象気功

コトタマ

言霊の人体における反応部位




コトタマの反応部位「きょ・キョ」


あなたの人生を根底から変え、人類の未来をあれこれするコトタマの反応部位は、清音「あ・ア」~「ん・ン」、濁音「が・ガ」~「ぼ・ボ」、半濁音「ぱ・パ」~「ぽ・ポ」に続いて拗音「きゃ・キャ」「きゅ・キュ」の次は「きょ・キョ」の解説である。


さて、まあ、糖質制限の火付け役の先生がだいぶ前に心停止で若死にして、糖質5~6割摂取を何が何でも推し進める糖質制限大反対の某とーにょーびょー学会の関係者の皆さんは大喜びであるとご推察申し上げるが、それでも、どう考えても糖質はお食事の5~6割もいらんだろうというご意見があちこちから噴出して、昨今ではレストランでも糖質制限メニューが大流行である。


まあ、脳に必要な糖質およびケトン体は脂肪とタンパク質から生成できるのでまったくいらんてな乱暴なご意見にはあたしも賛同しかねるが、肉食が悪だというような乱暴な意見にも賛同しかねるのはいうまでもないことである。


これが最近では100歳以上のご長寿者の多くがお肉が大好きというデータが国営放送の番組でもとりあげられて、「おいおい、肉を食うと早死するというのはウソかよ」という巷の声も騒がしく、さらには「バランスのよい食事」の糖質5~6割神話がどーもガセなんじゃなかろーかてな噂もあちこちで、まあ、いずれにしても世界に冠たる国保制度のおかげで、薬漬けとはいいながら世界有数のご長寿国の地位を譲らない日本の食生活は、洋食・中華・エスニックよりも、糖質6割の和食がよろしいということになって、某とーにょーびょーのいりょーやお薬で儲ける糖質制限大反対の関係者は安堵に頬も緩むわけである。


まあ、そうはいっても、糖質も栄養として重要な要素であるので、完全カットなんて食生活がよろしくないのは言うまでもないが、とりすぎはさらによろしくないのは自明の理である。

つまりは、なんだかんだ言っても「食いすぎ」が原因であるから、要は中庸を旨として、バランスよく腹八分目である。

結局そこかよ。


てなことで、ブタカバ養成の果糖ブドウ糖砂糖てんこもり飲料のコーラをゴクゴク飲んで、カフェインと糖質で脳をどついて、「きょ・キョ」のコトタマの反応部位は胸骨の胸骨体の最下部である。

胸骨は胸骨柄、胸骨体、剣状突起の3部からなるわけであるが、そのうちの胸骨体の最下部の周囲である。


経絡で言うと前正中線を走る任脈の壇中の周囲である。

「きょ・キョ」のコトタマの部位が開くと、その周囲の氣道が開き、周囲の臓器の毛細血管が開き、血流が正常な方向に向かうとともに、体内ネットわークにおけるメッセージ物質がスムーズに運ばれるわけである。


体内ネットワークは血管の99%を占める毛細血管によって成り立っているのである。

なにしろメッセージ物質である。

ううむ、なかなかいいね。

各臓器間で連絡しあい、バランスを整え、人体を環境に合わせて最適な状態に調整するわけである。


脳内ホルモンは神経伝達物質ともいわれ、神経組織により運ばれるわけであるが、体内ネットワークにおける臓器間のメッセージ物質を運ぶその神経組織ともいえるものが毛細血管である。

象気功開設当初より、ことあるごとにすべては毛細血管のいかんにあると言い張ってきた象気功の神のお告げという名の口から出まかせが、昨今の医学の進捗でみごとに成就されたわけである。


医学がようやく神のお告げの象気功に追いついてきたわけである。

いや~、神のお告げってホントにいいもんですね~。

お前はアホか。

えーと、なんだっけ?

ああ、そうだ、「きょ・キョ」のコトタマの反応部位である。


壇中は心臓に影響のある部位であるので、まあ、「きょ・キョ」のコトタマでその周囲の氣道が開けば、心臓からのメッセージ物質が軽やかに他の臓器に伝わり、他の臓器からのメッセージ物質も軽やかに心臓に伝わるわけである。

もちろん毛細血管が開けば、血液が潤沢に流れ、酸素や栄養素がみごとに細胞に届くことは言うまでもないことである。


血液を送り出している心房も細胞でできているのであるから、その細胞には毛細血管からの酸素・栄養素が届かないことにはどうにもならないのは言うまでもないことである。

毛細血管が壊死してその連絡が行き届かなくなることから、いろいろと身体の不具合あるいは変調をきたすわけである。


毛細血管を育てるには、まず開いて血流を促すことである。

毛細血管を開き育てるメソッドのひとつがコトタマの反応部位の活用である。

個々の身体が本来もっているはずの毛細血管の状態に近づけ、本来もっているはずの範囲内の正常なバランスに調整するのである。


人体は微妙かつ精妙なバランスを保つことにより生命活動をこよなく継続することができるわけである。

だから、やり過ぎても問題が出るし、やらなければさらに問題が出るわけであるが、要は、中庸である。

象気功の超絶的神のお告げに基づく「やらないよりはマシ」の教えである。


氣の世界から俯瞰すると、つまりは何ごとも偏差の出ない範囲内の修養ということになるわけである。

とにもかくにも、♪あらえっさっさーである。

神のお告げが成就されて有頂天である。

アホはすぐちょーしに乗るのである。


もちろん、それで何か神がかりなことが起きると思ったら大間違いである。

本来持っている正常な状態に近づくだけである。

気功もヨーガも密教も神道も毛細血管の再生メンテナンスが目的であり、神がかりな能力も出ないし、天才にもならんので、能無しは能無しのままであるし、アホはアホのままである。


天才はいわば生まれつきであり、アホも生まれつきである。

しかし、たとえばコトタマの効果でその部位が開けば、能無しも「やらないよりはマシ」の範囲内でほんの少し能ありになる可能性はあるし、アホも「やらないよりはマシ」の範囲内で少しマシなアホになる可能性はあるのである。

いわゆる生まれつきのアホのあたしがアホをけなしても詮無いことであるが、まあ、アホ同士で仲良くやりましょうや。

ううう、スベリ過ぎて涙が出てきた。

続く。

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