象気功

コトタマ
言霊の人体における反応部位



コトタマの反応部位「や・ヤ」


顕幽両界を仕切る金神となりて、カンナガラタマチハエマセの霊威を伝えるコトタマの反応部位は、「や・ヤ」の解説である。

まあ、なんだ、人間の趣味というのか興味というのは様々である。


最強の捕虫者のクモさんに音もなく忍び寄って食ってしまうサシガメさんてな虫さんの研究に、寝食を忘れて取り組んでる人がおられるのである。

そのような、ほとんどの人がどーでもいいことに夢中で取り組む人がいるから、科学が発展し、文明・文化が発展してきたわけである。


このコトタマの反応部位もほとんどの人にとってはどーでもいいことであるわけであるが、いずれは科学・医学の発展にこよなく寄与して、世界の仕組みを変えるのである。

この世は巧妙に組み合わされたジグソーパズルみたいなもんであるので、たったひとつのピースの形が変わっても、すべてが変わるのである。


たとえば、引きこもりで一生外に出られない人が、コトタマの反応部位を知ることにより、なんのこともなく外に出て働き始めたら、家族が変わり、周囲が変わり、さらにはそれに関連した社会の仕組みが変わるのである。

さらに時間という要素が加わると、この世つまり宇宙の仕組みが変わるのである。


社会あるいは世界を変えようと思うなら、自分が変わればいいのである。

そのために冥府神界から金色の光に輝らされながらひふみ祝詞となりて降り注ぐのが、天意を表す「コトタマの反応部位」の啓示である。


てなことで、辻褄の合わないことはホツマツタエにかこつけてうやむやにして、人類の進化を有無を言わさず推し進める「や・ヤ」のコトタマの反応部位は脚部の膝の少し下の部位の周囲である。

脛(すね)の上部の周囲である。


そこだけかと思うとさらにあらず、同時に肘の少し先の周囲の部位も開くのである。

つまり、四肢の膝と肘の少し先の部位を同時に開くわけである。

さらに、脛・ふくらはぎ・足首・足までを開き、同時に前腕・手首・手までの氣道を開くのである。


つまり、膝・肘から先の手足を開くということである。

精神的な影響としては、上がった氣をこよなく下げて、ものごとに動じない精神状態を醸し出すのである。

手と足の氣道が開くことにより、手足の血流が増加するわけであるが、そのことは脳も含めた上体の血流が少なくなるということである。


氣が下がるわけであるから、「やらないよりはマシ」の範囲内で精神状態が動じない方向に向かうのである。

いわば度胸満点・大胆不敵・泰然自若てな方向性の性格を醸成するのである。

これが、逆に言うと、おつむがパ~になるということでもあるのである。


氣が上がるということは、臆病ということでもあるが、これはものごとを精査して慎重に行動するということである。

逆に手足が氣で充満するということは、氣が下りて、ものごとに動揺しない反面、その先の危険を感知するという能力がおざなりになるということである。


度胸満点というのは、一面においては阿呆と同義である。

いわば、無謀・無思考・向こう見ず・無鉄砲てな方向性の性格も併せ持つのである。

もちろん、姓名に「や・ヤ」がついていても、他のコトタマのとの兼ね合いがあるので、必ずしも度胸満点あるいは向こう見ずという人間になるということではなく、その方向性の人格形成に一端の影響があるということである。


まあ、とにもかくにも、ホツマツタエから連なるコトタマの反応部位は、内蔵から四肢の先まで開くわけであるから、実に巧妙にできているのである。

全身の氣道が隈なく開くべく構成されているわけである。

だから、コトタマの反応部位をことごとく認知すれば、氣道のバランスを意図して操作することができるのである。


氣道のバランスを意図して操作するということは、あなたの運命・人生を意図して操作するということである。

どんなことも、知ることから始まるのである。

どんなに優れた人間も「知っていることしか知らない」のであるから、それを知ることは神の采配である。


コトタマの反応部位は、この世で象気功に出会ったものだけが「知る」ことである。

つまり、神のお告げである。

たはは。

ぶち壊しかい。

続く。

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