コトタマの反応部位「ぎ・ギ」 どのような社会の変化にも対応して、流れる水のように生きるための方法を示唆するコトタマの反応部位は、「ぎ・ギ」の解説である。 この世は不公平であり理不尽である。 名前の付け方自体が理不尽である。 本人の了解なしに一生に渡る名前を勝手に決められてしまうのである。 たとえば親が魔が差して「ぴょんすけ」という名前を付けてしまうと、裁判所にお願いしたりのとてつもないめんどくさい手続きを経ない限りはその変な名前で一生を過ごさなければならないのである。 このような明らかに変な名前による精神的苦痛やその他の正当な理由に当てはまる場合は裁判所でも考慮していただけるわけであるが、これが、「コトタマの組み合わせが気に入らない」てな理由であると、裁判所に申請しても「言ってることがおかしい人」という扱いになって、取り合ってもらえないのである。 また、いきなり名前を変更すると、社会生活状もいろいろめんどくさいことになるので、おいそれと変えることはできないので、大抵の人はそのまま一生を送るわけである。 しかし、そのコトタマの組み合わせで悲惨な人生を歩かなければならない人もおられないではないのである。 何をやっても上手く行かない場合は、名前に原因がある場合も多々あるということの典型的な例が芸能界である。 名前やグループ名を変えたとたんに状況が一変して人気が急上昇したり、その逆にホラ吹きの占い師の口から出任せの名前に変更したためにまったく売れなくなったりするわけである。 かくのごとく姓名・名前・呼び名は運気に大きな影響があるのである。 コトタマの組み合わせにより氣道の状態が変わるからである。 氣道の状態が変わると、性格が変わり、能力が変わり、体調が変わり、行動言動が変わり、運気が変わるのである。 そのように重要な名前・呼び名を自分の意志とは無関係に付けられてしまうわけである。 さて、そんなこんなで、ふつーの皆さんには一生モンになるコトタマの「ぎ・ギ」の反応部位はみぞおち上部の右側の内部の周囲である。 胸骨の剣状突起のすぐ下の右側の内部の周囲である。 前正中線を走る任脈の中庭穴と右脇腹の中間あたりの内部の周囲である。 お気付きの方はお気付きの通り、「ぎ・ギ」のコトタマは肝臓を開くのである。 事細かに一語一語コトタマの反応部位を探っていくと、実に不可思議な世界に迷い込むのである。 なにしろコトタマは人間の感知できない神の領域であるので、一般霊能者のあたしなんぞにはその神意を理解するなんてことはおこがましい限りで、「なるほどねー」ということで、啓示をお伝えするのみである。 肝臓の周囲が開くと精神的には意志の強さを醸し出すのであるが、肝臓と眼の周囲は氣道で大きく関連しており、眼の周囲から髪の生え際の神庭穴の周囲を開くため、意志の強さとともに聡明さも併せ持つのである。 まあ、それもこれも、自分の親を見れば一目瞭然に、DNA遺伝子のタタリと幼児期の環境による脳のニューロンシナプスの形成状態と他のコトタマの組み合わせとの兼ね合い次第であり、できそこないになる御仁も多々あるのは致し方ないのである。 しかし、それでも「付かないよりはマシ」の範囲内で、意志の強さと聡明さを醸成するということは否めないので、名前に限らず、それを利用してあれこれ自分を操作するための一環とすることは可能であることを申し添えて置くのである。 その利用法はさまざまで、バリエーションは個人の工夫と創造により思わぬ効果をもたらすのである。 そのもたらされたものがなんであれ、人生のお楽しみとなるのはもちろんであるが、それもこれも行き当たりばったりとも思える神の計画であり摂理である。 ううう、いかん、オチのネタがないのでどんどんいいかげんな文章になっているのである。 てなことで、わあわあゆーとりますがお時間となりましたので、ほなさいならー。 詰まるとこれだよ。 続く。 |