象気功

コトタマ

言霊の人体における反応部位




コトタマの反応部位「しゃ・シャ」


氣道を開き、毛細血管を開き、脳内ホルモン・体内ネットワークにおけるメッセージ物質の連絡をスムーズにするコトタマの反応部位は、清音「あ・ア」~「ん・ン」、濁音「が・ガ」~「ぼ・ボ」、半濁音「ぱ・パ」~「ぽ・ポ」に続いて拗音「きゃ・キャ」「きゅ・キュ」「きょ・キョ」の次は「しゃ・シャ」の解説である。


まあ、なんというのか、昨今の研究で、人間の細胞はおおむね60兆個ではなく、おおむね37兆個に変更されたのである。

すごい違いだねしかし。

23兆個はどこへ行ったのかね。

ほぼでたらめである。


まあ、どっちにしても、たいていの定説はでたらめである。

この世浮世の成り立ちのすべてに経済が絡むので、ことに医療に関することは時が移ると真逆になることも多々あるのは周知のことである。

てなことで、本日は某アジア某国にお住まいのあたしの知人の4歳になるお孫さんが大手の幼稚園に全部落ちたというぐちを聞かされたことによる「ギフテッド」に関するあれこれである。


なんにしても手近なネタには変わりないが、そのお孫さんが生まれてすぐからどうも様子が変で、3歳になって大手の幼稚園の試験を受けても全部お断りされるので、シンガポールの高IQ互助会のメンサ会員の先生にIQを調べてもらったら、視空間認識力が200以上で、計測不能であるてなことである。

まあ、他のコミュニケーション能力などが110程度であるので、IQ平均は160だそうである。


メンサの基準は日本のIQ値とは多少違うし、IQ自体が相対評価であるので、「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」てなことで、幼児期の高IQが将来的にどうなるかはなんとも言えないのは聡明な象気功読者には周知のことであるとご推察申し上げるが、まあ、とにかく大手の幼稚園はことごとくお断りされて、たまたま入園試験の面接で「これはアレかもしれない」と気が付いた校長先生のおられる人種混ぜこぜのイギリス系幼稚園に無事ご入園なされて、言うことを一切聞かない、お遊戯もしない、歌も歌わない、わけのわからないことを一日中わめいているなど、予想通りにものすごいご迷惑をおかけしているそうである。


まあ、それで、くだんのお断りされた大手の幼稚園の試験官には無反応であったのに、メンサ会員のセンセーや、その場にいたIQ140以上の生徒さんには喜々として反応したそうである。

それまでの日常でも反応する人としない人が極端で、ほとんどの人にはあやされてもまったく無反応であったそうである。


それで、なぜ幼稚園の試験官に無反応で、メンサ会員のセンセーや生徒には喜々として反応するのかとつらつら考えていたところ、先日偶然「猿の惑星創世記」を見て、はたと気が付いたのである。

映画の中で知能が人間並みになったチンパンジーのシーザーが猿山に放り込まれた状況を見て、「ああ、なるほど、これか!!」と何度もガッテンガッテンしたのである。


何がガッテンガッテンだ、ううう、くだらん、ところがどっこい、象気功はライブであるので、さぶいぼの立つネタも書き直さないのである。

まあ、そのお孫さんも成長すれば、おつむの状態が少し違うだけだということを理解すると思うが、幼児期であるお孫さんにはどう考えても周囲のほとんどがホモサピエンスには思えず、チンパンジーやテナガザルにあやされていると感じるわけである。


とにもかくにも、幼稚園の試験官やあたしらIQ100程度のふつーの猿は、そのお孫さんには動物園の猿山の猿に見えるわけである。

1歳でアルファベットを覚えて、3歳で小学校の教科書を読んで、4歳の現在は百科事典を読んでブラックホールとマクロファージとT細胞について論じてらっしゃるそうであるが、単純な繰り返えし作業がまったくできないので、文字を練習することができず、アルファベットやひらがなやカタカナがいわゆるミラー文字になってしまうそうである。


つまり、百科事典を読んで宇宙や細胞について論じても、文字が書けないのである。

文字が書けないことは見方によっては4歳児としてはふつーであるが、いわゆるギフテッドが理解されていない日本で小学校に上がれば、学習障害あるいは発達障害あるいは知的障害である。


ある意味もちろんその通りであるので、特別支援学級に机を用意されることになるわけであるし、文字が書けないまま成長すれば社会生活がままならないのである。

ところが神の大いなる意思はそんなことではめげず、文字が書けなくてもキーボードはたちどころに覚えて、なんなく打てるそうである。


友人のPCやスマホにメールを日本語でも英語でもふつうに送ってくるので、現代文明のツールの中では文字が書けないことはハンデにはならないわけである。

あたしだって、手書きは自分の名前と住所ぐらいで、あとはワードのお世話になるのが日常である。


メモさえスマホに音声認識の口頭で書き込むので、まったく手書きはあらいやんである。

それも、長い間手書きをしないので、住所なんかはおもいっきり間違えるし、漢字や英語のスペルもスマホの辞書なしにはどうにもならないという昨今である。


さらに、昨今は文字を書くことに関することのほとんどが音声認識による口頭で済むので、キーボードさえ打てなくなる可能性もあるのである。

そのうち、あたしみたいに手書きで文字の書けない人間が普通になる時代はすぐそこかもしれないのである。


まあ、そのお孫さんはいわゆる典型的な視空間認識型のギフテッドであるわけである。

最近の劇場用映画の「ギフテッド」の数学の天才である少女はなんでもわかる大人のような精神状態に描かれているが、あれは天才ではなく英才あるいは秀才である。


原作者がギフテッドの概念自体を勘違いしているのである。

天才としてのギフテッドは一部の能力だけが突出していて、ほかの能力は平均以下という場合もあるので、はたから見ると近所のバカと相違ないのである。

それがいわゆるギフテッドのざっくりとした概念である。


たとえば東大にご入学なされるのは平均的に優れた英才であり秀才である。

まあ、東大生にも度合いの差はあれ何かしらの発達障害に該当する皆さんもおられるそうであるので、その皆さんは程度のおだやかなギフテッドであるわけである。


いずれにしてもそのお孫さんは日本の教育体系では対応してくれる機関が限られているので、ギフテッド教育にそれなりに熱心な欧米の教育機関のお世話になるしかないわけである。

友人曰く「孫の教育にものすごく金かかかる。息子の稼ぎで追いつくわけがないから、一生懸命蓄えた自分の老後のための資産と預金でなんとかするしかない。どこに災難があるかわからない」つーことである。


ギフテッドは社会適応性が育たない場合もあるので、教育に失敗すると、ただのニートになる場合もあるつーことである。

てなことで、さてさて、あたしらチンパンジーあるいはニホンザルの健康と発展を心より祈念いたしまして、本日のお題の「しゃ・シャ」のコトタマの反応部位は足のくるぶしの内側の周囲である。


「しゃ・シャ」のコトタマの反応部位が開くと、下降してかかとから足の親指を開き、上昇して脚部の内側を通り、会陰を開き、丹田を開き、さらに前正中線の氣道を駆け上がり、両頬から両目を通り、眉間の印堂を開き、髪の生え際の神庭を開き、頭頂部の百会に達するのである。


基本的にはくるぶしの周囲を開くので、氣が下がり、精神が落ち着く効果があるが、それで、いきなり泰然自若な精神状態が完成し大人物になるなんてことはいっさいがっさいあり得ないということをよーくご認識いただいた上で、「しゃっしゃっしゃーのしゃーっ」とわめきまくっていただければ、くるぶしの周囲を中心として毛細血管が開き、細胞への栄養や酸素の供給はもとより、臓器としての骨や筋肉あるいは脂肪へのメッセージ物質の伝達も軽やかに、あなたの本来の正常な状態に戻ろうとする再生メンテナンスがこよなく行われる一助となるのである。


まいどのゴタクであるが、気功、ヨーガ、密教、神道、などの修業修祓の目的は、毛細血管の再生修復メンテナンスであり、そのことによる健康長寿が眼目である。

その他のいわゆる神がかりなことは枝葉末節であり、どーでもいいのである。


悟りも解脱も昇華もニルバーナも覚醒もへったくれもないのである。

人間は元気なうちが華である。

具合が悪くて今にも死にそうではどうにもならないのである。

当たり前である。

象気功は当たり前のことしか言わないのである。


世界のご長寿者を見渡せばわかるとおり、例外なく「普通の人」である。

気功の達人でもなく、ヨーガの行者でもなく、宗教の教祖でもなく、大金持ちでもなく、偉人でもなく、普通の人である。

あたしは普通の人になりたい。

おもいっきり普通でんがな。

悪かったな。

続く。

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