象気功

コトタマ
言霊の人体における反応部位



コトタマの反応部位「じ・ジ」


神も仏も死に絶えた今の世に一筋の光明となるコトタマの反応部位は、「じ・ジ」の解説である。

なんといってもジーザスなんとかのジである。

信者の皆さんがこぞって神の子と言い張るホラ吹きの代表の一人のジであるなんてことを言うと、「悔い改めなさい」なんて日頃絶叫連呼して、本気で最後の審判をご心配の向きに怒られるのであるが、神も仏も絶命した今の世では、あたしみたいな一般霊能者の信ずるに足るものは外にある神よりも自分の中の神のみである。


自分の中の神とはとりもなおさず細胞の方向性ということであるが、あれこれの事情でまさに時代の転換期に差し掛かって、変化に対応できないものは右顧左眄右往左往して、どつぼにはまってとっぴんしゃんということにもなりかねない恐れも無きにしもあらずで、あなたの明日は不意不足の断崖絶壁から谷底を覗き見るごときである。


その人生の断崖絶壁さえもスリル満点のお楽しみとして、どんな変化にもフレキシブルに対応し、水のようにその器の形に合わせて生きることが象気功メソッドの真骨頂である。

あたしら能無しに周囲を変えることは無理難題でも、自分を変えることは可能である。


自分が変われば、周囲が変わるのである。

周囲の状況が同じでも、自分が変われば困難が困難でなくなるのである。


ううむ、行きあたりばったりの口から出まかせが過ぎて、オチをどこに持って行けばいいのかさっぱりねという事態であるが、そこはそれ、ホラ吹きの一人の末席を汚す象師匠の天下一品のインチキトークの見せ所である。


トークで見せ所もないもんであるが、何がなにしてなんとやらの何がなんだかわからない運命の行く末をあれこれ楽しもうという、たいへんお買い得な企画であるということを、運に見放され、生きることが艱難辛苦の衆生に申し伝えたいわけである。


その不運悪運の正体はなんであるかということを、これでもかと虹色に輝く七色の語彙を駆使してあらいやんの顛末は果たしていかなるものか、お楽しみのクライマックスにいよいよ差し掛かるわけである。

今日はあらうふんではなくあやらいやんである。


つまり、ここまでは無くてもいい無駄話であるということが判明して、いつもながらのでたらめ進行に呆れる読者もおられるとは思うが、まあ、この世で真実は何かということを突き詰めれば、ご存知の通り、溢れかえる情報はほとんどがガセネタであるので、見方によってはこの無駄話に象気功の本質が秘められているということもあのねのねである。


詰まると、あらうふんからあらいやんに加えてあのねのねである。

てなことで、いいかげんこんなのものを読むのはやめたいと思った人は、あわてるなんとかでもらいが少ないのである。

あわてず騒がずじっくりとここまで我慢に我慢を重ねて我慢大会優勝の皆さんには、「じ・ジ」のコトタマの反応部位は恥骨の少し上の腹部下部の内部である。


恥骨とへその中間より少し下の内部である。

経絡の経穴でいうと関元穴の少し下の内部の周囲である。

チャクラでいうとスヴァシスターナの少し下の内部の周囲である。


まあ、チャクラの場合は諸説紛々であるので、詳細な位置はまあだいたいねということでご理解いただきたいが、周囲というのは、たとえば関元穴の位置にしても骨格・体形や性別によってもさまざまであるのは当然であるので、だいたいそのへんねということである。


またこの「内部」というのがシロートさんには理解できないところで、体表の経絡や経穴に反応する場合は比較的分かりやすいのであるが、内部の反応を氣感として捉えるのは、おびょーきとの境目を乗り越えて、ある意味、人生を棒に振る覚悟ができた人のみに与えられた神の啓示である。


まあ、このへんがシロートさんとの格の違いを見せつけるプロとしての象師匠の本領発揮の奇妙奇天烈であるわけである。

奇妙奇天烈の用法の曲直正邪は一時的に棚上げとして、「じ・ジ」のコトタマは、その部位から前正中線の内部の氣道を通り、腹部・胸部を開き、両眼・両鼻腔の軌道を開き、両眼・両鼻腔の奥から氣を引き下げるのである。


「ざ・ザ」のコトタマと同様に、氣道を開いて氣を引き下げるという効果が強いので、精神的には、安定した精神状態と芯の強さを醸成するのである。

氣を「引き下げる」ということから、豪快な性格を醸し出すが、同時に胸部を開くために周囲にそれなりに気遣いのある人物を醸成するのである。


この効果で、社会的に成功する人も多々おられる実にオツな効果のコトタマであるが、もちろん、いつものお約束で、その他の複合的な要素が絡み合ってそうでもない人になる場合もあるのは当然である。


しかし、それでも「付かないよりはマシ」の範囲内でその方向に氣道の進路を向け、人生の方向性を編成するのである。

わあわあゆーとりますが、お時間になりましたので、ほなさいならー。

なんの時間やねん。

ううむ、いかんな、どーにもなっとらん。

続く。

Copyright (C) Zoukikou All Rights Reserved 無断転用転載厳禁 プライバシーポリシー Contact