象気功

コトタマ
言霊の人体における反応部位



コトタマの反応部位「ん・ン」


あなたの人生の成り立ちの理由を知り、その方向性を操作するためのコトタマの反応部位は、「ん・ン」の解説である。

ついに「ん・ン」である。

50音表の最後のコトタマである。

思い起こせば遥か昔のつい先日、「あ・ア」から一気に「ん・ン」まで口から出任せを網羅して、この世の不思議を解き明かして来たわけである。


ううむ、文章が支離滅裂であるが、まあ、この文章が教科書に載ることは天変地異が起きてもありえないので、極めていいかげんなテンションで、ことは進行するのである。

なんだこりゃ。

こりゃこりゃ。

ううむ、読者がどんどん逃げるのもさもありなんである。


すべての人々の人生に重大な影響を及ぼすコトタマの重要性を説いてるにも関わらず、でたらめな物言いであるので、信頼性も信憑性も皆無に近く、まったく読者の人生設計の参考にもならんのである。

それでも、その効果を実感する読者もおられて、神のお告げという名の口から出まかせも馬鹿にできたもんではないということを実証する昨今のあれこれであるが、なんでも神のせいにしてるとしまいに神に怒られて新抜擢面あらいやんになるかもしれないのである。


しかし、そこはそれ、自然淘汰の法則で、すべての人が同様に理解してしまったら、この世はわやである。

それぞれの理解で多様な個性のぶつかり合いが生じて、エネルギーが生まれ、宇宙が進化するのである。

理解できないものがいて、始めて理解できたものの価値があるとも言えるわけである。


理解できないものはそのまま地獄の底をのたうち回り、理解できたものは「やらないよりはマシ」の範囲内で泥の底から浮かび上がり水面に顔を出して青空を見上げるとき真っ白な雲が感動の面持ちで網膜に焼き付くのである。

ううう、こんなのいやだ、もう少しなんとかならんもんかねしかし。


まあ、ともあれかくもあれ、現世も黄泉もなるべくしてなり、ならないべくしてならないのであるから、てきとーに流されて生きることが肝要であるが、コトタマの反応部位を知ることにより、その方向性を微妙に操作することができ、その流れをオートマチックにご希望の方向に向けることができるのである。

さてさて、50音表最後の「ん・ン」のコトタマの反応部位は正中線上の臍下の下腹部中央の部位である。


経絡の経穴で言うと任脈の気海と関元の中間点の表層部の周囲である。

最も氣の集積する部位とも言えるので、ここにうまく意識が置けると、氣が一気にドドンと発生して、ややもするとめまいがする場合もあるぐらいの、気功的には実に重要な部位である。


ちなみに先述した「う・ウ」のコトタマの反応部位はこの部位の内部である。

「う・ウ」と「ん・ン」のコトタマが合わさると、丹田の中央部の内外を開き、最大限の氣を発するわけである。

その組み合わせが「うん・ウン」である。


コトタマは単独でも部位を開き、氣を発生させ、氣道を開き、いろいろな効果・影響を与えるわけであるが、組み合わせることによりさらにその効果が広範囲になり大きくなるのである。

延々と無意味に思えるような、各コトタマの反応部位の解説であるが、各コトタマの個々の反応部位を知ることにより、それを組み合わせ、自分の意図した氣道の状態を作り出すことが可能になるのである。


脳機能を活性化したい場合、肚を据えたい場合、内臓機能を活性化したい場合、等々、その目的に応じた氣道の状態を作り出すことができるわけである。

その端的で効果のわかりすい例が「う・ウ」と「ん・ン」の組み合わせである「うん・ウン」である。


たとえば、誰でも力いっぱいにものを持ち上げようとするときに「うん」あるいは「うーん」あるいは「うんんんんっ」という声が自然と出るわけである。

ものすごく重いものを持ち上げるときに「レレレのレ~」だとか「ヒヒヒのへ~」だとかは言わないのである。


脳を含めた身体は、どの「コトタマ」あるいは「コトタマの組み合わせ」が一番力を出すのか知っているわけである。

つまり、力は動物としての人間の根源である小腸から出るということである。


そのための最重要なコトタマが「ん・ン」であり「う・ウ」であるということに、他ならぬ神の使徒のあたしでさえあらうふんという驚きを隠せないわけであるが、つまり、「ん・ン」は人間の根源のコトタマのひとつであるということである。


それもこれも含めて、精神的には、「ん・ン」のコトタマはいわば丹田の中央部を開くわけであるので、肚を据えるための最大の威力のあるコトタマのひとつであるわけである。

まあ、そうはいっても、日本語の場合は「ん・ン」が名前の最初あるいは言葉の最初に来ることはないので、他のコトタマとの兼ね合いで、より丹田に近い部位が開き、より氣を下げる効果をもたらすということである。


さて、いつもながら、鮮やかな切り口でこの世のことわりに切り込むコトタマの反応部位の解説も、50音表の最後の「ん・ン」が終わって、やれやれようやくこれで終了か、と思うとさにあらず。

さらに濁音のコトタマの解説が展開するのである。

いつになったら終わるんだという恐ろしい事態に爆進するわけである。

ひえええ。

アホか。

続く。

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