象気功

コトタマ
言霊の人体における反応部位



コトタマの反応部位「ぞ・ゾ」


2017年のご来光を拝みつつ、人類救済のために現されたと勝手に言い張るコトタマの反応部位は、「ぞ・ゾ」の解説である。

あけおめことよろである。

某あまぞんぷらいむでうぉーきんぐ・でっどを見ながら吐き気をこらえて年越しそばを食って、新春を寿ぎ、皆様の益々のなにをなにしてなんとやらである。


新年早々からいい加減である。

ううむ、ところで、今年の干支は何かね?

何年も前に年賀状をやめてしまったのでさっぱりわからんが、ああ、酉年なのね。


「酉」は「ちぢむ」の意味で、果実が成熟の極限に達した状態を表しているとされ、後に、覚え易くするために動物の鶏が割り当てられたつーことかね、ほほう。

ダジャレかよ。


酉年の人は鶏みたいな性格になるなんてのは、なんの根拠もないのね。

つまり、申年の人は猿のようにすばしこいとか、寅年の女は虎のように気が強いとか、卯年の男はウサギのように気が弱いとかは、思いっきりのこじつけつーことかね。

なるほどね。


まあ、方角にしても風水にしても六曜にしても神仏にしても、縁起物はだいたいがダジャレかこじつけであるから、信ずるに足るものがあるわけもないのであるが、暗雲たなびくこの世を徘徊する人生の一条の光あるいは人生砂漠のオアシスということである。

まあ、なんでもいいやね。


年が明けたといっても、昨日の続きで、別段何かが変わるというわけでもないので、なんで新年を祝うのかさえ判然としない今日このごろであるが、まあ、めでたい方がめでたいのは当然であるので、めでたくしておいて損はないわけである。


ううむ、だめだ、どうにもならん、ここはひとつ神の水あるいは聖水あるいは聖体としてコーラを飲もう。

ああ、やっぱり糖質はおまやくであるなあ。

体に悪いものは実に心も晴れ晴れ歓喜の時間をもたらしてくれるのである。


これに出所不明の怪しいお肉のハンバーガーと油たっぷりのポテトとくれば細胞壁血管壁破壊の準備は完璧であるが、そこはそれあたしも別にじさつがんぼーがあるわけではないので、週に数回の乱暴狼藉にとどめているのである。

それ、とどめてねーだろ。


てなことで、正月から縁起でもない展開のネタ見せ興行も早々に、「ぞ・ゾ」のコトタマの反応部位はへそと恥骨の中間の内部である。

下腹部の中央の内部である。

経絡の経穴で言うと、気海穴と関穴の間の内部、あるいは両方を含めた周囲である。


いわゆる臍下丹田である。

この部位から任脈の内側の氣道を通り胸部・頭部前面の氣道を開き、頭部前面から胸部の氣を丹田に引き下げるのである。

名前に「ぞ・ゾ」のコトタマが付くと、肚が座り、ともすると傲岸不遜とも言える強い性格を醸成するのである。


いわば丹田意識を自動・オートマチックに形成する実にありがたいコトタマである。

また、前頭部までの氣道を開き、前頭葉に影響を与えるので、論理・判断・推測といった能力も醸し出すので、政治家や実業家にピッタリの効果ということになるわけであるが、もちろん他の要素や他のコトタマとの兼ね合いによっては、ろくな者にならない場合も多々あるのは言うまでもないことである。


つまり、あなたの子供の名前に、大人物になってもらいたいということで、「ぞ・ゾ」のコトタマを付けても、あなたのDNA遺伝子とあなたの思考・行動により形成される脳神経細胞ニューロンシナプスの範囲内の能力ということであるので、ぜんぜん大した効果がない場合も多々あるということである。


まあ、あなたの人生が親を見れば一目瞭然であるのと同様に、子供の将来はあなたの人生を見れば一目瞭然であるわけである。

しかし、それでも、「付かないよりはマシ」あるいは「唱えないよりはマシ」の範囲内で影響・効果があるのはいつものあれこれそれこれである。

なんかオチを考えろよ。

続く。

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