象気功

コトタマ
言霊の人体における反応部位


コトタマの反応部位「ゆ・ユ」


神界の入り口に鎮座する産土の金神からお受けした光の神文であるコトタマの反応部位は、「ゆ・ユ」の解説である。

まあ、なんというか、象気功は神のお告げであるから、イントロをできるだけインチキ臭い滑り出しにしたいわけであるが、どうにもこうにも元来が神も仏もない真正の不心得者であるので、これがなかなかアホくさくて難渋するわけである。


しかし、それでは信者の皆様方には何を信仰の拠り所としてよいやら、心の露頭に迷う者続出で、終末の審判に耐えうる準備ができないわけである。

もうすぐ終わるこの世を迎える準備を滞りなく整えるために象気功が現されたわけであるから、身命を賭してその難題に立ち向かわねばならぬという心意気もあっけなく頓挫して、今日もてきとーいいかげんに口から出ませのお告げをほざくわけである。

おいおい、頓挫かよ。


ううむ、尺取り虫的なあれこれであるので、内容が希薄な上にありきたりで、自分で読んでも頬が赤らむぐらい気恥ずかしいが、まあ、なんだ、書いちゃったもんはしょーがないのである。

てなことで、ラブリーな赤道直下のレインボートークもあでやかに、「ゆ・ユ」のコトタマの反応部位は額(ひたい)の中央の部位の周囲である。

いわゆるおでこの真ん中である。


髪の生え際と眉間の中間という言い方もあるが、これはゲーハーの人の場合はどこが髪の生え際か判断しかねるので、言わんとこというような部位である。

経絡の経穴で言うと眉間の上の額中穴(がくちゅうけつ)の周囲である。

この部位が開くと、眉間も神庭も開き、チャクラで言えばアジナーが開くということである。


いわゆる第三の目が開くわけであるが、これはインチキグルセンセーがのたまう「見えないものが見えるようになる」なんて暴言はナンセンスとして、つまりオツムのちょーしがよろしくなって、「わからないものがわかるようになる」ということである。

「ゆ・ユ」はオツムのちょーしを良くするコトタマの代表である。


この部位は言うまでもなく主に大脳の前頭葉の前側の前頭前皮質(前頭前野)に影響のある部位である。

いゆわる人間を人間たらしめている部位である。

人格形成や適切な社会的行動の調節に携わり、予測・推測して目的に向かって計画的な行動をするという、いわゆる知性・理性を司るわけである。


もちろん前頭葉は記憶も司るのであるから、その記憶に照らし合わせて適切な行動規範を作り、そのように行動しようとすることがその機能である。

しかし、その記憶が辺縁系からの情動を含めた記憶であることから、人格形成にも影響を与えるわけである。


記憶力・判断力・理解力といった、学習能力を発揮し、基本的に、知性と理性に富んだ人格を醸し出すのであるが、もちろん、それが必ずしも正しい人間を作り出すということではないのは論を俟たないところである。


性質の良し悪しも含めて、親・先祖から受け継いだDNA遺伝子の世にも恐ろしいタタリや、幼児期のお育ちの環境による脳神経ニューロンシナプスの形成との兼ね合いもあり、さらには他のコトタマの影響も含めて、どうなるかは神の采配次第であるのは言うまでもないことである。


その方向性の脳機能を醸成するということであって、必ずしもお利口さんになるわけではないが、「やらないよりはマシ」の範囲内で影響を受けるわけである。

つまり、「ゆ・ユ」が名前に付いてもパ~である場合も多々あるわけであるが、しかし、付かない場合はもっとパ~であるということである。


いわば「付かないよりはマシ」である。

その方向性に舵を切るということである。

パ~の場合は、少しパ~ではない方向にシフトチェンジするということである。

少しパ~ではないということはパ~であることには変わりないので、やっぱりパ~ということになるので、パ~な行動をしてパ~な人生を送る人も少なからずおられるのは無論である。

それでも「付かないよりはマシ」である。

続く。

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