象気功

コトタマ

言霊の人体における反応部位




コトタマの反応部位
「ぴょ・ピョ」


ぴょぴょぴょのぴょっぴょのコトタマの反応部位は「ぴょ・ピョ」の解説である。

まあ、その、なんである、人間てなものはしばらく生きてると、何事もうまくいく時期と、逆に何事もうまくいかない時期があるということがわかるのである。


そうはいっても、何年生きていてもやることなすことがまったくうまくいかなくて、運不運の流れがさっぱり理解できないぐらい不運のままわけのわからん交通事故に巻き込まれたりして、あっけなく一生を終えたりするものがいるのである。


もちろん、その逆サイドにはやることなすこと大当たりで、これもまた運不運の流れがわからんまま、酒池肉林人生を心行くまで味わって極楽往生するものもいるのである。

それが「ぴょ・ピョ」」のコトタマの反応部位となんの関係があるのかという疑問があろうと思うが、それもこれも神の御導きである。


ううう、あたしはバカなんだと思います。

反省かよ。

えーと、なんだっけ?

ああ、テキトーに始めたので行き詰ってしまった顛末である。

誰が顛末だ。

これ、いつになったら始まるんでありましょうか?

しらんがな。

あきれてチャンネルを変えないでね、お願い。


さて、「ぴょ・ピョ」のコトタマの反応部位はへその少し下の周囲である。

経絡経穴でいうと体の前面を通る任脈の気海穴あたりの周囲である。

うそだと思ったら「ぴょぴょぴょぴょ、ぴょぴょぴょぴょ、ぴょぴょぴょぴょ、ぴょぴょぴょぴょ、ぴょぴょぴょぴょ、ぴょぴょぴょぴょ、ぴょぴょぴょのぴょっぴょーっ」と心の中でわめいてごらんなさい。


なんで心の中でわめくかというと、実際に大声でこんなことをわめくとおつむの壊れたヤバいやつと思われて、あらぬところに通報されないとも限らんからであるといういつものお約束のフレーズである。

くだらん冗談はともかく、誰がくだらん冗談だ、ハイハイ、するとあーら不思議全身の気道からへその下の周囲にぐぐぐーっと氣が吸い込まれるように集まるのがわかるはずである。

終わり。


終わるなよ、いくらなんでも尺が足りんだろ。

まあ、なにしろへそ下のあたりに氣が集まってくるわけであるから、いわゆる丹田に氣が集まるわけである。

人生の極意は丹田である。


何はなくとも丹田である。

なんにもなくても丹田である。

丹田に氣が集まれば、気持ちが落ち着かないわけがないのである。

やらないよりマシの範囲内で、不安解消、沈着冷静、泰然自若、従容自若、鷹揚自若てな精神状態が醸し出されるわけである。


だから子供にぴょん吉、ぴょん子、ぴょぴょ助、ぴょぴょ江てな前をつけると、将来は腹の座った大物になること請け合いである。

そんなイジメの対象になること請け合いの名前を誰がつけるかーっ。

そんな赤字で怒鳴らなくても。


てなことであるとしても「ぴょぴょぴょぴょ、ぴょぴょぴょぴょ」と朝から晩まで日常的に連呼して入れば、いつもびくびく引きこもり立てこもりで家でもマスクでコロナ感染対策も万全よという神経症的小心者も、やらないよりはマシの範囲内で「あれれ?どうしたんだ、気持ちに余裕があるぞ、いっちょう外に出てみるか」というお気楽な精神状態になって、マスクもしないでバカ丸出しで人ごみに出かけてウイルス量1000倍のデルタに感染しても入院する病床はひっ迫で自宅療養のままお亡くなりになるのである。

だめだろ。


じゃあ、小心者でいいや。

人の言うことをむやみに信じ込んだりするとろくなことにならないという例である。

おいおい。


部位が丹田であるから、象気功では開講当初から力説してる通り、この周囲の氣道を開き血流が改善すれば、生命の源である小腸の活性化を促し、いわゆる腸内フローラもご満悦で満開の運びとなり、人生の方向性はいやが上にも変わるのである。


運命変革のパラメタリックは「ぴょぴょぴょぴょのぴょっぴょ」にありということである。

パラメタリックって何?

勝手に指が打ちやがった出まかせのでたらめだから知ってるわけねーだろ。


いちおう調べてみるとパラメタリックというカタカナ語はあるにはあるが、「統計学的検定が母集団の分布の影響を受けることを意味する語」ということらしいので、まったくのなんのこっちゃである。


とにもかくにもパラメタリックであるが、「ぴょぴょぴょぴょ、ぴょぴょぴょぴょ」とわめいたら翌日から泰然自若どっしりとした判断力の大物になって人生好転てなことには絶対にならんのは言うまでもないことである。

なんだ、ならんのかよ、じゃあ、やめよう。

やめるなよ。


再三に渡ってあれこれするが、とにもかくにもこの世の組成は「やらないよりはマシ」さらには「継続」が運命変革成功のタームである。

なにしろ、人生の方向性を変えようてなことは、「苦難続きの不幸な人生を心から楽しみなさい」という神のありがたーい思し召しをまっこうから小バカにして捨て去ろうという人としてあるまじき蛮行であるので、変えようと思うこと自体が無理難題である。


その無理難題を成し遂げるためのメソッドが「やらないよりはマシ」と「継続」であるわけである。

果たして無理難題が勝つのか、象気功メソッドが勝つのか、勝敗は混沌として闇の中で真っ暗けである。


日本語がとっても変だが、飽きちゃったからもういい?

ちゃんちゃん。

ううむ、どうもあたしの脳がパラメタリックだな。

パラメタリックの象気功はいったいどこへ行こうというのか。

しらんがな。

結局そこね。

「コトタマ」一応完

一応かよ。


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