく聞こえて、あたしには見るに堪えない不快な踊りもおつむの壊れた人には快楽悦楽の限りの歓喜の舞で、なかには感涙にむせぶ信者もおられて、詐欺師の脳はまことにアホを操る才能に特化してるということに感心するのである。

あやかりたいあやかりたい。


あやかりたいのかよ。

まったく無意味なお決まりのツッコミ芸はともかく、神に近づく方法なんてのはあるわけもなく、この世に神に近い人なんてのはいるはずもないのである。

宇宙最強の霊能者であり、この世の創造者である神と呼ばれるものに選ばれた唯一の預言者であるあたしが言ってるんだから間違いないのである。


まあ、そうは言っても、氣だのスピリチュアルだの精神世界だのなんて言ってる皆さんは基本的におつむが壊れてるので、詐欺師の操作で簡単にマインドコントロールされてしまうので、パ~をだまくらかしての金集めのネタは尽きず、ヤバイよヤバイよと言っても無駄であるが、まあ、それはそれで死ぬまでの暇つぶしの一環としてお楽しみいただくのもありであるのは言うまでもないことである。


ううむ、まあ、冷静に考えるとあたしのおつむが一番壊れてるかもしれないのであるのは、くるくるぱ~の世界の先導者としていたしかたのないあれこれである。

くるくるぱ~かよ。


てなことで、「しょ・ショ」のコトタマの部位が開くと、「しゅ・シュ」と同様に、下降して脚部から足の湧泉穴を開くと同時に、前正中線の氣道を上昇して眉間・額・頭頂部までの氣道を開き、前頭葉を中心として、大脳新皮質を刺激して、おりこーさんになる方向に脳をいざなうのである。


まあ、いずれにしても、丹田の中心ということは小腸の中心であるので、象気功的には身体の中心といっても過言ではないわけである。

腸は脳に次ぐおおむね1000億個の神経細胞があり、さらにおおむね100兆個の腸内細菌のお住まいであるから、その中心である小腸は、あなたの思考、行動、健康、などの運命の鍵を握る部位であるのは自明の理である。


この部位の調子と、お住いの腸内細菌のご機嫌次第で、あなたの健康状態も人生も天国と地獄を行ったり来たりのあらうふんになるのである。

昨今はこの部位が免疫系の大きな中枢としてもかまびすしく取り上げられるごとく、この部位のメンテナンスは非常に重要であるということは、普通の知能の皆さんには周知のこととなっているとご推察するのである。


普通の知能の皆さんというのは大変に語弊があるが、まあ、IQ100程度の「猿よりマシ」なあたしらのことである。

ううむ、さらに語弊があるが、その「猿よりまマシ」なあたしらが「しょっしょっしょーのしょしょしょのしょーっ」と終日わめいても、いきなり超天才になるなんてこともないのはいつものことであるが、「やらないよりはマシ」の効果で「猿よりマシ」がさらに「猿よりマシよりマシ」になる効果はあるのである。


さらには丹田の中心であるので、氣が下がり、「やらないよりはマシ」の範囲内で、精神安定効果もあるのである。

知能向上と精神安定という、いわば相反する効果を得ることができるコトタマであるわけである。

某読者命名によるあたしの通り名の「象師匠・ゾウシショウ」を構成するコトタマの効果を知れば、神の采配はいかばかりのことかご推察いただけることと思うわけである。

まあ、こんなことで今回はいいかな。

続く。

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