象気功

コトタマ

言霊の人体における反応部位



コトタマの反応部位「ぬ・ヌ」


前代未聞の神のお告げあるいは仏の教えであるコトタマの反応部位は「ぬ・ヌ」の解説である。

神も仏もあったもんじゃない出たとこ勝負を人生の方向性とする不届き者による神のお告げ・仏の教えであるから、神も仏もえらい迷惑である。


まあ、つまり、神でも仏でも近所のおっさんでもいいわけである。

しまった、近所のおっさんはあたし自身だった。

てなことで、神仏よりえらいと言い張る近所のおっさんによるコトタマの反応部位も道半ばの折り返し地点に差し掛かって、いよいよ、佳境に入るわけである。


まあ、よく、宝くじの一等に当たったりすると、車にも当たったりするから、当たらない方いいなんていう人がおられるが、そんなご心配はご無用である。

宝くじに当たるような人は、おおむね運がいいので災難・事故も逃げていくのである。


災難・事故に遭うのは、宝くじにもまったく当たらないような運の悪い人である。

さて、宝くじに当たって車に当たらないような人生を歩くにはいったい何をしたらいいのかということで、「やらないよりはマシ」の範囲内であなたの寿命と運気を左右する「ぬ・ヌ」のコトタマの反応部位は、へその少し上の周囲である。


「ぬ・ヌ」のコトタマは、十二指腸を中心に小腸に向けての氣道を開くのである。

なんでそんなことが分かるのかというと、あたしが神の身体だからである。

いわば、あたし自身が御神体である。


大きく出たもんである。

ホラもここまで行くと、どこぞのアホ教祖を凌ぐ脳天気である。

まあ、これは、どなたもあなたの身体が御神体と言えるのである。

自らの神に問えば応えてくれるのである。


応えとは反応である。

コトタマの反応が嘘だと思うなら、たとえば「とーとーとーとー」と、毎日1時間唱えてごらんなさい。

1週間もすれば腹部の氣道が開くのがわかって、それが氣道を通り頭部に向かい、さらに続けると、敏感な人は頭痛がして続けられなくなるのである。


あたしはその部位が、個別に明確にわかるだけの話である。

だれでも身体が御神体になればわかることである。

その、身体を御神体に変える方法が象気功メソッドである。

ううむ、いいね、絶好調である。


まあ、つまり、「ぬーぬーぬーぬー」と唱えれば、へその上の周囲の氣道が開き、十二指腸を中心に小腸に向かい周辺の氣道を開くわけである。

少し唱えただけで、お腹がグウグウと鳴り出す人もおられると思うが、十二指腸を中心に、その周囲の腸が動き出しているわけでる。


コトタマの反応で腸が動き出すのである。

こんなことは現代医学ではナンセンスであるわけであるが、動くんだからしょーがないじゃんと言うことである。

象気功は時代に早過ぎるのである。

現代医学も東洋医学も象気功に追いつかないのである。


まいど言うことであるが、もちろんそれでいきなり十二指腸潰瘍が治ったりするということではないのである。

毛細血管の毛玉状の塊である臓器としての十二指腸の血流を促して、細胞の再生修復メンテナンスをより良好にするということである。


もちろん、消化吸収のかなめとなる部位であるので、毛細血管が開いて血流が改善すれば、「やらないよりはマシ」の範囲内で、栄養素はよりよく吸収され、「やらないよりはマシ」の範囲内で健康状態は改善されるわけである。。


また、精神的には、氣道を通して小腸つまり丹田を開くので、安定した状態を醸し出す効果があるのである。

もちろん、「ぬーぬーぬーぬー」と日がな一日連呼していても、それで、丹田が出来上がって度胸満点の人生になるとかではないのは言うまでもないことである。


「やらないよりはマシ」の範囲内で氣道のバランスが変わるということである。

まあ、「やらないよりはマシ」であっても、胴体の中央部周辺を中心に下部に向かって開くのであるから、不安よりは安定の方向性に向かうのは当然である。


まあ、子供に「ぬ・ヌ」の付く名前を付ける人も昨今では稀であると思うが、男なら「ぬいきち」「ぬきたろう」、女なら「ぬい」「ぬのえ」てなところである。

実に古風なお名前であるが、印象的で逆によろしいかもしれないのである。

まあ、こんなとこかね。

続く。

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