象気功

コトタマ

言霊の人体における反応部位




コトタマの反応部位「ぺ・ペ」


ううむ、まあ、なんだ、本日のコトタマの反応部位は、「ぺ・ペ」の解説である。

とにもかくにも、まことにもって、この世は運次第である。

それ以外にないのである。

努力なんかしちゃあバチが当たるのである。


死ぬほど努力してどんなに安全運転していても、事故は向こうからやってくるのである。

もっとも安全と思われる病院の待合室で待っていても、ご老人がアクセルとブレーキを踏み間違えて突っ込んで来るし、通学路を歩く小学生の集団登校の列には狙いすましたように悪霊に憑かれた車が突進してくるのである。


まあ、その原因が悪霊か寝不足か悩み事かスマホかおっちょこちょいかはともかくとして、他にいくらでも、突っ込んでも差しさわりのないものがあるのに、あろうことか、どんなことがあっても絶対に突っ込んではいけない児童の列に、思いっきり突っ込んで、これでもかとなぎ倒すのである。


どんなバカや間抜けでも日本において児童の列に車で突っ込むことは、この世で最悪の事態であるということは理解してると思うのはあたしだけではないと思うのである。

しかし、それが頻繁に起きるのであるから、悪霊に憑かれたと表現するのが打倒であると思うが、いろんな異論のある方にはまったく異論も反論もないのは言うまでもないことである。


とにもかくにもかくのごとく、事故、事件、災難、自然災害は向こうからやってくるのである。

ただただ、あなたの運気次第で、そこに運悪く居るか、運良く逃れるか、が決まるのである。


未来のことはまったく予測できないようになっているのである。

神がそのようにこの世をお創り遊ばしたのである。

預言者だの予言者だのと言い張るヤカラはただのホラ吹きである。


霊能者も同様である。

霊能者というのは、不詳象師匠のように、霊という名の「想念による波動」が見えたり、感覚としてとらえることができる者てなことであって、「未来がわかる」なんて言い張ってるのは信者集め金集めの単なる大ボラか単なるバカである。


だれもが認める古今未曽有最強の超天才大霊能者のあたしが言ってるんだから間違いないのである。

「誰もが認める」はさすがに言い過ぎであるかもしれないと一縷の不安もよぎるが、ホラ吹きはホラ吹きを知るである。


嘘つきは嘘つきを知るである。

嘘つきかよ。

たははは。

さて、そのホラ吹き代表あるいは嘘つき代表の象師匠による人体実験の結果のコトタマの反応部位も「ぺ・ペ」に突入して、途中から読んだ人は「これって、いったいなんの役に立つんだ?」という、もっとも至極な疑問にぶち当たるわけである。


まあ、つまり、人間の運気は親から受け継いだDNA遺伝子のご都合が大本になって、その後の言葉の音(おん)、つまりコトタマによる脳神経細胞の構成により大きく左右されるということを教義としての、実践的な解説である。


象気功信者には今さらであるが、これは言葉の意味による影響ではなく、音(おん)あるいは波動・振動による神経細胞段階においての影響である。

言葉の意味による影響をコトダマといい、音による影響をコトタマというのである。


以前はこれを混同していた霊能商売ホラ吹き嘘つきの皆さんも、あたしがことあるごとにしつこくののしってきた効果なのかなんなのか、かなり浸透してきて、それなりに認知されている昨今である。

まあ、そんなことはともかく、努力や勤勉とは程遠い、自堕落でいいかげんに生きてるあたしが、路上生活者にもならず医者にもいかず人間ドックはおろか健康診断も受けずに死にもせず生活にも困らず、テキトー極楽お気楽の人生を送れるひとつの要因であるということである。


それもこれも人体実験のひとつとしての臨床であるが、これであたしがいきなり事件・事故・災害に巻き込まれたり、がんや心筋梗塞や脳梗塞でおっちんじまえば嘘八百のネタであるということで一件落着となるが、いまだにそうでもないのはごらんの通りで、まあ、やり方によっては「やらないよりはマシ」の効果があるという結論に漂着するわけである。

漂着かい。

難破しとるがな。


ううう、つまらん、どーにかならんもんかと思うが、気功もやりつくしてこれ以上のホラもみつからんし、どこぞのぱ~の教祖のように釈迦やキリストの生まれ変わりだなんてホラはさすがに恥ずかしいしで、ここはひとつインターネット芸人としての本分に立ち戻り、「笑い」というこの世の極楽を世間様にご提供して、なんやかんやするわけである。


なにしろなんやかんやである。

なべやかんではないのである。

どんどんつまらなくなるのかよ。

お願い、見捨てないで。

ここはひとつ、長ーい目で見てやっていただきたい。


えーと、それで、まあ、たとえばあたしもときには人並みに寝違えて首が回らなくなって、その痛みが上半身はもとより下半身にまでまわって往生することがあるのである。

つまり、ひとつの関節がずれたりして炎症が発生すると全身のあちこちに影響が出るわけである。


これが、「ロキニアダラモリガアカラ」と数回わめくと改善するのである。

「ロキニアダラモリガアカラ」は関節周辺の痛みにはそうとうに「やらないよりはマシ」の効果があるのである。


これは密教占星術のマントラのいくつかを、あたしが勝手に組み合わせたものであるが、それがどこに反応するのかを人体実験して組み合わせたわけである。

もちろんそれがどんな部位のどんな場合にも劇的効果があるといことではなく、関節周辺の炎症に「やらないよりはマシ」の効果があるということである。


これはもちろんその部位の障害や故障が治ったということではなく、炎症抑制に効果があるということである。

これが一端で、各臓器に影響のあるコトタマを組み合わせれば、健康状態も「やらないよりはマシ」の範囲内で改善することができるということである。


これは運気も同様である。

運気が悪くなる組み合わせもあれば、良くなる組み合わせもあるわけである。

たとえば氣が上がりやすくて人前に出るのも大変な人が、コトタマの組み合わせによる効果でどっしりとした判断力を持てば、人生は激変するのは当然である。


同じ能力でも、氣が上がって浮ついてる人と、肚が据わって常にどっしりとした判断力のある人では、そら、人生が全く違ってくるの当たり前である。

日本におけるほとんどの修行法は肚を据えるあるいは丹田を作るということに集約されているのであるが、ところがこれが精神修養などでは、どの修行法もその場限りでどうにもならないのはご経験の通りである。


しかし、気功などにある程度に熟達して氣感がある場合は、たとえば「ど・ど・ど・ど・ど」と繰り返して唱えるだけでも氣が下がるのがわかるはずである。

短音でもそれなりに効果があるのであるから、組み合わせれば相乗効果でさらなる影響があるのは言うまでもないことである。


コトタマは意思や意識の状態とは無関係に、自動的にいやおうなく神経細胞に影響を与えるのである。

運気の秘密はコトタマにあるということである。

ちゃんちゃん。

いいところでちゃんちゃんかよ。


賢明な読者にはご推察の通り、飽きちゃったので、本題の「ぺ・ペ」のコトタマの反応部位はへそとみぞおちの中間あたりの裏側の背骨の周囲である。

経絡でいうと後正中線を走る督脈の命門(めいもん・へその裏側)と脊中(せきちゅう・みぞおちの裏側)の中間あたりの周囲である。


「ぺ・ペ」の部位が開くと督脈を通り、頭頂部の百会から眉間の印堂までの氣道が開き、さらには、下降して骨盤から尾骨まで開くのである。

ううむ、なかなか快調である。

終わり。


終わるなよ。

まあ、とにもかくにも、この部位は人体のエネルギーの根幹である腎臓と副腎に影響があるのである。

東洋医学では、何はなくとも腎である。

すべてのエネルギーの源であり、精も根もここから始まるのである。


腎が大変だと人生が大変になるのである。

腎が不調であると、毒素が体内からうまく排出できずに、体内が毒素であふれて、あらいやんになるのである。

さらには副腎皮質ホルモンやアドレナリンなどの重要なホルモンの放出にかかわり、血圧、血糖、水分・塩分量などの体内環境を適切にに保つ副腎の状態は、人生の行く末を大きく左右すると言っても過言ではないのである。


つまり「ぺ・ペ」はへっぽこな響きにも関わらず人生に非常に重大な影響を及ぼすコトタマであると言えるわけである。

しかし、「ぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺぺ、ぺっぺけのぺーっ」と連日にわたってわめいても、うっかりすると救急車を呼ばれる以外には急激な効果は望むべくもないので、そこはそれ、「やらないよりはマシ」を念頭において、日々のたゆまぬ暇つぶしとしての口癖とするのがその効果を得る方法である。

ぺい。

なにそれ。

どんどん読者が逃げるのである。

いやん。

続く。

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